さいとー・ま

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さいとう・まの。おしごとは manoestasmanoあっとgmail.com (あっとを いれかえてください)まで。

リッチ『女から生まれる』読書会05

アドリエンヌ・リッチ高橋茅香子(たかはし・ちかこ)訳), 1990, 『女から生まれる』晶文社(しょうぶんしゃ).
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hunihunisaito.hatenablog.com
今回→
hunihunisaito.hatenablog.com

www.fukkan.com

107頁から。5節から。

要約

5
1950年代家父長制を批判する男たちは、女性的なものへの回帰とかを論じているが、結局家父長制的である。女性を周辺的と捉える理論家も女性が反抗できないと言う。これらの人々は家父長制をちゃんと分析していない。家父長制が男たちを抑圧しているという感覚により1960年代はカウンターカルチャーが起こった。しかし、1970年代にはナチスよりの家父長制に戻っていった。
6
フェミニズムの運動はいろんな形態があるが、社会全体の変革を伴う。

コメント

マルクーゼ

「ハーバード・マルキューゼ」は、ヘルベルト・マルクーゼのこと。技術について論じた。理性批判をした。

よくいるアンチフェミニスト

「家父長制は悪いと思うけど、フェミニストが批判するような暴君みたいな父親はいなくて」というような流れからの「ちゃんとフェミニストしようよ」的なフェミニスト鑑定士が昔からいるのだと思った。
メディアによってフェミニストは揶揄されていただろう。

新左翼の男性中心のモテ

従軍に対するノーこそが、女にもてる(女がイエスという)のだということを示している。

ナチズム

ナチズムの登場。
父親のような男にならないという反体制的な学生運動が、性差別を内在していて、ナチスへの美学を見出すという方に行ったのだ。反体制的といっていて、究極のセクシズムに行きついた。
アメリカにおける話であって、ドイツでは別の流れにある。

70年代西ドイツでナチズムの再流行が起きた?
「それは、おりしも 72 年、73 年にアメリカでブームとなっていた第二次世界大戦ヒトラーに関する様々な書籍が、西ドイツにも流れ込んでいたことが伏線となっていた。」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8377471
プレシアドは拷問器具からSMの快楽のための道具への転換を肯定的に扱って、道具が目的を変えて使われることを評価している。
ソンタグを利用したリッチのように家父長制の繰り返しと見る方がいいかは、ひとつひとつを確認する必要があるだろう。
「「だが、なぜなのか」とスーザン・ソンタグは問う。「性的なものを抑圧した社会であったナチス・ドイツが、なぜエロス化されてしまったのか。同性愛者を取り締まった体制が、どうして同性愛者を興奮させるのか」(スーザン・ソンタグファシズムの魅力』富山太佳夫訳 晶文社)」
https://ryota-t.tripod.com/art/art-breker.htm


リッチによる位置づけ

ラディカルフェミニズムの運動や進展のなかにリッチが自身を位置づけていた。新左翼からうまれたラディカル・フェミニズムという認識。SDSは運動体として運動を強めて、根っこにある。
ニューヨーク・ラディカル・ウィメンはSDSからでてくる。結局左翼運動、社会主義者はセクシストばかりで、資本主義よりセクシストのほうが根深いと考えるようになった、母体。
田中美津(たなかみつ)も東大闘争から起きている。新左翼運動から出てきたラディカルフェミニズムという流れが当時のリッチも考えていたのだな
Moving the mountain
リッチは教育に対する反発を家父長制的なものの反発として描いていて、評価しているようにも読める。

服装

ヒッピーの服装は分析が足りなかった。
スーツとかが特権を示す服装である。

サン・シモン主義

近年の服飾史研究は、社会的・文化的性差の問題に光を当てた。例えば、肌着の社会史的な意義も明らかにされている。フランスの18世紀後半の女性は、今日のショーツにあたる下ばきを着けておらず、胴はコルセットで締めつけていた。綿製の下ばきが19世紀半ばにイギリスから伝えられると、サン=シモンはその着用が女性に自由な立ち居振る舞いを許すことに注目し、これを推奨した。しかしその一般化は、産業革命によって綿製品が普及した後の19世紀末のことであった。一方、コルセットはフランス革命期に一時着けられなくなるとはいえ、その後も19世紀を通じて女性の身体を締め続けた。しかし20世紀初頭、多くの女性たちが働きやすさを求めたので、コルセットは廃れていった
http://www.y-history.net/appendix/wh1201-084.html

両性具有
両性具有についてのリッチの見解
4節5節の位置づけ

4では、出生率とかの話をしている運動が家父長制的で女のことを考えている訳ではないことを指摘し(つまり家父長制をテーマにしていないところでも家父長制があることを指摘し)、5では社会運動が家父長制に反発しているように見せかけながらも実際のところ反発できていないことを書いている(家父長制に反対するという名目があっても家父長制があることを指摘している)。
家父長制の枠内の男性の話。

フェミニズムの歴史の語り方

リッチは1960年代からフェミニズムが今の形(1970年代の形)になったと考えていそう。
フェミニズムもいろんな形の団体があったことを指摘しているところが素敵だと思った。
ラディカルフェミニズムのなかに位置づけられると現代なら考えて、問題と意義を考えるが、この当時は評価も定まらないなかで引かれている。
ラディカルフェミニズムは、性差別を根本に置くことを基本としているか?それは危うい気がする。
差別の序列化はいろいろあって、資本主義を中心に置くとか。
特定の分野の抑圧を優先的解決にすることを乗り越えていく概念としてのインターセクショナリティがある。
なんで、特定の分野の抑圧を優先する。
団体が関わってきそう。より多くの人の参加を目指そうとするけれど、すべての差別に反対できるかというと意見の食い違いが起こる。
第二波フェミニズムは、男性中心的な左派運動へのカウンターの盛り上がりとしてあると思う。
これまで貧困などの資本主義の問題とされてきたのに対して、「これ(性差別)こそが真の原因だ」とアジる必要があったのかもしれない。
「これこそが」と「それもあるよね」の対比。
あべやすし「足し算の思考」
なぜ「これこそが」と言いたがるのか。

訳の検討

1

Much might be written on the various costumes in which male privilege and male superemacism have masked, as well as advertised, themselves in our time.
78

「男の特権や男の至上主義がこの現代で自分自身を誇示したり、隠したりするさまざまな服装についてはもっと書かれてもいい」(109)
男の特権や男の至上主義がこの現代で宣伝されたり、隠されたりするさまざまな服装についてはもっと書かれてもいい。

人物紹介

デニス・ド・ルージュモン

ドニ・ド・ルージュモン(Denis de Rougemont)(1906-1985):スイスの思想家。1930年代の非順応主義者(青年右翼、新秩序、エスプリ)。『愛について』(1939)を書いた。

エーリッヒ・ノイマン

Erich Neumann(1905-1960):ユング派の精神分析家。『女性の深層』や『意識の起源史』(1949)を書いた。

カール・スターン

Karl Stern (1906 - 1975):ユダヤ人でカトリックに転向したフロイト説の神経学者。 The Flight from Woman(1965)を書いた。

ロバート・ブライ

Robert Elwood Bly(1926-):シュールレアリスムの詩人。『ベトナム戦争反対の詩』(1967)など。

フィリップ・スレーター

Philip Slater(1927-2013):アメリカの社会学者。

自我の確立・個性の発見を求める近代の理念〈個人主義〉が資本主義経済の推進力として機能し、かえって人間を孤立させるにいたった経緯を現代アメリカの異様な相貌の下に描出する。共生感覚の甦生を訴える一億総デラシネ化が進行する日本の近未来を予言する卓抜な現代論。
https://www.shinsensha.com/books/554/

エリザベス・オークス=スミス

Elizabeth Oakes Smith (1806 – 1893):フェミニスト。作家。

1840 年代と 1850 年代に女性の権利運動が勢いを増すと、彼女はその運動に身を投じました。スーザン・B・アンソニーのような指導者たちからは、派手な服装と伝統的で女性らしい外見で解雇されたものの、彼女はニューヨーク・トリビューンに「女性と彼女のニーズ」というタイトルの連載を書き、その中で次のように書いています。暖炉のそばにいて資格を持っているので、彼らは神ご自身から、このより広い分野に出て行く任務を負っています。」1851年、彼女は公開講演ツアーに参加した最初の女性となり、刑務所の改革、廃止、および女性の権利について話しました.
https://librarycompany.org/women/portraits/smith.htm
(グーグル翻訳)

メアリー・デイリー

Mary Daly(1928-2010):神学者、ラディカル・フェミニスト。『教会と第二の性』(1968)を書いた。
ja.wikipedia.org

デイリーの見解はトランスフォビア的であるとして批判を受けている[15][16][17][18]。『ガイン/エコロジー』で、デイリーはトランスジェンダー女性を「フランケンシュタイン現象」と呼び、「トランスセクシュアリズムは女性の世界を代替物で侵略しようとする、男性による外科的種付けの例である[19]」と述べた。デイリーは、博士論文を1979年に『トランスセクシュアルの帝国』 (The Transsexual Empire) として刊行したジャニス・レイモンドの指導教員である[20]。このようなデイリーの思想を、キャメロン・パートリッジは「トランスジェンダー女性の非人間化[21]」だと批判している。
15^ Stryker, Susan (1994). “My Words to Victor Frankenstein Above the Village of Chamounix: Performing Transgender Rage” (英語). GLQ: A Journal of Lesbian and Gay Studies 1 (3): 237–254. doi:10.1215/10642684-1-3-237. ISSN 1064-2684.
16^ Connell, Raewyn (2012). “Transsexual Women and Feminist Thought: Toward New Understanding and New Politics” (英語). Signs: Journal of Women in Culture and Society 37 (4): 857–881. doi:10.1086/664478. ISSN 0097-9740.
17^ Cornwall, Susannah (2012). “Recognizing the Full Spectrum of Gender? Transgender, Intersex and the Futures of Feminist Theology” (英語). Feminist Theology 20 (3): 236–241. doi:10.1177/0966735012436895. ISSN 0966-7350.
18^ Max Strassfeld (2018). “Transing Religious Studies”. Journal of Feminist Studies in Religion 34 (1): 37. doi:10.2979/jfemistudreli.34.1.05.
19^ Daly, Mary, Gyn/Ecology: The Metaethics of Radical Feminism (Boston, Mass.: Beacon Press, pbk. [1st printing? printing of [19]90?] 1978 & 1990 (prob. all content except New Intergalactic Introduction 1978 & prob. New Intergalactic Introduction 1990) (0-8070-1413-3)), pp. 70–71 (page break within ellipsis between sentences) (New Intergalactic Introduction is separate from Introduction: The Metapatriarchal Journey of Exorcism and Ecstasy).
20^ Highleyman, Liz (2010年1月7日). “Feminist theologian Mary Daly dies”. The Bay Area Reporter 2015年9月27日閲覧。
21^ Cameron Partridge (2018). ““Scotch-Taped Together”: Anti-“Androgyny” Rhetoric, Transmisogyny, and the Transing of Religious Studies”. Journal of Feminist Studies in Religion 34 (1): 68-75. doi:10.2979/jfemistudreli.34.1.09.