さいとー・ま

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動物倫理読書会01

『動物倫理の最前線』のメモ。
序論
・ある差別に反対する規範による差別。

・西洋に偏る動物倫理の研究
西洋の動物の権利の否定的状況、工場畜産などに対する反動。
学問はそもそも植民地主義的である。
英語圏の研究と思っている英語圏の研究者。国際言語として受け入れていると思っていない。日本の研究者は日本の研究をすればいいという台詞をよく聞く。
・動物の死に関わる職業と差別のつながり
日本の被差別部落
インドのカースト外のダリット
モーセ五書のあいまいさ
デリダの動物の議論。
・宗教的な菜食は多様で、禁欲、健康、倫理などいろいろあるはず。人間の輪廻転生では人間中心的。
・prohibitionism
お酒を禁止しよう。というプロテスタントの禁欲主義。
ストロングゼロなどを禁止するべきだという社会的困難の増悪を反対する現代の運動。
これらの関連がどうなっているか。目指しているところは似ているが、全然違う論理がまざっている。

・解放
囚われること。権利との違い。
・「動物擁護」は珍しい語彙
protection よく、動物保護
動物愛護は日本独特の観点。
・「動物虐待」の虐待という言葉は暴力の行使とは違って、様々なフレームが確認できる。
子どもの虐待とのつながりなど。
虐待は、弱い立場にあるひとに暴力を行使するというフレームである。
小児性愛者を逸脱とする際に子供と性的関係にあることは虐待であり暴力であるというフレーム。
「女性にも虐待という言葉を使うべき」という界隈がある。
権力の非対称を重視するべきだが、弱さのレッテルに近いと思って違和感がある。
取扱いを問題視できないことになりそう。
保護による権利の剥奪を批判できなそう。
廃絶主義は、「適切な保護」も批判していく。
・「動物搾取の伝統」
・野蛮な地元文化を廃止するという動機も動物保護にはでてくる。
動物擁護=利他精神はいえない。最初は少なくとも植民地主義
・倫理が徳から加害の否定へ?
徳倫理はお化け的なところがある。徳から徳以外にシフトしてきた。古代ギリシアの人間のよしあしは徳で勇敢、誠実がすぐれているとされてきた。もつべき特徴、スタンス、生き方である。有徳であるべき。その方が幸せ。義務があるという方に出てくる。人のモノを取ることの禁止は所有権とかで説明する方が社会設計にやりやすい。幸福や快楽の方が徳より分かりやすくなる。けど、世界から加害を減らすとなったとき、加害に敏感であることが人間の正しい姿なのだ、となると徳倫理になっていく。暴力を減らそうとする、という徳として出てくる。徳倫理がすたれてきたが、加害とかがでてきても徳が回帰してくる。
・本当に西洋だけでもりあがっているのか?
権利が西洋的な考え方だから、文化地域で思考やシステムができていなくても、独自の論理で権利が守られることはあるということがある。それを権利と合致しないから問題のある地域とされることがある。西洋が構築してきた概念にあうのかどうかは関係しそう。