さいとー・ま

さいとー・ま

さいとう・まの。おしごとは manoestasmanoあっとgmail.com (あっとを いれかえてください)まで。

しんりりょーほー と ことば と じぇんだー

小林芳樹(こばやし・よしき)『ラカン 患者との対話:症例ジェラール、エディプスを超えて』(2014)人文書院
井上摩耶子(いのうえ・まやこ)編『フェミニストカウンセリングの実践』(2010)世界思想社
中村桃子(なかむら・ももこ)編『ジェンダーで学ぶ言語学』(2010)世界思想社

小林芳樹(こばやし・よしき)『ラカン 患者との対話:症例ジェラール、エディプスを超えて』(2014)人文書院


プロローグ

第一幕 対話編――ラカンと患者の対話
   1 患者ジェラールの生い立ち
   2 対話記録(一九七六年二月一三日 於パリ・サンタンヌ病院)

第二幕 理論編
   1 鏡像段階 
   2 エディプス・コンプレックス、去勢
   3 父の名の排除、ファルス機能の排除、症例シュレーバー 
   4 ボロメオ理論、父の名の欠如/ファルス機能の欠如、症例ジョイス
   5 内省型精神病と非内省型精神病、症例アンネ・ラウ

第三幕 解決編
  1 症例ジェラール――ラカン的精神病(内省型精神病)
  2 ラカン的技法

第四幕 現代におけるラカン――普通精神病と自閉症、現実感を巡る議論
   1 普通精神病の提唱
   2 自閉症に対するラカン派の視点

エピローグ――日本におけるラカン精神分析実践の可能性(原発の傍らに)

あとがき
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b181580.html

らかん における せいしんびょー に ついて の ほん。
Gérard Lucas ジェラール・ルカ わ 「ラカン的な精神病、まさにその典型」(p. 80)
らかん わ 「彼は押し寄せる声が聞こえることに甘んじていたわけですが、しかしとりわけその悪化しているという感覚があるがゆえに私は失望するわけです。彼には、生き、(現在の窮地から)抜け出す術はないと言わざるを得ません。彼がどようにして自分を取り戻していくのか、私には皆目見当がつかない。首尾よく自殺で決着をつけるという方法はありますが。」(p. 80) と こめんと している。
「病者提示とは、シャルコー以来のフランス精神医学会の伝統で、事前登録した参加者(必ずしも臨床家ばかりとは限らない)を前にして、精神科医師が行う公開診察のことを指す。」 (p. 8)
らかん わ 病者提示 お せみねーる と とも に、 ぱり・さんたんぬびょーいん で おこなっていた。
じぇらーる の しょーれい わ ゆいいつ きろく が のこっている

こばやし の ぷろろーぐ(p. 7)

ラカンによると、フロイト理論におけるエディプスや去勢の概念において重要なことは、母と子
の近親相姦的二二者関係、前エディプス関係において母の欲望に対して従属している子供をそこから
解放し、他者に対して理解可能な言語を語る社会的主体として生成させ、異性愛を可能にすると同
時に、現実感を与えるファルス機能、を授ける父の機能である。翻って見ると、あまたの精神分析
理論においてこの父の機能を強調しているのは、確かにフロイトラカンのみである。他の学派に
おいては、父ではなく子に愛情を惜しみなく注ぐ母にその注意は集中する。これに呼応するように
それらの精神分析実践においては、分析家と思者の転移 - 逆転移関係という二者関係の議論に終始
するが、この原型は母と子の二者関係にある。
エディプス.コンプレックスや去勢概念に拒絶反応(去勢の否認という倒錯的反応であるように思
われる)を起こし、欧米諸国と比較して母子関係がより濃密である甘え社会の本邦においては、当
然予想されるようにフロイトラカンの理論ではなく、転移 - 逆転移理論が主流であった。実際に
ラカンも言っているように、フロイトのエディプス理論は、ユダヤ-キリスト教一神教の伝統を
持つ社会において最も妥当し、それ以外の文化圏においては等しくその価値を持つ普遍的なものと
は限らないと言っているわけであるから、本邦での上記の反応は理のないことでもない。しかし程
度の差こそあれ、子を母の欲望に対する従属関係から解放し、社会的主体へと変貌を遂げさせる手
助けをする父の機能の重要性が日本において失墜する訳がない

いせいあい が えでぃぷす の れい で でてくる

らかん が じぇらーる の 自生思考 の なか の あんさつ(assassinat) と えんじょ(assastanat) お しゅくやく した assastinat とゆー ご に ついて きく と、 はじめ わ とつぜん わいた もの だ と いっていた じぇらーる わ のち に りせいてき な かんけいせい が ある と いい、 うた お おくった じょせい(べあとりくす・V) に ついて おくった ぽえむ に ついて はなす。 らかん が そのた の ひと お きく と、 D・N に ついて はなしはじめ、 けしょー お しない こと お ゆー。 らかん が じぇらーる も けしょー お する よー に なった か きく と、じぇらーる わ こーてい して、 その げんいん お せい に かんする こんぷれっくす、 いんけい の ちいささ で せつめいしはじめる。

49-52
L あなた自身も化粧をするようになりましたか?
G・L はい、私も自分で化粧をするようになりました、そうですね、はい(笑む)。そうするようになってのは一九歳頃からです、なぜなら私の感じとしては……私は自分の性に関してコンプレックスを持っていたからです。私の印象として……生まれつきとても小さい陰茎を授かりました。
L そのことをもう少し説明して下さい。
G・L 性器が縮んでいって、ついには女性になるような感じを抱いていました。
L なるほど。
G・L 私は自分の性が転換していく感じを抱いていました。
L 性の転換?
G・L つまり性が代わるということです。
L それが言いたいことですか?あなたが抱いていた感じというのは、あなたが女性になるかもしれないという感じですか?
G・L はい、私は日常的に化粧をしていましたし、また知りたかった……つまり私は性器が……縮むのではないかという不安な感じを抱いていましたが、同時に女性の世界、女性の真理、女性の知的心理的成り立ちを理解するために、女性であるとはどういうことなのかを知りたかったのです。
L あなたはそのように期待したが……実際には一種の願望です。
G・L それは願望であり、また実際の経験でもありました。
L実際の経験と仰いますが……。でもあなたにはまだペニスが存在しますよね、どうですか?
G・L はい、 そうです。
L よろしい。それでは、実際に経験したとはどうい事ですか?それはむしろ願望の範疇だと思いますが。経験したというのはどういうことですか?
G・L 体験であることを望んだという意味です。
L 繰り返すようですが、つまり実際に体験であるようにとあなたが望んだのは、やはり願望のレベルで留まっていたということですが……あなたは自分自身で、女性であると感じたことはありませんでしたか?
G・L ありません。
L あったのですか、なかったのですか?
G・Lありませんが、もう一度質問を繰り返していただけませんか?
L自分が女性であると感じたことがあったかどうか、と質問しました。
G・L 心理的に感じたのは事実です、はい。そのような直観によって、結局のところ……
Lそうでした、申し訳ない申し訳ない、直観的にということですね。するとあなたは自分が女性であると想像しましたか、そというのもあなたが直観について……直観、すなわちあなたに浮かぶイメージに言及されたからですが。自分が女性であると想像しましたか?
G・L いいえ。夢の中では女性でしたが、でも、私は……
L夢の中では女性だった。夢とはどういうものですか?

ここ で わ、 願望、体験、直観、想像 とゆー ことば で ふたり の あいだ で すれちがい が おこっている。

また、じぇらーる が、 ことば で せつめいできない 美 の 移ろうイメージ に ついて かたった あと、らかん わ、 じぇらーる に、 じぶん の こと お うつくしい と おもうか と きいて、 じぇらーる わ じしん お うつくしい と かんじている と のべている。つづけて、 らかん わ 「好意を抱いた女性たち」 が うつくしい か きいている。 じぇらーる わ 「相貌の輝きと際立った知性とは関連しています」(39) と のべ、 Nさん いがい に も かがやいていた ひと に ついて きかれる と、

他にもいました、男性のみならず女性にも。性的には私は男性同様女性をも愛します。私は男性とのに肉体関係について言及しました。知的であると同時に感受性豊かな輝きにのみ私は魅了されてきたのです。

と いった。
しかしながら、




いわゆる正常人というものが存在するなら、それは鏡像段階とそれに引き続く、エディプス·コ
ンプレックスや去勢を経験していることを意味する。これに対して、古典的な精神病(統合失調症
パラノイアなど)者においては、いったん鏡像段階を経験するが、エディプス·コンプレックス
や去勢経験が排除されているために、性別化や現実感の獲得上欠かせないファルス機能が働かず
発病以降は鏡像段階以前の状態に逆戻りしてしまう。ここまでが一九六〇年代までの前期ラカン
理論である。
これに対して、本書のメインテーマであるボロメオ理論は、一九七〇年代、ポストモダンの幕開
けの時代に次第に顕著となった軽症化精神病に対して、エディプス·コンプレックスや去勢概念、ファルス機能に代わって構築された後期ラカン理論である。非内省型精神病は前期ラカン理論で説明可能な古典的精神病を指し、内省型精神病は後期ラカンのボロメオ理論で説明可能な軽症化精神病を指す。
(83-84)

きょうぞうだんかい で じが の そーぞーてきな ひきうけ が おこる の わ、 ろくかげつ から じゅーはちかげつ であるを

自我による慢性的な誤認(86)
自分と自我との分離作業を徹底的に行い、分析主体(患者)があらゆる自己愛的幻想を突き抜け、現実感覚を取り戻し、社会的名声、評判、家庭内での評価とは無縁な各人固有の存在の基点が析出されるまで、真の個性化が実現されるまで続く、妥協のない作業である。(86)

えでぃぷすこんぷれっくす にさい から さんさい

エディプス·コンプレックスは、近親相姦的な関係はそれ自体必的に、闘争、崩壊へと至るものである
ということを含意している。人間が最も自然な関係、すなわち男と女という関係を確立し得るため
には、うまくいっている何かの像、調和のモデルたる第三者、旋、連鎖、象徴的秩序、発話という
秩序の介入、すなわち父の介入が必要である。父といっても、それは自然の父ではなく、父と呼ば
れるもののことである。衝突や全体的破壊という状況を防ぐ秩序は、この父の存在に基礎をおいて
いる。
フロイトは、ただ一つの具体的な点として、この父に対する態度を挙げており、これが男児にお
いても女児においてもコンプレックスの展開を決定づける、という。これに対応するものとしてラ
カンは、父の象徴的機能、つまりエディプスの有効な原理を構成するものを、父の名と呼ぶ。父の
名の介入によって、母の欲望への従属関係から解放され、異性との関係を可能にするファルス機能
が授けられ、主体化への道が開かれる。それは両性について当てはまることである。
このようにエディプス·コンプレックスが達成されることによって、ファルス機能を授かり、男
性、あるいは女性になるという性の正常がもたらされるが、同時に性と関連して身体感覚や、身体
を持って世界内に存在しているという現実感をも与えられる。こういったエディプスの描き方に
よって、エディプスの機能というのは象徴的去勢を促進することだ、ということが強調される。
フロイトがエディプス·コンプレックスや、トーテムとタブーにこだわったのは、明らかにフロ
イトにとっては捉とは初めからそこにあるものであったからである。人間の性は、掟によって実現
されぎるを得ない。この基本的な掟が、まさに象徴化という掟であり、エディプス コンプレックスが言わんとしていることである。


去勢
エディプス·コンプレックス期と同じ発達の段階において、象徴化の起源の点である是認、いわ
ば何らかの原初的な否定とでも言うべきもの、すなわち欲望の原因としての原初的な対象との分
離、去勢体験が生じる。
人間主体による現実の最初の理解は、実在という判断であり、その本質は〈これは私の夢や幻覚
や表象ではなくて、対象なのだ〉ということであるが、フロイト弁証法における現実原則が示し
ていることは、主体は欲望の対象そのものを〈見出す〉ことはないということである。つまり動物
界に見られるように、多少とも贈きはしながらも、それで相当な程度に予め備わった、本能的適応
という自然の水路やレールによって、主体は欲望の対象そのものへと導かれることはなく、逆に主
体は代わりの対象を《再発見〉しなければならず、欲望の原因としての対象そのものの出現は基本
的に幻覚だということである。現実原則とはまさしくそういうことである。そしてこの代わりの対
象が、問題となっている欲求を、程度の差はあれともかく満たすことになるのである
こうして人間主体は、純粋に象徴的な経験、去勢体験(欲望の原因の対象そのものではなく、その
代理対象で満足しなければならないということを学ぶ)を通して、現実へと正しく位置づけられ、こ
のことは現実感の獲得や異性愛を可能にするファルス機能を授けられていることを意味する
88-89

ふぁるす と いせいあい の むすびつき



井上摩耶子(いのうえ・まやこ)編『フェミニストカウンセリングの実践』(2010)世界思想社

1 フェミニストカウンセリングの理論と技法(フェミニストカウンセリングとはなにか
フェミニスト認知行動療法 ほか)
2 フェミニストカウンセリングの実際(性暴力―強姦神話をめぐって
セクシュアルハラスメント―被害者の現実対応のサポート ほか)
3 フェミニストカウンセリングの歴史・現場・運動(日本におけるフェミニストカウンセリングの歴史
フェミニストカウンセリングの現場(1)フェミニストカウンセリングルーム ほか)
4 フェミニストカウンセリングとフェミニズム思想(フェミニズムの新展開
あらためて、「女」とは誰か―クィア理論のまなざし ほか)
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032512250&Action_id=121&Sza_id=C0

せいさべつ と の かんれん お みいだして 自動思考 に かいにゅー する こと
こじんてきなこと わ せいじてきなこと とゆー かんてん から、 せいさべつ の じょーきょー お かえる とりくみ(ほーかいせい、さいばんしえん、がいぶ え の せつめい など)
ごーかん しんわ(マーサ・バート『』)、
1ごーかん わ なかった、おきた と ゆー の わ おんな の ふりん など の ため うそ お ついている。
2ごーい で やった こと も ある の だから きずついてない
3ごーかん されたがっていた。 ほんとー に いやなら ごーかん お ふせげる
4ごーかん お うけて とーぜん の おんな だ
せいよく わ とまらない の いいわけ

じこしゅちょーとれーにんぐ:わたしわ で はじめられる よー に する→かんじょー お じぶん で とらえる(101)
きょーかい →じこそんちょーかん→じこしゅちょー
じょせい に わ たしゃ そんちょー が もとめられ、 きょーかい お もたない よー に される(88-89)
ならてぃぶ・あぷろーち に おける もんだい の がいざいか と ゆにーくな けっか(たいしょ できた こと) お みいだす(53)
きわれわれてわいけない と じぶんらしくあるべき の だぶるばいんど→「ひと に きらわれる の が こわい の わ わかる し、 きらわれない こと の ほー が いい。 けど いつか だれか に きわれれる から いま の うち に なれた ほー が いい。れんしゅー してみよー。 あまり したしくない ひと の とき に きらわれる こと お やってみてほしい。 きらわれたら れんしゅー に なり、 かうんせりんぐ の ざいりょー に なる。」→きらわれたら しゅくだい お こなした こと に なり、 きらわれれば しんぱい が きえた こと に なる
ふくざつせいPTSD→いきのびるため こそ の しょーじょー
あでぃくしょん わ いきづらさ の ひょーげん
かじょーせきにんこーどー(137)→だんせい の むせきにん に たいおーしている。 りょーさいけんぼ やくわり お きたいされる→共依存や関係嗜癖 と ゆわれる
くらうでぃあ・ぺぷこ 『フェミニズムアディクション――共依存セラピーを見直す』
ハーマン『心的外傷と回復』
中村桃子(なかむら・ももこ)編『ジェンダーで学ぶ言語学』(2010)世界思想社

0 ことばとジェンダーのかかわり(中村桃子)

●Ⅰ つくられる「ことば」
1 「女ことば」の歴史(中村桃子)
2 「男ことば」の歴史(金水 敏)
3 方言の歴史
若い女性が東北方言を使いにくいわけ(熊谷滋子)

●Ⅱ メディアがつくる「ジェンダー
4 マンガ
ジェンダー表現の多様な意味(因 京子)
5 テレビドラマ
― “ドラマ語”としての「女ことば」(水本光美)
6 恋愛小説
― ことばでつくる親密な関係性(佐藤響子)

●Ⅲ 創造する「ことば」・抵抗する「ことば」
7 若い女性の「男ことば」
― 言葉づかいとアイデンティティ(岡本成子)
8 ことばとセクシュアリティ
― 多様な性愛のかたち(マリィ クレア)
9 ポライトネスとジェンダー
― 隠されたヘゲモニー(宇佐美まゆみ)

●Ⅳ 変革する「ことば」
10 差別表現とガイドライン
― 差別をつくる/変えることば(斉藤正美)
11 「セクシュアル・ハラスメント」
― 女性への暴力を可視化させたことば(丹羽雅代)
12 私の名前・あなたの名前
― 同姓が示す家族像(中村桃子)

●Ⅴ ディスコース研究のアプローチと方法(林 礼子)

BOX1 ホモソーシャルな「おれ」と「おまえ」(小林美恵子)
BOX2 『源氏物語』にみるジェンダーとことば(佐藤勢紀子
BOX3 テレビ漫画主題歌とジェンダー(北川純子)
BOX4 ジェンダーからみた『古今集
― 「美」の規範という幻惑(近藤みゆき)
BOX5 「レズビアン」の概念史
― 戦後、大衆娯楽雑誌における(杉浦郁子)
BOX6 「少女」の誕生と「少女文化」のことば(久米依子
BOX7 「ジェンダー」ということばをめぐる攻防(井上輝子)

ちゅーりつ:よね、じゃない、かな133
ぽらいとねす お ほんしつしゅぎ に かたる こと で、 じぇんだー の へげもにー お いじさせよー と する。
177 れずびあんてくにっく とゆー かたり に よる さべつ の いじ。ぽるのぐらふぃっく、 へてろ おとこ の きょーそーあいて として の れずびあん(70-80ねんだい)
ぎでんず・あんそにー『親密性の変容――近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』
ほーげん が おんならしくない と される。 ひょーじんご に じょせいよー が できた こと で、 ほーげん わ かくさげ される()55-56