さいとー・ま

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さいとう・まの。おしごとは manoestasmanoあっとgmail.com (あっとを いれかえてください)まで。

トランス男性から性の旧体制への手紙

ポール・B・プレシア―ドが2018年にリベラシオンという日刊紙に発表した記事「トランス男性から性の旧体制への手紙」を訳した。
この日本語訳は2020/11/2に公開し、その後一度非公開にした。2022/9/19に再び公開することになった。

この記事は、ル・モンドで公開された« Nous défendons une liberté d’importuner, indispensable à la liberté sexuelle ». (2018, January 9). Le Monde. Retrieved November 2, 2020 from https://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html という声明文に反対して書かれた。この声明文は美術評論家のカトリーヌ・ミレ(Catherine Millet, 1948-)、俳優で歌手のイングリット・カーフェン(Ingrid Caven, 1938-)、俳優のカトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve, 1943-)など100人の女性の共同投書であり、題名は「性の自由に不可欠な、言い寄って迷惑をかける自由を擁護する」という意味である。性被害を受けたことを告白する#MeToo(私も)運動やフランスの#BalanceTonPorc(ブタ野郎を叩き出せ)運動が過激になりすぎて性的潔癖主義(puritanisme)になっているとして批判した。日本語訳は[時事]カトリーヌ・ドヌーヴら100人の女性が過剰なセクハラ告発を批判 - 明るい部屋:映画についての覚書https://pop1280.hatenablog.com/entry/20180111/1515642108#f-b4c513bd)やラカン派 精神分析家 小笠原晋也のブログ: 「わたしたちはハラスメントの自由を擁護する ‒ 性の自由に不可欠だから」翻訳http://ogswrs.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)で読める。
スペイン出身の哲学者でありアートキュレーターでもあるポール・B・プレシア―ドは異性愛主義のひどさについて論じ、欲望を変える必要性について論じながら、この声明文を批判している。

原文は Preciado, B. P. (2018, January 16) . Lettre d’un homme trans à l’ancien régime sexuel. In Libération. Retrieved October 31, 2020, from https://www.liberation.fr/debats/2018/01/16/lettre-d-un-homme-trans-a-l-ancien-regime-sexuel_1622879*1
www.liberation.fr

https://www.textezurkunst.de/articles/letter-trans-man-old-sexual-regime-paul-b-preciado/https://revistaidees.cat/en/carta-dun-home-trans-a-lantic-regim-sexual/の二つの英語の訳も確認した。

トランス男性から性の旧体制への手紙


2018年1月15日
ポール・B・プレシア―ド

ル・モンドで公開された物議をかもす声明文*2に反対して、ポール・B・プレシア―ドは、男性を加害者の立場にとどめ、女性を被害者の立場にとどめる異性愛のグロテスクな美的基準*3を暴く。

みなさまへ、女性の方々も、男性の方々も、それ以外の方々も。

私はセクシュアル・ハラスメントの政治についての銃撃戦のただなかで、「男性」の世界と「女性」の世界という(ちゃんとは存在しえないでしょうが、ジェンダーベルリンの壁のようなもので分け続けようとする人もいるような)二つの世界の間の運び屋として発言することで、あなた方に密航中の「拾得物」、より正確に言えば「遺失人」の立場からの情報を知ってもらいたいと思います。

私はここで、支配階級に属するであろう男性として、生まれた時に男性というジェンダーを割り当てられ、統治階級の一員として教育されてきた人々の一人として、権利を与えられた人々、より正確に言えば男性的主権を行使するよう(そして次のことが面白い分析の鍵になるのですが)求められた、そういう人々の一人として話すわけではありません。私は女性として話すわけでもありません、自発的かつ意図的にその政治的で社会的な体現形態を捨てた以上は。私はここでトランス男性として自分の考えを述べます。それゆえどんな集団であろうとその代表を務めるつもりは全然ありません。異性愛者としても同性愛者としても話すことはできないのです。二つの立場を知っていてその二つの立場に居るにもかからわず、です。というのも、ある者がトランスである場合、これらのカテゴリーはもはや使われなくなるのですから。私が話すのは、ジェンダーの裏切り移転する者として、セクシュアリティーから逃亡する者として、性的差異の体制に(前もっての決まりごとがないため、時にぎこちなく)反逆する者としてです。まだ主題化されてないにしても壁の両側を生きる体験をし、あまりに日常的に越えているので、異性愛的家父長的な体制が押し付ける決まりや欲望の御しがたい変わらなさに、そうです、男性のみなさん、女性のみなさん、その変わらなさにあきあきしはじめた、性的政治の自己モルモット*4としてなのです。

私がレズビアン女性としての体験から想像していたよりも、事態はかなりよくないと壁の反対側から言わせてください。まるで-男性-の-よう-に*5、男性の世界に居るようになってから(それはある政治的フィクションを体現していることを自覚しながらですが)、(男性的で異性愛的な)支配階級は特権を放棄することはないのは、私たちが数多のツイートをして、叫び声をちょっとあげているからだということを確かめることができました。20世紀の性革命と反植民地革命の衝撃以来、異性愛的家父長制が乗り出したのは対抗改革の計画――「言い寄って迷惑をかけられ/邪魔され」続けたいと考える「女性」の発言者が今や組するようになる計画でした。再生産=生殖の政治と、人間身体が主権的主体として構成されるプロセスに悪い影響を与えることを考慮すると、それは千年にわたる戦い、最も長い戦いになるでしょう。事実、それが最も重要な戦いになるのは、賭けられているのが領土でも自治体でもなく、身体と快楽と生であるからです。

ロボコップ*6とエイリアン

技術的家父長的で異性愛中心主義的である私たちの社会での男性の立場の特徴は、男性的主権が(女性、子供、非白人男性、動物、地球全体への)暴力の技術の正当な利用によって規定されているということです。バトラー*7ウェーバー*8を読めば、社会にとっての男性性は、国民にとっての国のようなものである、つまり暴力の所持者であり正当な利用者であると言い得るかもしれません。この暴力は社会的には支配という形で、経済的には特権という形で、性的には加害と強姦という形で現れます。反対に女性的主権は子供をなす女性の能力と結びつけられています。女性は性的にそして社会的に隷属させられています。母のみが主権を持つのです。この体制のただ中で、男性性は(死をもたらしてもよいという男性の権利によって)死政治的に規定されるのに対して、女性性は(生をもたらさなくてはならないという女性の義務によって)生政治的に規定されます。死政治的異性愛について言えるかもしれないことは、それはロボコップとエイリアンの交尾をエロくするユートピアのようなものであるということです。その時次のように考えられるかもしれません。うまくいけばどっちかはイって……と。

異性愛は、ウィティッグ*9が明らかにするように、統治体制であるだけでなく、欲望の政治でもあります。この体制の特殊性はこの体制が「自由な」性的行為者の間の恋愛的な依存と誘惑のプロセスとして体現されるというところにあります。ロボコップの立場とエイリアンの立場は個人的に選ばれているのではなく、意識的ではないのです。死政治的異性愛は、統治する者たち(男性)によって被統治者たち(女性)に押し付けられるというわけではないような統治実践なのですが、むしろ内的制御*10という間接的な手段で男性と女性のそれぞれの規定と立場を定める認識論なのです。この統治実践は法の形をとりませんが、書かれない規範の形をとり、セクシュアリティーの実践においてできることとできないことの間の分割を確立するという効果を生むような、振る舞いと決まりごととのやり取りの形をとります。性的隷属のこの形式は、誘惑の美的基準、欲望の定型化、権力差をエロくして永続化するような、歴史的に構築され決まりごとにまとめられた支配の上に立脚しています。*11 この欲望の政治は、女性のエンパワーメントと民主化の法的進展にもかかわらず、「セックス/ジェンダー」の旧体制を生き生きと保つものなのです。この死政治的異性愛的体制は啓蒙の時代の封建的家臣制と奴隷制度と同じくらい下劣で破壊的です。

欲望を修正しなければならない

私たちが体験している暴力の告発と可視化のプロセスがその一部となる性革命は、遅く回りくどいのに反して避けられるものではありません。クィアフェミニズムは認識論的変容を社会変革の可能性の条件として位置づけました。セックスとジェンダーセクシュアリティーの簡略化できない多様性が存在することを主張することで、二元的認識論とジェンダーの自然化を問題にすることが重要でした。リビドー的変容は認識論的変容と同様に重要である、つまり欲望を修正しなければいけないと今は考えられています。性的自由を欲望することを身に着けなればなりません。私たちはブッチ・フェム文化とBDSM*12文化から、ジョーン・ネスル*13とパット・カリフィア*14とゲイル・ルービン*15とともに、アニー・スプリンクル*16とベス・ステファンス*17とともに、ギヨーム・デュスタン*18とヴィルジニー・デパント*19とともに、セクシュアリティーが、解剖的構造によってではなく欲望によってシナリオが書かれるような政治的舞台であることを知りました。セクシュアリティーの舞台的フィクションの内部なら、靴底を舐めたいと思うことも、あらゆる開口部から突っ込まれたいと思うことも、性的獲物かのように森で恋人を追い立てることも可能です。しかし、クィアな美的基準と旧体制の異性愛的規範化*20の美的基準を分けている違いのある二つの要素が、性的立場の非自然化と自覚なのです。権力の再分配と身体の対等性です。

異性愛の美的基準

トランス男性として、支配的男性性とその死政治的な規定と反同一化しています。最も緊急なことは私たちがそうであるところのもの(男性や女性)を守ることではなく、それを拒否すること、規範を欲望し再生産するように強いる政治的強制*21と反・同一化することなのです。私たちの政治的実践*22ジェンダーセクシュアリティーの規範に従わないことです。私は人生の大半でレズビアンであって、そしてここ五年はトランスであり、ラサで浮遊している仏教の僧侶がカルフール*23のスーパーと縁遠いぐらい、私はあなた方の異性愛の美的基準と縁遠いのです。あなた方の性の旧体制の美的基準では性的快楽を味わうことはありません。誰に対してであろうと公共交通機関で女性の尻を手で触ることで私の性的貧困から抜け出ることに興味はありません*24。あなた方、つまり性交して*25尻を触るために権力の立場を利用するやつらが提案するエロくて性的なキッチュ*26にいかなる類の欲望も感じません。死政治的異性愛のグロテスクで凶悪な美的基準に吐き気を催します。性的差異を再・自然化し、男性を加害者の立場に置き、女性を(苦しそうに感謝するか、喜んで言い寄られて迷惑をかけられる)被害者の立場に置く、そんな美的基準には。

私たちはクィアとトランスの文化でならより上手くより多くの回数ヤれると主張することが可能であるのは、一方で私たちがセクシュアリティーを再生産=生殖の領域から分離したからであり、特に私たちがジェンダーの領域から解放されているからなのです。クィアでトランスフェミニズム的な文化はいかなる暴力形態から逃れているとは言いません。闇がないセクシュアリティーなどありません。しかし(不平等と暴力という)闇が最も重要であり、いかなるセクシュアリティーをも決定すると言う必要はありません。

性の旧体制の代表者の方々、男性の方々も、女性の方々も、あなた方の闇をなんとかしてみてくださいand have fun with it 〔そして闇と性的に楽しんでください〕、そして私たちの死者を埋葬させてください。あなた方の支配の美的基準を楽しんでください。しかし、あなた方のやり方を法にしようとしないでください。そして、私たち自身の欲望の政治でもってヤらせてください。男性も女性もなしに、ペニスもヴァギナもなしに、斧も銃もなしに。

哲学者、ポール・B・プレシアードより
さいとー・まが日本語に訳した。

*1:ほとんど同じ文章が2018年1月15日に公開されたhttps://www.liberation.fr/debats/2018/01/15/lettre-d-un-homme-trans-a-l-ancien-regime-sexuel_1622570にもある。しかし、誤植と考えられる表現がいくつかあるので、訂正された翌日の2018年1月16日の記事(https://www.liberation.fr/debats/2018/01/16/lettre-d-un-homme-trans-a-l-ancien-regime-sexuel_1622879)を翻訳に使った。ただし、2018年1月16日の記事にはないが、読むのに便利な小題(「ロボコップとエイリアン」、「欲望を修正しなければならない」、「異性愛の美的基準」)と段落分けは2018年1月15日の記事を参照して訳した。

*2:上述の通り、ル・モンドで公開された物議をかもす声明文とは« Nous défendons une liberté d’importuner, indispensable à la liberté sexuelle ». (2018, January 9). Le Monde. Retrieved November 2, 2020 from https://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html だと考えられる。美術評論家のカトリーヌ・ミレ(Catherine Millet, 1948-)、俳優で歌手のイングリット・カーフェン(Ingrid Caven, 1938-)、俳優のカトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve, 1943-)など100人の女性の共同投書であり、題名は「性の自由に不可欠な、言い寄って迷惑をかける自由を擁護する」という意味である。性被害を受けたことを告白する#MeToo(私も)運動やフランスの#BalanceTonPorc(ブタ野郎を叩き出せ)運動が過激になりすぎて性的潔癖主義(puritanisme)になっているとして批判した。日本語訳は[時事]カトリーヌ・ドヌーヴら100人の女性が過剰なセクハラ告発を批判 - 明るい部屋:映画についての覚書https://pop1280.hatenablog.com/entry/20180111/1515642108#f-b4c513bd)やラカン派 精神分析家 小笠原晋也のブログ: 「わたしたちはハラスメントの自由を擁護する ‒ 性の自由に不可欠だから」翻訳http://ogswrs.blogspot.com/2018/01/blog-post.html)で読める。

*3:l'esthétique

*4:auto-cobaye。 政治的主体となりたいと思う者が自分自身の実験動物となることから始めるという原則に基づいて、「自己モルモット」の哲学者たるプレシア―ドは自身のトランスの身体を性的二元論を批判するための道具として使っている。

*5:comme-si-j’étais-un-homme

*6:ロボコップとは、1987年にアメリカ合衆国で公開された映画『ロボコップ』に登場する警官の遺体を利用したサイボーグの警官である。

*7:Judith Butler、ジュディス・バトラー(1956-)。アメリカ合衆国フェミニズムクィア哲学者。

*8:Max Weberマックス・ウェーバー(1864-1920)。ドイツの社会学者。

*9:Monique Wittig、モニク・ウィティッグ(1935-2003)。フランスのフェミニズム理論家。

*10:une régulation interne

*11:以下は該当部分のhttps://revistaidees.cat/en/carta-dun-home-trans-a-lantic-regim-sexual/ における英訳の日本語訳である。「性的隷属のこの形式は、誘惑の美的基準、欲望の定型化、快楽の振り付けの上に立脚しています。この体制は自然ではありません。この体制は権力差をエロくして永続化するような、歴史的に構築され決まりごとにまとめられた支配の美的基準です。」

*12:BDSMは、Bondage(ボンデージ、捕らわれ)、Discipline(ディシプリン、懲戒)、Sadism(サディズム、加虐性愛) 、 Masochism (マゾヒズム、被虐性愛)の頭文字をつなげた言葉である。

*13:Joan Nestle、ジョーン・ネスル(1940-)。アメリカ合衆国レズビアンフェミニストの活動家。

*14:Pat Califia、パット・カリフィア(1954-)。2020年現在ではパトリック・カリフィアと名乗っている。アメリカ合衆国トランスジェンダー活動家、レズビアンSM作家。

*15:Gayle Rubin、ゲイル・ルービン(1949-)。アメリカ合衆国文化人類学者。

*16:Annie Sprinkle、アニースプリンクル(1954-)。アメリカ合衆国のポルノ女優、パーフォーマンスアーティスト、性教育者。後述のベス・ステファンスのパートナー。

*17:Beth Stephens、ベス・ステファンス(1960-)。アメリカ合衆国の芸術家。前述のアニー・スプリンクルのパートナー

*18:Guillaume Dustan、ギヨーム・デュスタン(1965-2005)。フランスのゲイ作家。

*19:Virginie Despentes、ヴィルジニー・デパント(1969-)。フランスの作家。

*20: l’hétéro normation

*21:la coertion politique

*22:praxis

*23:Carrefour(カルフール)はフランスを中心とした大きなスーパーの会社である。日本ではカルフール・ジャパンはイオンに吸収合併された。

*24:「性の自由に不可欠な、言い寄って迷惑をかける自由を擁護する」(« Nous défendons une liberté d’importuner, indispensable à la liberté sexuelle »、 https://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)の「女性は、自分の給料が男性の給料と違いがないように注意を払う一方で、地下鉄の痴漢に(たとえそれが犯罪であったとしても)決して心を傷つけられたりしないでいることもできるのです。女性は、それを大いなる性的貧困の表れとみなし、それどころか、とるに足らないこととみなすことさえできるのです」(https://pop1280.hatenablog.com/entry/20180111/1515642108#f-b4c513bd)を参照すること。

*25:tirer un coup

*26:キッチュ(le kitch)とは、大衆に迎合するまがいものという意味である。