さいとー・ま

さいとー・ま

さいとう・まの。おしごとは manoestasmanoあっとgmail.com (あっとを いれかえてください)まで。

ひらがなで かく ことの いみ

さいとう・まの です。
ひらがなで かく ことの いみに ついて かきます。そのために、 ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷ という いべんとに ついて まず かきます。

2026ねん 8がつ 1にちと 2にちに ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷが ありました。
https://japanfeministphilosophy.weebly.com/
japanfeministphilosophy.weebly.com

ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷは、 うぃとげんしゅたいんの けんきゅうを している まきの・さおり【槇野沙央理】 さんが ちゅうしんに しゅさいと なって かいさいされました。

まきの さん への おつかれさま、 ありがとうの はなたばに わたくし、 さいとう・まのも かかわらせてもらいました。きいろと あかの すてきな はなたば です。
https://x.com/i/status/2083921080771883082

とても よい いべんと でした。ありがとうございます! なんどでも いいたい、 ありがたいです!
わたしは、 さんかしゃ として、 ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷを れきしてきな いべんと であったと いいたいと おもいます。それは みっつの りゆう から です。

だいいちに、 ふぇみにすと てつがくが けんきゅうしにくい にほんに おいて、 ふぇみにすと てつがくに かかわる ひとが あつまる ことが できた から です。とはいえ、 あつまる ことが できた ひとと あつまれなかった そんざいが わかれた ことにも ちゅういが ひつよう です。
だいにに、 ふぇみにすとてつがくの けんきゅうが はってんした から です。さんかしゃは みなが ふぇみにすとてつがくを ほんぎょうに していた わけでは ありません。わたくしの ように しゃかいがくの ひとも いれば、 いろんな ひとが います。そのなかで、 ふぇみにすとてつがくの いべんとが ある ことで、 あきらかに ふぇみにすとてつがくが すすんだと いえる でしょう。ちなみに、 いちばん おおい てーまは にんしきてきふせいぎに ついての ぎろんだったと おもいます。
だいさんに、 けんきゅうの ための いべんとを より あんぜんに する ような どりょくを とうぜんの ように おこなっていた から です。 おやこ きゅうけいしつが あり、 ゆーでぃーとーくを つかっていましたし、 じぜんの しりょうの きょうゆうも ありました。より あんぜんな くうかんに する ための ちゅういじこうも まいかい よみあげられていました。だいじ!もちろん、 このような どりょくは ぎむでしか ありませんが、 ぎむを おこたる いべんとが おおい なかで、 じゅうようです。

ここまでが おおくの そんざいに とって れきしてきである りゆう です。

そして、 ここから、わたしに とって いかに れきしてきな いべんと だったかを かきます。

わたしは 2019ねん ごろ から ひらがなで かく ことを はじめました。それから 2026ねん げんざい まで ずっと ひらがなで かく という かつどうを してきましたが、 こんかいの いべんとが いちばん はんのうが よかったです。

まず、わたしが ひらがなで かく ことの いみは、 さべつに はんたいする ことを しらしめる ため です。

にほんごに おける もじとしてのかんじは、 さべつてき です。なぜなら、 さべつされている そんざいが もじによる じょうほうに あくせす する はーどるを あげる から です。くわしくは、 つぎの むかしの ぶんしょうを みてください。

https://hunihunisaito.hatenablog.com/entry/hiragana01
hunihunisaito.hatenablog.com
https://hunihunisaito.hatenablog.com/entry/hriagana02
hunihunisaito.hatenablog.com
また いつか ひらがなで かくことに ついての あたらしく もっと うまい ぶんしょうを かきたいなと おもっています。

にほんごにおける もじとしてのかんじの もんだいてんを つたえる ためには、 わたしに とっては ひらがなのみで かく ことが てきせつだと おのれは かんがえています。もちろん、 そんざい それぞれに とって てきせつな やりかたは あると おもいます。

なぜ、 わたくしに とって、 ひらがな のみで かく ことが てきせつか かいていきます。
だいいちに、 かんじかなまじりの ぶんしょうで かく ことと ふたんが おなじくらい です。るびと よばれる よみがなを つける ことが できる ならば、もじとしてのかんじに かんする じょうほうの あくせす という いみでは おそらく それが いちばん よい です。しかし、 るび としての よみがなを つけるのは、 とても ふたんが おもいです。とくに、 いんたーねっとに おいて ぶんしょうを かく ばあいは、 なかなか たいへん です。ふぁいるに する ならば、 さいきん、 るびとしての よみがなを じどうで つけてくれる ほうほうも でてきました。えーあいの へんかに よって かのうに なりました。たとえば、 つぎの さいと など です。
https://furigana.e-edu.jp/
furigana.e-edu.jp

しかし、 それでも おくりがなが ただしいのかの かくにんが ひつようですから、 たいへんです。それに くらべて、ひらがなで かく ことは、 かんじかなまじりで かく ことと おなじくらいの ふたんで すみます。もちろん、 ひらがなのみの ぶんしょうに なれる ことが ひつよう ですが、 それは かんじかなまじりの ぶんしょうに なれる ための じかんの ほうが おおかったの ですから、しかたないです。さらに もちろん、 そんざい それぞれに とって、 なれる ための ふたんは ことなります。

だいにに、 ひらがなのみで かく ことは おおきな えいきょうを およぼせます。おおくの ばあい、 わたくしが かいた ぶんしょうを みると、 おどろく そんざいが おおい です。こんかいの いべんと でも、 はっぴょうの ときの しつもんで いっかい、 それいがいの ときで ごかい ぐらい しつもん されました。ありがたい こと です。このように おどろきを もたらす ことは、 さべつを かえていく ために ひつような こと だと おもっています。もちろん、 この おどろき だけで しゃかいは かわる わけでは ありませんが、 この おどろきを りようして、 しゃかいを かえる きっかけに つかってもらえます。
とくに、 こんかいの いべんと では、 るびを つける そんざいが おおかった です。なんにんかの そんざいの いうところに よると、 わたくしが じぜんの しりょうの きょうゆうで ひらがな のみの しりょうと、 かんじかなまじりの しりょうを だした ことが えいきょうした らしい です。もちろん、 おせじの かのうせいも たかく、 もとから るびを つける つもりだった そんざいも いる でしょう。わたしの おかげか どうかは ともかく、 もじとしてのかんじの もんだいてんを きょうゆうしてくれる そんざいが これまで いじょうに あらわれた ことは とても うれしかったです。かんしゃ。
そして、 このような かきかたを かのうに してくれたのは、 ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷ という いべんと そのもの でした。ほかの がくじゅつてきな いべんと では できない でしょう。 じっさい、 わたしは ほかの いべんとに でる ときは、 かんじかなまじりを つかって もうしこみます。ひらがなのみで かいたら、 いべんとへの さんかを ことわられる かもしれませんからね。ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷは、 そのてん、 しんらい できました。それは しゅさいしゃ たちの ことを じぶんが しっていた から という のも りゆうの ひとつ です。そのため、 わたくしに とって、 ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷは れきしてきな いべんと だったのです。

わたしは いつも ひらがなのみで かきたがってきましたが、 さまざまな えらい そんざい から、 かんじかなまじりで かく ように、 という めいれいを うけてきました。ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷが なければ、がくじゅつ はっぴょうを ひらがなのみの ぶんしょうで おこなう という ことは、 けっして なかったでしょう。ふぇみにすとてつがくわーくしょっぷが あった から こそ、 2026ねん という はやい だんかいで、 ひらがなのみの ぶんしょうでの かつどうが がくじゅつの ばしょで できました。これからも ひろげていきたいです。

だいさんに、なぜ ひらがなのみで かくのかと しつもんしてくれる ので、 それに こたえる ことで ふくすうの そんざいに にほんごに おける もじとしてのかんじの もんだいてんを つたえる ことが できます。これが、 るびで おくりがなを つける こと との ちがい です。るびで おくりがなを つける だけ だと、 しつもん する ほど までの しょうげきが たりないでしょう。わからないけど。そして、 しつもんが ない ときに さべつの はなしを かたる ことは、 しゃかいてきに あまり ゆるされていません。おしつけと いわれうる から です。おしつけているのは どちらか、と おもいます けれど。
あいてに しつもんを してもらう という のは、 さべつ はんたいに とって じゅうようであると おもいます。もちろん、 しつもんは つねに こうげきにも なりえますから、 いろいろ かんがえる べき ことは おおい です。

という わけで、 みなさんも、 ひらがなのみで かいてみませんか??!

さいとう・まの
2026ねん8がつ3にち

がくひねあげはんたいうんどうしょぶんじけん02

がくひ ねあげ はんたい うんどう しょぶん じけんの さいばんの ぼうちょうしえんに いきました。
2026ねん 7がつ 10にち きんようび、 とうきょう ちほう さいばんしょに いきました。 その ほうこくを します。

ぜんかいの さいばんの ほうこくは つぎの とおり です。
hunihunisaito.hatenablog.com
https://hunihunisaito.hatenablog.com/entry/tokyo01
ちなみに、 じゃーなりすとの いぬかい・じゅん さんの ぜんかいの ほうこくは つぎの とおり です。
juninukai.theletter.jp
https://juninukai.theletter.jp/posts/8feb76de-99a2-40f1-9faa-87432b96836d


こんかいの さいばんの ほうこくに ついては、 すずき・いずみ さんが かんたんに している ので、 そちらも みて ください。


https://x.com/izumisz1/status/2075745731902939164?s=20
すずき・いずみ さんは とうきょうだいがくの せんせいを している てつがくしゃ です。ぜんかいに ひきつづき、 こんかいも げんちで おみかけしました。

じぜんの よびかけの ついーとは こちら です。


https://x.com/ut_syobuntekkai/status/2074808652465336327?s=20


さて、 こんかいの ほうこくです。こんかい、 いろいろ あって、 さいばんの あとに ほうこくを きけなかったので、 まちがっているかもしれません。 ごしょうちを。
まず、 わたくしは、 はやめに いえ から でました。 ここまでは よかった。
ゆうちょ ぎんこうで つうちょうに おかねの やりとりを きろくしてもらおうと しました。
そしたら、 なんと きかいが うまく いかなくて、 つうちょうの つくりなおしに なってしまいました。
かなしい~。
やさしく たいおうしてくれた かすみがせき ゆうびんきょくの かたがた ありがとうございます。
そんな こんなで あせり ながらも となりの とうきょうこうとうさいばんしょに とうちゃく。
いそいで いくと、 げんこくの べんごだんを えれべーたーで はっけん しました。
「まにあった~」と おもい、 いそいそと えれべーたーに のります。
そして、 611ごう ほうていの まえに いくと びっくり!
ろうかを うめつくす ひとびと!!

ろうかに ならぶ ひとびとの もしきず

あわあわ していたら、 しりあいの ひとにも なんにんか であえて、 あいさつを しました。
そしたら、 611ごう ほうていが あき、 ひとびとが ぞろぞろと はいっていきました。
わたしは、 ならんでいる ひとが みんな はいった あとに へやに はいりました。
そのとき、 かかりいん さんに、 「せいりけん もっていますか?」と きかれて、 「もっていない です」と こたえたら、 もう ひとりの かかりいん さんが せいりけんを もってきて くれて、 ちょくせつ わたしていました。
ふむ、 せいりけんで にんずうを かぞえているの だな、と にんしき。

へやに はいると、 みっちり つまった ひとびと。 せきの あまりは すこししか ありません でした。
かずを かぞえると、 4かける3かける3の 48せき あります。 その せきが ぜんぶ うまっていました。
しほうしけんの べんきょうを している ひとの となりに すわって まちました。
げんこくの やそじまさんが こないなあ、 もしかしたら さんかしないのかなと かんがえながら、 まっていました。
げんこくの やそじまさんの べんごだんは よにん、 たいする ひこくの とうきょうだいがくの べんごしは ひとり という かんじ。 ぜんかいと おなじ。

すると、 ほうていに さいばんかんが さんにん はいってきました。
おおくの ひとが たって おじぎ しましたが、 わたしは しませんでした。 たつ ように とかの ごうれいも なかった ですからね。 ごうれいされても たたないかもしれませんが。
さいばんかん せんようの ではいりする とびらが あって、 そこから はいってくる のですよね。 おもしろい。
はいってきて、 すぐに さいばんちょうが ひだりせきの さいばんかんが かわった ことを つたえていました。もうり【毛利】さんに かわった という こと です。もうりさんの もじとしてのかんじは かくにんしていないです。 
さいばんちょうは、 まえと おなじ 南宏幸【みなみ・ひろゆき】 さん。 めがねの すらっと した ひと です。

そもそも、 こんかいの さいばんは どんな じけんを あつかっているのか、 せつめいします。
とうきょうだいがくは がくひの ねあげを がくせいに そうだんせずに きめてしまいました。
そこで がくせいの やそじまさんが とうきょうだいがくの いちばん えらい ひと である そうちょう【総長】に てがみを とどけようと しました。
そのとき、 そうちょう【総長】の へやが やすだこうどう【安田講堂】 という ゆうめいな たてものに ある ので、 はいっていきました。
その あと、 やすだこうどう【安田講堂】に かってに はいった ことを りゆうに、 がくせいの やそじまさんが いっていきかん じゅぎょうに でれない ていがくしょぶんを うけました。
その せいで、 やそじまさんは じゅぎょうを うけれませんでした。かなしい。
なので、 がくせいの やそじまさんは げんこくと なり、 とうきょうだいがくを うったえました。
こんな かんじ です。

そして、 さいばんが すすんでいきます。 まず、 げんこく からの しょるいが だされたので、 その せつめいが おこなわれました。
まず、 じょうほうこうかいで てにいれた ぶんしょうの くろぬりを とってほしい という おねがいが ありました。
だいがくは こうかい しなければ いけない ぶんしょうの つごうが わるい ところは、 くろく ぬって こうかいしてしまいました。
こんかいの さいばんで もんだいに なる ところ、 つまり りょうけい【量刑】の ぶぶんと おもわれる ところも くろぬりに なってしまっています。
そのため、 ここを あきらかにしないと、 しょぶんを きめた とうじの にんしきと、 さいばんで しゅちょうした にんしきが ちがうの では ないか、 と もんだいに なりかねない という こと でした。

つぎに てつづきの もんだい。
ようは、 とうきょうだいがくが がくせいと むすんだ やくそくの ぶんしょうが あって、 それを まもってください、 という はなし でした。
しょうちょうてき だったのは、 きょうとだいがく との ちがい。
きょうとだいがくは しょぶんが よんしゅるい ある のに たいして、 とうきょうだいがくは しょぶんが にしゅるい しか ない。これは、 とうきょうだいがくの やくそくが かかわっている との こと。
この やくそくは 1969ねん ごろに だいがくでの がくせいうんどうに かかわって かわされた やくそく です。
そこでは、 だいがくが きょういくてきしょぶんや いっぽうてきしょぶんを しない などの やくそくが ありました。 しかし、 こんかいは その やくそくが やぶられてしまいました。
すくなくとも 1981ねんの ひょうぎかい では この やくそくは まもる ことも かくにんされていた のに です。
こんかいは、 げんこく がわ から、 このような てつづきの めんに ついての もんだいを きょうちょうしました。

こうした しゅちょうを していました。
そして、 さいばんかん から ひとこと ありました。 しっかりは わからなかったのですが、 はなす ぶんしょうは とうじつ もってくるのでは なく、 じぜんに もってきて ください、 という ないよう だと おもいます。 げんこくの べんごしさんも わかりました、 と いって いました。

とちゅう から、 ひんぱんに さいばんしょの でんわが なりひびいていました。 つまり、 ぼうちょうせきの だれかの でんわ という わけ では なく、 さいばんしょでの やりとりを する ための でんわが つかわれていました。あとで おもいましたが、 おそらく、 げんこくの やそじまさんが あしどめを くらっている ことの ほうこくでは ないかと すいそく できます。

つぎに、 さいばんかんは ひこく、 とうきょうだいがくの べんごしさんに いろいろと いっていきました。
そもそも、 ぜんかいは ひこくの はんろんが ふじゅうぶん だった ために、 もういっかい かきなおしてこい、 と ひこくは いわれて、 こんかいの さいばんに なりました。
しかし、 どうやら こんかいも ふじゅうぶんな しょるいに なってしまっていた そうです。
たしかに、 だいがくが やそじまさんに しょぶんを くだした りゆうは かかれていた そうです。
しかし、 その りゆうに ついての かきかたが ふじゅうぶん だった そう です。
さいばんかんの ことばから わかるのは、 だいがくは (すくなくとも) ふたつの りゆうで しょぶんを したと いっていました。
ひとつめは、 やそじまさんが はんざいを した という だいがくの しゅちょう。
ふたつめは、 やそじまさんが だいがくの しごとを ふとうな しかたで じゃま した という しゅちょう。
しかし、 さいばんかん いわく、 この しゅちょうが じっさい、 どのような ことがらと たいおうしているか かいていない という こと でした。
ひとつめの はんざいを した という だいがくの しゅちょうに ついては、 たてものに はいった ことを はんざいと している けれど、 ほうりつ としては、 「せいとうな りゆう なく」 はいった ばあいに はんざいに なる のだそう ですが、 そこに ついて かかれていない という こと。
ふたつめの しごとを じゃました という だいがくの しゅちょうは、 せいかくに いうと、 「ぼうりょく、 いりょく、 ぎけい などの ふとうな しゅだん」に よって、 しごとを じゃました という はなし ですが、 その ふとうな しゅだんが どれか かかれていない という はなし でした。いりょく【威力】とは、 たにんの やりたい ことを むりやり さまたげる ちから だそうです。ぎけい【偽計】 とは ひとを だましたり する こと です。
そして、 この とき、 だれの どのような しごとが じゃまされたかが かかれていない との こと でした。

ここで げんこくの やそじまさんが おくれて とうじょうしてきました。
さいばんかんが しずかに みているのが こわかった です。
やそじまさんは てにもつけんさに ひっかかってしまった みたい です。
どうやら、 けんきゅうに つかう ないふが ひっかかってしまった みたい です。
たしかに、 げんじゅうに てにもつ けんさ やるからなあ、 と わたくしは おもっていました。

てにもつけんさの いらすと。 けいびいんが たくさん たって、 げーとが あり、 てにもつを きかいで みている。

ちなみに、げんこくの やそじまさんの しゃくめいは こちら。


https://x.com/cherry0423_ut/status/2075538213008269634?s=20

そうして、 やりとりが すすんでいき、 さいばんかん から ひこくへの おったっしが ありました。
①くろぬりを あきらかに しろ という もとめに おうじるか はんろんしろ
②しっかり りゆうを かけ
③そのほか げんこくに はんろんしろ
との こと です。

この あと、 さいばんかん から なにか あるか きかれて、 ひこくの ほうは なにも ないと こたえましたが、 げんこくの べんごしは すぐにでも さいはんろんできると いいました。
しかし、 さいばんかんは ここで すこし いいよどみます。
「え、 えっと、 あの」
と はなしはじめた さいばんかん。
げんこくは まって ほしい という こと。
ひこくの しゅちょうが そろっていない から。
そこで、 ぼうちょうせき から わらいが おきました。
その わらいは、 ひこくが だいがく という だいそしきである にもかかわらず しゅちょうを そろえられていない こと への おどろきが ありました。
すると、 さいばんかんは、 ていねい ならが いあつてきな しかたで せいしゅくに する ように ぼうちょうせきに おねがいしました。
べつに ことばが きこえなくなる ほど さえぎっては いないので、 わたしは けっこう おどろきました。
そのため、 わらいそうに なりましたが、 ぐっと こらえました。
つづけて、 さいはんろんは はんろんが そろってからではないと むいみなものに なりかねないので まってほしいと さいばんかんが いっていました。


やそじまさんが がくせいで そつぎょうを ひかえている ことを かんがえると、 とうきょうだいがくは さきのばしに する さくせんに おもえます。 むずかしい。

そして、 じかいの さいばんの はなしに なります。
じかいは ばしょを かえて おおきめの ほうていで おこなう との こと。
ひこく からは、 くろぬりの ことや れきしてきな ことが あって、 そしきてきな けっていを しないと いけないから、 9がつの ちゅうじゅんに ていしゅつ という ことに なりました。
そのあと、 いろいろと にっていちょうせいを した けっか、 じかいは

2026ねん 10がつ 5にち げつようび ごぜん 11じに 103ごう ほうていで おこなう ことに なりました。

103ごう ほうてい とは すごく おおきい ところ らしく、 100にん ほど はいる という こと。 ぜひ、 みなさん きてくださいね。
さて、 どうでも いいですが、 にっていが だめな ときは、 「さしつかえ」と いう という ことを おぼえました。 こんご つかっていこう(笑)

そのあと、 さいばんしょの そとの みちで ふりかえりを しました。わたしは いろいろと あったのと、 はやく かえってしまった ために あまり きけなかったのが ざんねんです。

また、 どうやら、 しえんの ための おかねが たりない そう です。 いまは、 べんごしの おかねを しえんしゃの なんにんかが たてかえて はらっている そう。かんぱを あつめている らしいので、 よゆうが ある かたは つぎの ところ から かんぱしてほしいです。

<カンパはこちら>
口座記号番号:00860-3-191592
東大不当懲戒処分を撤回させる会
トウダイフトウチョウカイショブンヲテッカイサセルカイ

他行から振り込む場合は、
ゆうちょ銀行
店名:〇八九(ゼロハチキュウ)店
店番:089
口座番号:当座 0191592


くりかえしに なりますが、じかいは
2026ねん 10がつ 5にち げつようび ごぜん 11じに 103ごう ほうていで おこなう ことに なりました。
ぜひ おうえんしましょう。

にーる・ぶれなー『あたらしい としくうかん』だい10しょう

にーる・ぶれなー『あたらしい としくうかん』だい10しょう_さいとうによるれじゅめ

  • にーる・ぶれなー『あたらしい としくうかん』 だい 10しょう としかの あたらしい くうかん 382-452
  • 2026/6/26 さいとう・まの
  • Neil Brenner, 2019, New Urban Spaces: Urban Theory and The Scale Question, Oxford University Press. ニール・ブレナー著、はやし・まひと【林真人】監訳、たまの・かずし【玉野・和志】、なかざわ・ひでお【中澤秀雄】、さいとう・あさと【齊藤麻人】、ひらた・しゅう【平田周】、かなざわ・りょうた【金澤良太】訳、2024、『新しい都市空間――都市理論とスケール問題』ほうせいだいがくしゅっぱんきょく【法政大学出版局】.
  • おやくそく:「都市」【とし】は cityである から、 してぃと かく。「とし」と かくと わかりにくい ため。
  • §1 はじめに

- ¶1 としりろん【都市理論】を じっさいの してぃの へんか から かんがえなおす ことは ひはんてきとしけんきゅうに とって じゅうようである。
- "Indeed, the reflexive engagement with questions of urban theory in relation to emergent sociospatial transformations may well represent a common thread that draws together otherwise divergent research cultures around some broadly shared concerns and agendas."(2019: 334)
- ※ としりろん【都市理論】を かんがえなおす ことを、 「再帰的」(reflexive)(382)と いっている ようである。じぶん たち としての としりろん【都市理論】を たいしょうに する から であろう。それに たいして、 りろんを あてはめて げんじつを にんしきする だけ では、 さいきてき とは いえない。
- ¶2 としか【都市化】の ぷろせすが かわったら、 としりろん【都市理論】の がいねんも かわる べき である。
- ※「むしろ、この本が依って立つ弁証法的でポスト基礎づけ主義的な哲学の伝統においては、都市理論化はつねに歴史的に構成され、文脈に位置づけられている」(383)ここで 「弁証法的」(383)は、 もともとの ぜんてい(しんじつの きじゅん)が ひっくりかえっていく ような、 という いみ だと おもう。こんかいでは、 もともとの ぜんていに としりろん【都市理論】が たいおうする。
- ※「都市研究における解釈のための道具立ては、まさにそれが明らかにしようとする社会空間的な関係・条件・係争によって、絡め取られてしまっている」(383)→たとえば、 だい5しょう「都市と「ニュー」エコノミーの政治地理」(202-237)での、にゅーえこのみー という がいねんへの ひはんが ある。ぎじゅつかくしんに よって、 ちりてき きょりが なくなる けいざいを にゅーえこのみーと いう。しかし、 ぶれなーによると、 にゅーえこのみー という がいねんを つかった はなしが、 いち、 ぐろーばりぜーしょんに むかうのは とうぜんだと おもわせ、 に、 いままでの こっかの やりかたを かえる ことには しっかりした りゆうが あると おもわせ、 さん、 ぱぶりっくな しげんを いんたーねっと などに とうしさせ、 よん、すけーるを じゅうようでは ない ものに し(スケール相対化)、 ご、 ふびょうどうを しかたないものと おもわせた(233)。
- ¶3 るふぇーぶるの としてきなものは、 かこ、げんざい、みらいを ふくんだ 「かのうてきなもの」 である。(384)
- それにたいして、 じっしょうしゅぎてきな あぷろーち では しゅうだつ などを わからない ものに してしまう。
- ※「かのうてきなもの」(le possible, virtuality)は、 「いますぐには実現できない選択肢まで考慮に入れた場合、どんな生活がしたいのかという想像」である(やまもと 2021: 64)。山本千寛【やまもと・ゆきひと】, 2021, 「アンリ・ルフェーヴルと「遅れ」の思想――都市環境を構想するために」『日仏社会学会年報』32: 57-78. https://doi.org/10.20811/nichifutsusocio.32.0_57
- ※としてきな もの。「出会いの場所、使用価値の優位性、至高の価値へと上昇した時間の空間への刻み込みこのような性格をもった潜在的現実である「都市的なもの」への要求としての「都市への権利」についてアンリ・ルフェーヴルが定式化したのは、1968年のはじめに出版されたルフェーヴルの都市についてのはじめての著作である『都市への権利』においてである。」(さかい 2006: 81)酒井隆史【さかい・たかし】, 2006, 「「都市への権利」が問うもの――法・権利の主体とその変容について」『法社会学』64 : 77-85,276. https://doi.org/10.11387/jsl1951.2006.64_77
- ※「都市的なものを領域としてではなくスケールとして境界づけるという立場」(Brenner 2019=2024: 5、「都市的」に「アーバン」というルビ。「スケール」に太字強調)「いずれの場合でも都市的なものは、境界づけられたエリア的な単位ーー都市のコンテナーーとして概念化されたのではなく、むしろ、広範でダイナミックに進化する全体性に埋め込まれた、社会空間的関係」
- ¶4 してぃの へんかを とらえる ためには、へんかに あわせた あぷろーちを とる ひつようが ある。
- それに たいして、「一元論的な普遍化」(385)に むけて けんきゅう すると、 けんきゅうしゃは へんかを とらえられず、 せいじてきな もんだいを とらえる ことが できない。
- ※ この だんらくで いんようされている ひとたちは、 みな まるくすしゅぎけいの ひとびと である。すこっとは、 れぎゅらしおんりろん、 すとーぱーは こんゔぁんしろんりろん、 うぉーかーは まるくすしゅぎの せいじけいざいちりがく。
- ¶5 としてきさいへんせい【都市的再編成、urban restructuring】は、 としか【都市化】 という ぷろせすが へんかする こと であり、 しほんしゅぎてきな としそしきたいは、 その としてきさいへんせいの つかのま あんていした ありかた である。
- それにたいして、 そとわくが きまっていて、 なかみが かわる ことは、 としてきさいへんせい では ない。
- ぶれなーが ちゅうもくしている のは、「ポスト一九八〇年代における資本主義的な都市組織体の劇的なリスケーリング、スケール分節化されたポストケインズ主義的な国家空間戦略によるこのリスケーリングの媒介作用、都市発展(特により以前から産業化された世界における)の現前するパターンと経路においてこの媒介作用が示す幅広い帰結」(386)と、「①資本主義的な都市組織体が作り直されるとき、場所形成・(再)領域化・ネットワーク化の弁証法と、リスケーリング過程のあいだに生じている相互作用。②資本主義的産業開発のために大規模にスケール化された新しいメガインフラが、ポスト一九八〇年代において過去の領域的後背地に広範囲にわたって確立したことと、この結果として生じた慣習的に「非都市的」(nonurban)と分類されてきたゾーン(村落、荒野、その他)における資本主義的な都市組織体の劇的で体系的に不均等な肥大。」(386-7)
- ここでの ぶれなーの といを まとめると つぎの ように なる。 りすけーるは どんなかんじで おこなわれた? どんな けっかを もたらし、どういう ばあいが あるの?すけーる かえた ときに、 ほかの くうかんてきな ありかたは どう かわるの?とくに、どうやって こうはいちが おおきくなるの?
- ¶6 すけーる そうたいかを ぜんていに、ふくすうで へんかする ぶんせきたんいに よって、としてきさいへんせいと しほんしゅぎの かんけいを ここまで あきらかにした。 (387-8)
- それに たいして、 たんいつで かわらない ぶんせきたんい での ぶんせきは きょひされる。
- スケールの相対化
- すけーるの そうたいか とは、こくみんすけーるが ちゅうしんで なくなり、 ちゅうしんの すけーるが なく なる ような すけーるの へんか である。
- 「国家空間と資本主義的都市組織体が持っていたスケール的分節が掘り崩されるというこの傾向は、近代の政治経済的な生活にとって包括的「権力コンテナ」だった国民スケールの確固たる中心性を不安定化させる重大な結果をもたらし、クリス・コリンジがそう適切に言い表したところの「スケールの相対化」という状況を導いていった。(Collinge 1996. 権力」コンテナとしての国民国家と国民スケールについてはGiddens 1985を参照)。ボブ・ジェソップの説明によると、スケールの相対化によって生じるのは、世界、超国民、国民、国民より下位といった各スケールでの政治経済的な活動が全体として組み替えられることで、国民空間の自明性が損なわれるという現象であり、これによりいかなるスケールも社会空間的関係においてヘゲモニー的また支配的でなくなる(Jessop 2000)」(15)
- ¶7 けんきゅうの たいしょう である しすてむてき はれつは、 (いち)ふぉーどけいんずしゅぎ、 こくみんかいはつしゅぎ からの へんか、 (に)しじょう【市場】を つうじて こんとろーる して、 ふびょどうを つくりだす ぽすとけいんずしゅぎへの へんか である。
- 「ポスト一九八〇年代における大西洋ゾーンの資本主義的な都市組織体のスケール建築の内部における、システム的破裂(systemic ruptures)」(388)
- ¶8 しすてむてきはれつと どうじに、ぶりっくす【BRICKS】を ふくめた ぐろーばるさうす では、だいきぼ いんふら かいはつが おこなわれた。(389)
- それに たいして、たんに ちゅうしんが あじあに うつった という かいしゃくも あるが それは さいようしない。
- ¶9 ぐろーばるさうす での だいきぼ いんふらは、 あらたな しゅうだつに よる ちくせきを もたらした。(390)
- あらたな しゅうだつに よる ちくせき には、 のうちしゅうだつを ふくむ。つまり、 のうみんを こうじょう ろうどうしゃに かえる ことを ふくむ。
- ¶10 じぇいみー・ぺっくが いう ように、さっしんした べんしょうほうてきな あぷろーちに よって、しほんしゅぎを、 かこから うけつがれるが、 かわっていく けんりょく として、 さいきてき【再帰的】に りろんか する べき である。
- それに たいして、 しほんしゅぎの ちゅうしんが ちゅうごくに うつった という ような やりかたは ふじゅうぶん である。
- ※じぇいみー・ぺっく【Jamie Peck】は、いぎりすの せいど せいじ けいざい がくしゃ。いっけんして ぐろーばるな ものが、 どのように ろーかるな やりとり から つくられているかを けんきゅうしている。 (https://geog.ubc.ca/profile/jamie-peck/
- ¶11 しほんしゅぎは かわっていくので、 ぐろーばるさうす いがいを ぶんせきする ときも、 がいねんを かえないと いけない。
- ぶれなーは しほんしゅぎの へんかを つぎのように れっきょ している。 「新しい都市化プロセスが現れてくること、それが絶えず内破し外破すること、それが複合的に不均等発展すること、それが資本主義的な都市組織体の内部で社会空間的表現として一時的に安定化すること、それが空間政治を通じて現在進行的に係争化されること。」(391)

  • §2 メタ理論的な総合をめざして(392-395)

- ¶12 あらたな かのうせいを ひらく、 つねに ざんていてきな にんしきろんを ていじする ことで、りろんについて ぎろんする ことを うながす。 (392)
- それに たいして、 げんじつを はっきりと りかい する ような、かんせいされた そんざいろんを ていじ する わけ では ない。
- 「都市は、資本主義的産業都市化の絶え間なく変容し構成上は多スケールな組織体の内部にある、単なる一つの(激しいまだら模様の姿を示す)社会空間的な配列を示すにすぎない。」(393、「都市」に「シティ」と、「まだら模様」に「ヴァリエゲーティッド」というルビ)
- ¶13 このような ていあんは、 いっぱんと、 とくしゅを ともに きょうちょうする 「非主流でメゾレベルの認識論的パースペクティブ」(393)(だい9しょう)である。
- ※ 「したがって資本主義的な都市組織体の内部における社会空間的パターンと発展経路の特殊性は、存在論的な特異性(場所・地域・領域・文化のいずれの内部であれ)という所与の条件から単純に発生するのではなく、あるいは「国民的で国際的な対立する諸力」の衝突に起因するのではなく、世界史的な空間―時間における「過剰決定された複合的で不均等な存在条件」を通して関係論的に結晶化するのである」→かじょうけってい(395)とは、さまざまな ようそが さようして ぐうぜんの ように きまる という こと。 これは まるくすしゅぎの あるちゅせーるが せいしんぶんせきかの ふろいとから かりた がいねん である。ゆめが いろいろな ようそが ぐうぜんに あわさって つくられる ように、 しほんしゅぎは さまざまな れきしてきな ようそが ぐうぜん あわさって できたと かんがえられる。
- ¶14 「歴史に照準し、再帰的に多スケールで、制度的に差異化され、厳密に関係的な政治経済学的・社会空間的な研究の様式」(395、「様式」に「モード」というルビ)によって、しほんしゅぎてきな してぃが、まだらもようで、けいろいぞんで、かんけいてきに そうごせつぞくしていると わかる。
- それに たいして、 ぐろーばるか などの ひとつの すべてに てきようされる しくみで かんがえない。
- 394 にちじょうと ひはん。ひはんの なかでも ほんしつと ぷろせす。 ぷろせすの なかでも しゅうちゅうと かくだい。

  • §3 都市(化)空間への、理論的に再帰的で、プロセス重視のアプローチ(395-401)

- ¶15 としてきなものは、にんしきの まえ から すでにある なにか では なく、りろんてきちゅうしょうかに よって つくられる。
- それにたいして、しゅりゅうの としけんきゅうは、 してぃの ないぶ だけを しらべる。
- 「概念化についての問いは、単なる背景条件または枠組み装置ではなく、都市研究者が、メタな物語、規範的で政治的な志向性、方法論的戦略、データの収集と組み立て、具体的な分析、そして介入の戦略を作り出す際の、まさに解釈文法と分析媒体を構成している」(396)
- ¶16 りろんてき ちゅうしょうかは、 ぐたいてきな ちゅうしょうか であり、ちゅうしょうかが あきらかにしようと する しほんしゅぎてき としか【都市化】に うめこまれている。
- それにたいして、 りろんてき ちゅうしょうかは、 がいねんてきな たんじゅんかの しゅだん では ない。
- ¶17 ひとしくうかん【非都市空間】が ある から こそ、としけんきゅうは それと ひかくして してぃや としてきなものを かんがえることが できた。(397-399)
- 398 してぃと ひとしの くべつ

- 399 こくれんに よる してぃと ひとしの くべつ

- ¶18 20せいき までの としけんきゅう では、 ていじゅうちを りょういきで ぶんかつして、 してぃや のうそん など それぞれの (めいもくてき)ほんしつを みつけようとしたが、 21せいきの としりろん では、 どのように くうかんが できるかの ぷろせすを じゅうしした。
- 「厳密な意味でプロセス重視のアプローチは、都市研究者のあいだで長きにわたって自然視されてきた定住地崇拝(settlement fetishism)、地方主義、領域主義、都市中心主義といったものの諸形態を脱構築する。その意味でこのアプローチは、過去から継承された都市組織体の資本主義的形態を今まさに刷新している、出現的な社会空間的な転換に立ち向かうため有益である、認識論についての生成的な出発点を提供する」(400、「地方」に「ローカル」「都市」に「シティ」というルビ。)
- ※ 「こうして二〇世紀における都市研究の大部分は、定住地ベースで行われる領域的組織(territorial organization)の概念化を、あたりまえの前提として受け取ってきた。非連続的で境界づけられた単位によって構成される一つの世界という概念化であり、そこにおいて、「この」都市(”the” city)こそが、普遍的に広まった一つの種類であると見なされてきた。」(399、「種類」に「タイプ」というルビ)→the cityは、 してぃなるもの いっぱん という いみであって、 とくていの してぃ という いみ では ないと おもわれる。えいごで ていかんし たんすうは、 たしかに とくていの ものを さす ことも あるが、 そうしょう【総称】 としても つかわれる。ちなみに、 そうしょう【総称】 は、 むかんしふくすう(いっぱんてき)、 ふていかんしたんすうを しゅごにする ばあい、ていかんしたんすう(ひかくの にゅあんす、けいしきてき)が ある。
- 409 the city

- ¶19 あんていは しほんしゅぎの ぷろせすの ひとつの ようそに すぎないので、 21せいきに おいて すけーると りょういきと なっている としそしきたいの ぷろせすを まず しらべて、 その つぎに それぞれの くうかんの (めいもくてき)ほんしつを かんがえれば いい。
- 「こうしたスケール化され領域化された都市組織体の配列が頻繁に結晶化を示すのは、二一世紀の条件のもとにおいてである。配列の結晶化は、大都市地域、巨大都市、国民領域構成、超国家的コミュニケーションのネットワーク、大陸的・大陸間的なパイプラインと物流回廊、ならびに生産・流通・社会的再生産のための幅広い補助的な空間インフラを通じて生じる。」(400)

  • §4 都市化のパターンと経路、際限なきそれら(401-408)

- ¶20 21せいきには、 「不均等に構成され休みなく進化する惑星的都市化」(402)が わくせいぜんたいで 「統合化・差異化・複数化」(401)が おきている ので、 20せいきの してぃの うちと そと という かんがえかた では りかい できない。
- ですすたー(『すたーうぉーず』)https://starwars.disney.co.jp/databank/character/death-star

- わくせい とんらんたー(あしもふ『ふぁうんでーしょん』)https://gigazine.net/news/20210820-foundation-trailer/ 

- ¶21 「今日の批判的都市研究の主要な課題の一つは、これらの新しい都市空間の現在進行中の生産とそこを貫く構造的な暴力、排除、そして不正義の諸形態を、研究者がより的確に描くことができるような、概念的、方法論的、そして地図作製上の用具の刷新を正しく発展させることなのである。」(402-4)
- それにたいして、 あたらしい としてきな せいかつでの ふかくていせいを よいと みなす けんきゅうは、 「差異と一般化されたプロセスと(そして)繰り返されるパターンのなかの共通性」(402)を えがこうとしていない。 そのため、 しんじゆうしゅぎてきな しほんしゅぎの しゅうだつに よる ちくせきの けんりょくを みえなくしている。
- ¶22 としか【都市化】の きじゅんを しゅうせきけいざいや じんこうに ある ような してぃか【シティ化】として ていぎ  すると、 「ある一つの歴史地理的なプロセス・配列・媒介・関係としての都市的なものの特殊性」(404)が わからなくなる。
- としか【都市化】を してぃか【シティ化】とい する ときに、 とわれなくなる といは つぎの ふたつ である(¶22)。これらは どうじに、 りろんてきな かだい として、 ぐたいてきな けんきゅうの しゅっぱつてん として、 おるたなてぃぶな ありかたを ひらく もの として かんがえる べき とい である(¶23)。
- ①としか【都市化】は なんらかの たんいつの くうかんの たんいを いっぱんてきな ものに するのか。
- ②としか【都市化】は してぃの そと などに えいきょうしないのか。
- ※「②都市化プロセスは、都市の内部に含まれない、あるいは都市に似た(citylike)空間的単位の形成によっては直接表現されない、本質的な(単に偶発的・二次的ではない)社会空間的な現象を生み出すのか、それとも生み出さないのかという考察。」(404)
- してぃの がいぶの ことがら、 あるいは してぃには ちょくせつ ひょうげんされない ことがらを うみだすのか、 という こと。citylike【都市に似た】は してぃの ことだと かんがえられる。 しかし、してぃの ないぶと してぃの がいぶを わける ことの もんだいてんを のべている から、 citylike【都市に似た】を つかっていると かんがえられる。
- ¶23 としか【都市化】とは、 してぃが つくられる こと であると かんがえると、 してぃの そとを むしする ことで、 「批判的分析の対象とする必要のある社会空間的なプロセスの鍵となる要素を、自然なものとみなしてしまう」(408)。
- ※ 「アンリ・ルフェーブルが『都市革命』のなかで古典的に論じたように、都市化の「都市的なるもの」の次元が、後期近代資本主義のまだら模様で多スケール的に構成された内破と外破との関係で、反省的で体系的な理論的精査と批判的な刷新を必要とする」(408、「都市的」に「アーバン」、「まだら模様」に「ヴァリエゲーティッド」というルビ)→ないは【implosion】と がいは【explosion】。
- ないは とは、「産業的な集中と集積」(419)である。
- がいは とは、「都市組織体の社会的インフラ的な拡張、産業的土地利用の強化、空間の間の関係性の肥大、高度金融化が加速する資本の物質代謝、エコロジー的な危機傾向の複数化」(419) である。
- 「この資本主義的な都市組織体とは集積のプロセスであり(内破の契機)、同時に、「運営される景観」の構築と持続的な再組織化による集積のサポートと文字通りの物質代謝化である(外破の契機)」(19、「内破」と「外破」に太字強調)。
- 「この資本主義的都市化の地理は、人口・インフラ・経済活動の高密度センターへと絶えず内破(implosion)を遂げる社会空間的プロセスによって構成される。また資本主義的都市化の地理は、領域・景観・エコロジーの広大な全域にわたって存在する社会空間的関係が外破(explosion)を遂げる、内破と同じくらい大きなダイナミズムによっても構成されていて、囲い込み、運営化、産業化、創造的破壊を被りながら農業産業化、エネルギー開発、物流、破棄物処理、また環境管理といった目標を達成することで資本の貪欲な利潤追求の物質代謝を支持している」(17-8、「内破」と「外破」に太字強調)。
- ¶24 ひしゅりゅうてきな おるたなてぃぶな りろんに おいては、 としか【都市化】 とは、 してぃが くうかんてきに いっぱんてきな ものに なる こと だけ では なく、「産業的な領域的組織の近代に特殊な形成、大規模で国家管理された社会空間的な相互依存性の拡張、そして加速化された(労働力・商品・政治文化的形態の)循環とそれが誘発するまだら模様の転換、危機、闘争、反乱」が おおきく なる ことも ふくまれる。
- こんすたんてぃのす・できしあでぃすは にんげんてきかつどうの つよさに もとづいて きょうかいを えがいた。(408)

- てりー・まぎーは、むらと してぃを あわせた でさこたちいき という がいねんを ていじして、きせつに おうじた ひとの いどうを けんきゅうした。(407)

  • §5 集中的都市化と拡大的都市化の弁証法(409-421)

- ¶25 しゅうせき【集積】 という ぎろんで いっぱんてきな せつめいを する かわりに、しゅうちゅうてきとしか【集中的都市化、concentrated urbanization】という がいねんを つかって、 「こうした体系的にパターン化された社会空間的なまだら模様への、より理論的に再帰的で、弁証法的で、歴史的に特殊な探求の様式」(412、「まだら模様」に「ヴァリエゲーション」のルビ)を かのうにした。
- しゅうせき ぷろせすは、 つぎの ななつの よういんと かんけいして かわる。
- (いち)しほんしゅぎの せいじけいざい
- (に)すけーる(→がいぶけいざい=しじょうとりひき いがいでの りえき、 たとえば いんふら など)
- (さん)こっかの くうかんせんりゃく
- (よん)えねるぎー たいせい
- (ご)じょうよかちを とりだす やりかた
- (ろく)ふきんとうくうかんはってんの ぱたーん
- (なな)せいさん、りゅうつう、さいせいさんに かんする しゃかいせいじてき たたかい
- 410 ろんどんの しゅうちゅうてきとしかの すけーるが おおきくなっている。

- 411 しゅうちゅうてきとしかには しゅうせきと ろうどうしゃの つうきんを ふくむ。ちずの いろが こい ぶぶんは つうきんする ひとが おおい ところ。

- ※「現代における多くの都市経済学者や都市経済地理学者が受容する普遍化の認識論とは反対に、そのような探求は、マーシャル的な産業地域のそれのような、最も援用される集積の説明モデルが歴史的地理的に特殊なものであり、例外ですらあることを明らかにする可能性が高い」(409)→Alfred Marshall【あるふれっど・まーしゃる】は 1890ねんに 『けいざいがくげんり』に おいて、 しゅうせきの けいざい(あつまると べんり という はなし)に ついて ろんじた。
- ¶26 しゅうちゅうてきとしか から かんがえると しゅうせき【集積、agglomeration】 もんだい だけ では なく、 こうはいち【後背地、hinterland】もんだいも かんがえられる。
- こうはいち もんだい とは、 「いかに集積プロセスが、大都市中心部とそのすぐ周辺の地域を越えて、社会空間的・インフラ的・エコロジー的な転換と絡み合っているかについての探求」(412) である。
- ※しゅうせきは ないはに、 こうはいちは がいはに たいおうする だろう。
- ¶27 かくだいてきとしか【拡大的都市化、extended urbanization】 という がいねんを つかう ことで、してぃの がいぶと みなされる こうはいちが しほんしゅぎてきに りようされている ことを あきらかに できる。
- 「この資本主義的な産業転換の拡張されたフィールドの内部では、大規模で長距離のインフラ装置のますます肥大する網目が、大都市における集積を、都市的条件の外屋として伝統的に分類されてきた幅広い領域の一次産品生産(そしてこれと結びついた流通の中継と物質代謝プロセス)へ、過去にないほど緊密に関連づけるという関節の役割を果たしている。こうした一次産品生産の領域には、次のようなものが含まれる。産業化された農地、アグリビジネス大動脈、そしれそれらの拡張された灌漑インフラ。資源採掘の地上、地下、そして海面の景観。産業的で植林された森林。養殖と漁獲の領域。石炭、石油、天然ガス、原子力、水力発電、そして「再生可能エネルギー」を含む、水陸を問わないすべてのエネルギー供給。運河、ダム、灌漑用水、水道管、下水道、その他の技術化された水管理システム。大陸間交通大動脈(道路・鉄道・航路)、パイプライン、そして大洋横断的な船舶路。地球規模の通信網、データ格納インフラ、情報処理網、そして人工衛星の軌道。さらに、ごみ処理システム、ごみ集積所、そして産業廃棄物汚染地域などである。」(412-3)
- 414 いんふらは こうはいちに つくられる。

- ¶28 かくだいてきとしかと しゅうちゅうてきとしかは べんしょうほうてきに からみあい、 かいそうかされた わくせいすけーるの せいさんねっとわーくを つくる。(413-5)
- かくだいてきとしかに よる まだらもようの くうかんは、 ないはと がいは、しほんの ふどうせいと ゆうどうせいの むじゅんに かかわる。
- ※しほんの ふどうせいと ゆうどうせい とは、 しほんは いんふら などの うごかない なにかを つうじて やりとり される ふどうせいが あると どうじに、 それを こわして うごいていく という ゆうどうせいが ある という こと。
- ¶29 かくだいてきとしかに よって、 こうはいちから しげんが ぬすまれて、 してぃが ささえられる だけ では なく、こうはいちの さんぎょうが かわっていく。(415-6)
- こうはいちは うんえいされるけいかん【運営される景観、operational landscapes】に なる。うんえいされるけいかん とは、「集中的都市化の転変するダイナミクスとの多かれ少なかれ直接的な関係において、資本主義的産業化の社会空間的・エコロジー的な諸関係が合理化・インフラ化され絶えず再組織化される、そうした地帯をさす」(416、「地帯」に「ゾーン」というルビ)。→ろうどうや しぜんの せいさんせいの こうじょうを めざす ための かがくぎじゅつの こうりつてきな りよう。→だつのうみんかや きょうせいたいきょ
- 「巨大都市内部での労働のインフォーマル化と自動生産の実行は、領域的な囲い込み、産業的な転換、そしてかつての田園地帯における大規模な強制退去のダイナミズムと密接不可分に結びついている」(416)
- ¶30 かくだいてきとしかは してぃに おける しゅうせきと みっせつに かかわる ので、 うみや うちゅうを ふくめた こうはいちは してぃに みっせつに かかわる。(417-9)
- 418 うみに おける かくだいてきとしか

- 420 うちゅうに おける かくだいてきとしか

- ¶31 21せいき しょとうの としかや はやりの 「未来の都市」を かんがえる ため にも、 しゅうせきが いぞんしている ぷろせすを あきらかにする ひはんてき としりろんは ゆうこう である。(419-421)
- それにたいして、 してぃの ふぇてぃしずむ【都市の物神崇拝】は としてきな ちしき、 せいさく せんりゃくへの しはいてき あぷろーち であった。

  • §6 国家の空間戦略、そして都市組織体の刷新(421-437)

- ¶32 しゅうちゅうてきとしかと かくだいてきとしかは、 こっかの りすけーりんぐに よって すすみ、だいとしが いんふらを はかいし、 ふびょうどうを かくだいする。
- 「このリスケールされた国家制度には起業家的な地方権力、国民的・地域的な政府、超国民的な領域ブロック、多国籍な開発機関といったものが含まれる。」(421、「地方」に「ローカル」、「地域的」に「リージョナル」、「超国民的」に「スープラナショナル」、「多国籍」に「マルチラテラル」のルビ)
- 「実際二〇〇八年の世界金融危機においてすら、世界中の大都市地域の起業家的な領域的同盟は、市場原理的で、成長優先的で、攻撃的に金融化された都市発展モデルへの傾倒を断固として守り続けたのであり、社会的な再生産のための公的なインフラにひびを入れ、そうやって都市的な周辺性を高め、領域的なスティグマかを模造するポストケインズ主義的な地理を確立するための緊縮ガバナンスの新しい段階を押しつけてきた」(421-2、「同盟」に「アライアンス」、「段階」に「ラウンド」というルビ)
- ※→こっかは、 stateなので、 とくていの りょういきと ひとびとを しはいする せいじてき そんざい という ぐらいの いみ では ないか。→しかし、 それは にほんごの こっかも おなじ では?→ぎょうせいと やくすと りょうどの かんじが でない のだろうなあ。
- 「なお「スケール」というのは元来地図の縮尺を表す用語であったが、ここでは リージョナル・ナショナル・ローカルといった地理的な範囲が政治経済的・社会文化 的に生産/再生産される過程として動的な意味合いで用いられている。また「国家のリ スケーリング」は state rescaling の翻訳であるが、リスケーリング論における state は 「グローバル」「リージョナル」「ローカル」などの形容詞が接頭されることがあり、 日本語で通常意味する「国家」=ナショナルな地理的領域性を持った国民国家、を意味するものではないことにも注意が必要である。」(さいとう 2014:11-12)さいとう・あさと【齊藤麻人】, 2014, 「「リスケーリング論」の射程と都市圏政策」玉野和志・船津鶴代編「東アジアの社会変動と国家のリスケーリング」調査研究報告書 アジア経済研究所 2014 年 https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/2013/pdf/C41_ch2.pdf
- ¶33 ぐろーばるさうす では、 たいりく れべるの すけーるで せかいとし【世界都市】を めざす いんふらが つくられている。
- ちゅうごくに よる いったいいちろ【一帯一路、BRI】
- 422 なんべいいんふらとうごうけいかく(IIRSA)(2000-)、みなみあめりかいんふらけいかくかいぎ(COSIPLAN)(2009)は、 「社会的包摂・民主的参加・領域的統合・エコロジー保全のような課題よりも、超国民的生産ネットワーク内の連携の強化に全般的な優先権を与えてきている」(422)

- ¶34 いんどの でりー むんばい さんぎょう だいどうみゃく こうそう(DMIC)(2006-)も、せかいとしを めざす だいきぼ いんふら せいび けいかく である。(424)
- ※おそらく、 でりー むんばい さんぎょう だいどうみゃく こうそうは すけーるが なしょなるで たいりく では ない ので、 だんらくが かわっている のだろう。
- ¶35 いんふら きばんの そうだつせんは、 しんじゆうしゅぎてきな しじょうげんりの ろじっくを こっかが ばいかいして、 さまざまな れんけいに よって おこなわれている。(424-5)
- それにたいして、いんふら きばんの そうだつせんは、 しゅうせきけいざい としては せつめい できない。
- ¶36 かくだいてきとしかの いちぶ としての いんふら きばんの そうだつせんは、のうちに おかねを とうしして ひとを たちのかせる ことも ある せかいてきな とちせっしゅうがっせん【土地接収合戦、ランドラッシュ、land rush】の えんちょうに ある。(425-6)
- くうかんの がいこくか【空間の外国化、foreignization of space】とは、 とちのほかくの ぐろーばるな ぷろせすの こと である。
- Zoomers, A. (2010). Globalisation and the foreignisation of space: seven processes driving the current global land grab. The Journal of Peasant Studies, 37(2), 429–447. https://doi.org/10.1080/03066151003595325→ ”The term ‘land grab’ generally refers to large-scale, cross-border land deals or transactions that are carried out by transnational corporations or initiated by foreign governments. ”(「「土地収奪」という用語は一般的に、多国籍企業によって行われる、あるいは外国政府によって開始される、大規模な国境を越えた土地取引や契約を指す。」ぐーぐるほんやく)
- とちせっしゅうがっせん【土地接収合戦、ランドラッシュ、land rush】、 とちのほかく【土地の捕獲、ランドグラビング、land grabbing】(425)
- ↑「これは国家によって活発化され、攻撃的なまでに輸出志向の「空間の外国化」(foreignization of space)であって、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの一部にわたって広がる、巨大で、主に農業的で、採掘的で、バイオ燃料生産に関わる後背地に、同じように破壊的な領域囲い込み、接収、強制移住、エロコジー的劣化を伴ってきたのである」(425)
- ¶37 ひはんとしけんきゅうしゃは 、 さまざまな りょういきに ついての けんきゅうに とりくまなければ ならない。(426-7)
- とはいえ、 ぶれなーに よる としか【都市化】の ぎろんが すべてを せつめいできる という わけ では ない。
- ¶38 ぶれなーの ぎろんは、 しほんしゅぎの さんぎょうてんかんの れきしに きょうみを もちながら、 けっていろん から のがれる ことを もくてきと している。(427-8)
- それにたいして、「経済決定論・構造主義・目的論と関連する方法論的危険性」(427)、「そのなかに大都市地域や産業的後背地が整然と差し込まれているような、包含的構造、客体化されたシステム、または意味ありげな全体性が、前もって存在するという前提」(427)、「世界都市政策についての主流派言説をいまだに支配し続けている、都市中心的、素朴実証主義的・拡散主義的・普遍主義的な枠組みーーこれは「村落的」とされるエリアの土地ガバナンス・環境転換・持続的発展をめぐる議論でも、いまだ広範に前提視される枠組みであることを強調すべきだろうーー」(428)を ぶれなーは うけいれない。
- 「むしろ重要な課題は、これらの〔都市地域や産業的後背地といった〕空間を形成・転換し、さらには、これらの空間が埋め込まれているマクロ空間的な配列の生産と間断なき再構造化をいちどきに成し遂げる、関係的に共進化し構成し合う相互接続ーーそして文脈間の媒介物ーーを究明することである」(428、「相互接続」に「インターコネクション」のルビ)
- ¶39 (いち、こっか)こっかは しほんしゅぎてきな としそしきたいの さっしんを うながす。
- 「集中的都市化と拡大的都市化の両方において、現れつつある都市化の空間とスケールは、国家制度・法的編成・政治戦略・所有権レジームによって力強く形成されている」(428)
- ¶40 (に、いんふら)しほんちくせきの ための あんていてきな いんふらは、 おおきな すけーる、おおきな きぼで つくられる。
- 「実際、現代のインフラ建設競争やグローバルな土地収容合戦を解釈するうえで、それらを、多国籍的・大陸的・大陸間的・海洋間的な方向へと大幅にスケール上昇した領域的配列ーーこれを通じてグローバル供給網の内外で資本循環が刺激、方向づけ、レギュレートされるーーの確立へと向けた、国家の空間戦略として解釈することは妥当である」(429、「土地収容合戦」に「ランドラッシュ」、「多国籍的」に「マルチナショナル」、「スケール上昇」に「アップスケール」、「供給網」に「サプライチェーン」のルビ)
- だいきぼな いんふらを こっかが つくる ために、 いんふらが つくられる ところは あたらしい こっかくうかんと なり、わくせい きぼで としかが すすむと いえる。
- ¶41 (さん、ふびょうどう)しんじゆうしゅぎてきな せんりゃくに よって、いんふらが わくせい きぼで ふえ、ふきんとうな くうかん はってんを もたらし、ふびょうどうを もたらす。
- それにたいして、 1970ねんだい は 「空間ケインズ主義的で国民開発主義的なアプローチ」(430)、「戦後の国民開発主義的な領土均質化の言説」(430)が あった。
- 「BRICSとそれを越えた範囲における領域設計への新自由主義的アプローチの拡散は、社会的に包摂的で領域的に統合的か、またはどんな空間的なスケールにおいても生態学的にバランスのとれた発展の様式を促進するというよりも、資本主義的都市組織体の亀裂、分裂、階層化の強化への引き金を引いている」(432)
- ¶42 (よん、こっかと してぃの ゆうごう)「資本主義的都市組織体と国家空間そのもののあいだの相互の絡み合い」(433)が しんじゆうしゅぎに よって おこった。
- るふぇーぶるは、 こっかの せんりゃくが ふきんとうで いろいろな かたちが あると きょうちょうしていたのに、 こっかくうかんが あーばにずむくうかんと たいおうして ひとつの かたちと なると かんがえてしまった。
- ¶43 1980ねんだい からの こっか りすけーりんぐと しほんしゅぎの ないはと がいはに よって、こっか くうかんと としくうかんの あいだで おなじと かんがえられていた かたちは はかいされた。
- ※「実際のところ、本書が論じてきた国家空間戦略の支配的な道筋は、都市空間を、近代国家主義的な意味において領域的でスケール間的な地形に変えたとは言い難い。むしろ支配的な国家空間戦略は、この古典的な戦後の国民開発主義的な優先順位を、まさにひっくり返すものだった。つまり、(都市化された)トランスナショナルな資本の(投機的に計画された)未来に向けての空間的刻印に、より直接的に適合するように再形成され続けあるのは、いまや国家空間の方なのである。」(434)→こっかに してぃを あわせる のでは なく、 してぃ(しほん)に こっかが あわせる。
- ¶44 してぃは こっかの ため では なく、こっかを こえた しほんに つごうの よい ように こっかを かえる。
- 「国家空間の形成は、かくして都市的な領域の競争力を高める戦略にとっての政治制度的な土台へと転換される」(435)
- ※こっかくうかんせんりゃく 「すなわちそれらすべてはトランスナショナルな資本循環との関係で特定の都市的ゾーン(高度産業技術地区、世界都市、情報都市、グローバル・シティ・リージョンズ、経済特区)の立地的装備を強化するために、場所、領域、そして/またはスケールに特化しカスタマイズされた制度枠組みーーマーティン・マレーのつい最近の言葉を使うなら「例外としての都市化」ーーを確立することを狙っている(Murray 2016)」(434-5)Murray, Martin J. The Urbanism of Exception: The Dynamics of Global City Building in the Twenty-First Century. New York: Cambridge University Press, 2016.
- ¶45 しんじゆうしゅぎてきな りょういきでざいん【領域デザイン】は しほんのとしか【資本の都市化】(435)が おこる だいきぼな わくぐみを つくり、とちのほかくは こうはいち【後背地】を つくりなおそうと している。(435-6)
- 「ここで素描された新しい国家空間戦略は、農業的・採掘的な周辺地帯の新しい歴史的形成を予告しているだろうか?」(436)→まえから むすびついていた。
- ¶46 しんじゆうしゅぎてきな りょういきでざいんと、とちのほかくは、 こくさいかされたこっか【国際化された国家】の いちぶか?→そうだが、 また かわっていく。
- 「制度配置、レギュレーション運営、法的コード、金融的媒介」(436)といった こっか けんりょくの あたらしい やりかたが いんふらに おりこまれて、 あらそわれている。
- くうかんの せいじを いんぺいすれば する ほど、 にちじょうせいかつの おるたなてぃぶな かたちを つくろうとする せいじてき けんりょくが つよくなる。(436-7)

  • §7 批判的都市理論と「シティ効果」(437-443)

- ¶47 「資本主義における都市は、より広く世界的な範囲での絶え間ない社会空間的転換と内破ー外破の渦のなかに、領域的な固有性・単一性・境界・一貫性という構造的な外観を生み出すような、特殊な文脈における空間的実践、制度的調整、そして表象様式のイデオロギー的な効果と見なせるのかもしれない」(438)
- ¶48 「課題は、この点からいうと、都市性(cityness)の文脈的に特殊な経験、言説、表象がいかにして、大規模かつ不均等に織り成された資本主義的都市組織体の地形の内部に出現し、共進化する社会空間的転換の多様なプロジェクト(スケールの形成、領域化、場所の形成、そしてネットワークの形成を含んだ)を通して精力的に構築されるかを、正確に読み取ることなのである」(439)
- それにたいして、 してぃ がいねんを あたりまえの がいねんとしたり、 ぶんせきの かてごりー としたり しては いけない。
- ¶49 してぃ がいねんが せいじ てきに つかわれてきたので、 してぃに かんする げんせつの ぶんみゃくを しらべて、 してぃ がいねんを ぶんせきする べき である。(439-40)
- こっかが してぃ という がいねんを ひろめた。
- ¶50 してぃなるものは どのような くうかんてきじっせんや ひょうしょう【表象】で つくられているのか?…(440)
- 440 たくさんの とい 

- これらの といが だいじ なのは、 「惑星的都市化の条件のもとでは、都市形成の日常的な認知マップと、社会空間的・制度的・エコロジー的な内破ー外破の世界規模の景観のあいだに、劇的に拡大していく溝が存在するようになる」(441)からである。
- ¶51 あたらしい としかの ぱたーんと ふきんとう くうかんはってんの かんけいを かんがえる ためには、 してぃの りょういきを ぜんていに しては いけず、 としてきなものを かんがえる べき である。(441-2)
- してぃは ぶんせきの かてごりー では なく、 じっせんの かてごりー として とらえなおす。
- ¶52 しんじゆうしゅぎかの だいとしの せんりゃくと、 こうはいちでの かこいこみ などを つなげて せいじの もんだいに する。
- 「まだら模様な集積が示すパターンや経路を単に解明する最概念化」(442、「まだら模様」に「ヴァリエゲーティッド」のルビ)では なく、「数多くの拡大的都市化の領野にわたって不均等に織りあげられた、都市組織体の持続的かつ多スケールな生産と転換を解明する再概念化」(442)。
- 「あらゆる形態の空間フェティシズムを相殺する、きわめて関係的な意味での認識論的なバラストを提供することで」(442)
- 「バラスト」(442):おもしを そうさいする ための おもし
- 443 

  • §8 最後に――惑星的な大変貌と都市問題(444-452)

- ¶53 としてきな ぷろせすは そんざいするのか?ある。「固有性をもち、絶えず不安定で、体系的に不均等で、激しいまだら模様を示す資本主義的産業化」が ある(444、「まだら模様」に「ヴァリエフェーティッド」のルビ)。
- 「資本主義的産業化は、有働/不動の矛盾、その進化する分節化と階層化、その国家空間戦略と空間の政治による媒介、その資本主義的都市組織体における同質異像で経路依存な政治インフラ的表現との関係で理論化されてきた」(444、「同質異像」に「ポリモーフィック」にルビ)
- ※ りょういき、ばしょ、すけーると ともに えころじーが ならべられている。ねっとわーく では ないのは なぜ? 
- 「ここで提案した用語を使うなら、資本主義的で産業発展を通して生じる社会空間的関係の絶え間ない内破-外破――領域・場所・スケール・エコロジーにわたって進むもの――こそが、批判的都市理論の分析の中心点に位置付けられなければならない。」(444)
- 「なぜなら、都市的なものの内部で争われる闘争や、都市的なものをめぐって争われる闘争は、都市組織体を形成するまだら模様な場所・領域・スケール・エコロジーにわたって、また都市化を通して作られる多方面の可能性を領有し転換するという、絶え間なく変遷する課題との関係でこそあられるからである」(447、「都市的」に「アーバン」と、「まだら模様」に「ヴァリエゲーティッド」とルビ)
- ¶54 ひはんてき としりろんの ちゅうしんには、 ないはと がいはの そうぞうてきはかいに みちた ぷろせすが わくせいきぼで ふきんとうに かくだい する ことが ある。(444)
- わくせいきぼの ねっとわーくに よって、 こうはいち【後背地】は うんえいされるけいかん【運営される景観】に なる。
- ¶55 としもんだいの ほんしつは してぃの そととの かんけいに ある。
- うんえいされるけいかんは、 しゅうへんの りょういきでも よごれしごとを おしつけられた とおい ぎせい でも なく、 「直接に資本主義的な都市組織体のなかに織り込まれた戦略地帯であり、産業的転換の回路」(445)である。
- ¶56 2000ねんだいの わくせいてきな へんかに たいして、 としてきな もんだいせっていを してぃの せいちょうに げんていしては いけず、してぃの がいぶは 資本主義的な都市組織体の なかに あると しゅちょうする だけ では なく、 してぃの がいぶを さいきてき【再帰的】に ぶんせきしないと してぃを にんしきする ことも できなくなると しゅちょうする ひつようが ある。
- ¶57 あらゆる くうかん すけーるに おける としかの おるたなてぃぶな かたちと なりゆきを いめーじして ついきゅうする ための あぷろーち である。
- 「資本主義的な利潤を最大化することではなく、多方面にわたる可能性を共同領有(common appropriation)することに照準した、空間の生産と転換へのアプローチである。」(447)
- 「成長なき発展、社会的そして政治的な解放、(人間的または非人間的に)共有された生活と非暴力的コモン化、エコロジー的な正義・分別・(再)多様化・責任・文化的複数性と実験」(447) かのうせいは としかの ぷろせすに うめこまれているが よくあつされている。
- ¶58 としへのけんりへの、 おるたあーばにぜーしょんへの たたかいが どこで おきるかは いっぱんてきな ことは いえず、としへのけんりは、 いま ある してぃを はかいして つくりかえられる ことを ぜんていに している。(447-8)
- ¶59 としへのけんりを もとめる たたかいは、 しゃかいを よりよくする のでは なく、 あたらしい くうかんを つくりだす しゃかいてきな ちからを きょうどうりょうゆうできる ように はんらんする こと である。(448-9)
- ¶60 してぃでの こもんずの たたかいと、 こうはいち【後背地】での こもんずの たたかいを つなげる ひつようが あり、 よくあつを もたらす いんふらを のっとり、 としかの ぷろせすを せいじてきに もんだいに する ことが できる。(449-452)
- ぶれなーの あぷろーちに よって、 さまざまな せいじてきな うんどうを わくせい れべるで つなげる。(450)
- 「資本主義の成長要請とは切り離されてきた集合的な社会的自主管理と領域的発展の様式を通して、社会的・エコロジー的な空間が生産され、共有され、領有され、そして継続的にコモンズへの転換されるようなオルタアーバニゼーション」(451)が かのうせい として ふくまれている。
- 「そのような可能性の増殖を解読できる概念的道具を提供することを通して、批判的都市理論は、オルタアーバニゼーションの継続的で集合的な想像を行うための、またオルタアーバニゼーションを現実化するための、重要な――必然的に制約されているにせよ――役割を担っている。」(452)

  • こめんと

- ぶれなーが だい10しょうに おいては、 こうはいちに たいする よくあつに ついて おおく ぎろん していて、 うれしかった。 すけーる という はなしを する りゆうが、 このような ふせいぎを とらえる ことに あると かんがえると なっとくが いく。2000ねん だい から してぃを つくる とき には、 だいきぼな いんふらを つくる から、 だいきぼな すけーるに おいて そこに すんでいる ひと たちから とちを とりあげたり する よね、 という はなし。
- してぃ こうかの はなしは、 しゃかいこうちくしゅぎ てきで よいと おもった。ここで しゃかいこうちくしゅぎてき とは、 しゃかいもんだいの こうちくしゅぎ とは ちがって、 せかいは すべて さよう から できている という あるしゅの ゆいぶつろん てきな はっそうを いっている。

  • こうさつ

- けっきょく、 すけーる とは なにか? すけーる とは、 ある しかたで きょうつうして かわされる にんげんの かんけいが おこっている くうかんの ひろがり である(?)。 
- ぶれなーは るふぇーぶるの すけーる がいねんを さんこうに している。
- 「一九七〇年代におけるルフェーブルの二つの主要な著書、つまり『空間の生産』と『国家』のなかで彼が行う議論は、地理スケールが社会空間関係(彼の言葉を用いるなら「空間実践」)の境界として、また同時にヒエラルキーとして作用するというものだ(Lefebvre 1976b)。一方でルフェーブルはスケールについて、それが明確な組織的・領域的なパラメーター、あるいは「スケール皮膜」(scale envelopes)の内部で社会空間関係を制限すると示唆する(Lefebvre 1991[1974]: 351)。」(75-6)
- Lefebvre, Henri. The Survival of Capitalism. Translated by Frank Bryant. New York: St. Martin’s Press, 1976 [1973].
- Lefebvre, Henri. The Production of Space. Translated by Donald Nicholson. Cambridge: Blackwell, 1991 [1974].
- るふぇーぶるに おける 「としてきなもの」が すけーるで かんがえられた。
- 「都市的なものを領域としてではなくスケールとして境界づけるという立場」(5、「都市的」に「アーバン」というルビ、「スケール」に太字強調)
- 「いずれの場合でも、都市的なものは、境界づけられたエリア的な単位――都市のコンテナ――として概念化されたのではなく、むしろ、広範でダイナミックに進化する全体性に埋め込まれた、社会空間的関係(sociospatial relations)として概念化された」(5、「都市的」に「アーバン」、「単位」に「ユニット」、「都市」に「シティ」というルビ、「関係」に太字強調)
- すけーる とは、 とくていの かんけいの くうかんてき あつまり である。
- どんな かんけい? →「問題となっている諸関係――経済的、制度的、文化的、エコロジー的」(6)→けいざいてきな しほんの ながれも、 せいどてきな たんとうくいきも、 ぶんかてきな げんせつも、 えころじー てきな しぜんと にんげんの かんけいも すけーる である。
- たとえば、 だいきぼ いんふら けいかくが たいりく すけーる なのは、 たいりく という ひろがりに おいて とくていの おなじ ような いんふら という にんげんの かんけいが つくられる から。 
- としてきなもの とは なにか?→してぃを つくりだす さまざまな かんけいの こと。
- 「おそらく、われわれはここで、現存的・直接的な現実であり、実践的=感覚的で建築的な所与である都市と、――他方、思惟によって構想し、構築し、あるいは再構築すべき諸関係から組み立てられた社会的現実である≪都市的なるもの≫とのあいだの区別を導入しなければならないであろう。」(るふぇーぶる 2011:77、「都市」、「都市的なるもの」に傍点強調)、あんり・るふぇーぶる【アンリ・ルフェーブル】著、もりもと・かずお【森本和夫】訳、2011、 『都市への権利』ちくましょぼう【筑摩書房】.  (124も さんしょう)
- ↑さくひん である してぃと それを つくる せいさん としての としてきなものを くべつしている。せいさんは さくひんを とおし かんがえる こと でしか たどりつけない。
- としへのけんり とは、 としてきなもの という かんけい、 ちからを とりもどして、 べつの しかたで げんじつか する けんりの ことを さす(?)。
- にほんごに おける すけーるの しょうかい
- にほんごに おける すけーるの しょうかいは、 ていらー から せつめいを はじめる ことが おおい(さとう・かずみ 2019など)。 それにたいして、 ぶれなーは るふぇーぶる から ぎろんを はじめている。
- やまざき・たかし【山﨑孝史】, 2012, 「スケール/リスケーリングの地理学と日本における実証研究の可能性」『地域社会学年報』24: 55-71. https://doi.org/10.20737/jarcs.24.0_55→おきなわと おおさかの りすけーりんぐに ついての ぶんせきを おこなう。
- ①ちずがくてき すけーる=ちずの しゅくしゃく、②ほうほうろんてき すけーる=けんきゅうしゃの みかた、③ちりてき すけーる(やまざき 55)。
- 「資本制下において物資の流通、情報の流動、人間の移動、あるいは組織の活動などに関わる社会過程は空間的な広がりをもち、この広がりは重なり合い、人々の生活、意識、行動にも影響する。こうした、事象やネットワークの広がりによって形成される空間の単位を地理学では地理的スケールと呼ぶ」(やまざき 55)
- すみすは 「空間をめぐる政治闘争は重層化するスケールを舞台とし、動態的にスケールを(再)生産し、別のスケールに関わっていくと考えた。こうした過程は「スケールの政治」と呼ばれ、この政治の主要な手段は「スケール・ジャンプ」とされた (Smith 1992)。」(やまざき 56) Smith, N., 1992, Contours of a Spatialized Politics: Homeless Vehicles and the Production of Geographical Space, Social Text, 33: 54-81.
- さいとう・あさと【齊藤麻人】, 2014, 「「リスケーリング論」の射程と都市圏政策」玉野和志・船津鶴代編「東アジアの社会変動と国家のリスケーリング」調査研究報告書 アジア経済研究所 2014 年 https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/2013/pdf/C41_ch2.pdf
- ぶれなーの ぎろんは 「ルフェーブルによる「空間の社会的生産」論、レギュラシオン学派による資本主義の「調整様式」論、ネオマルクス主義の国家論、経済地理学の「グローカル化」論などを継承・統合したものであるとされている。」(さいとう 2014:11)
- 「なお「スケール」というのは元来地図の縮尺を表す用語であったが、ここではリージョナル・ナショナル・ローカルといった地理的な範囲が政治経済的・社会文化的に生産/再生産される過程として動的な意味合いで用いられている。また「国家のリスケーリング」は state rescaling の翻訳であるが、リスケーリング論におけるstateは 「グローバル」「リージョナル」「ローカル」などの形容詞が接頭されることがあり、 日本語で通常意味する「国家」=ナショナルな地理的領域性を持った国民国家、を意味するものではないことにも注意が必要である。」(さいとう 2014:11-12)
- さとう・かずみ【佐藤香寿実】, 2019, 「「スケールのパフォーマティヴィティ」とストラスブールの大モスク建設―アクターの言説実践に着目して」『人文地理』71(4): 393-416. https://doi.org/10.4200/jjhg.71.04_393
- 「草分け的存在として挙げられるのは,ウォーラーステインの世界システム論から着想し,資本主義経済におけるスケールの役割を分析したテイラーである(Taylor, 1981, 1982; テイラー, 1991)。彼は, 世界システム論における中核=半周辺=周辺の構 造に加え,三つの地理的スケールが資本主義シス テムの全体構造において重要な役割を持つことを 指摘した。すなわち,「現実のスケール」である グローバルな世界経済,「イデオロギーのスケール」 としての国民国家,および「経験のスケール」を 構成する都市や地方である。このシステム全体の 原動力は,世界経済を通じてグローバルな「現実」 を生み出すが,その影響は国民国家の「イデオロ ギー」によって濾過され,ローカルな地域社会に おいて日常的に「経験」される,と主張した(テイラー, 1991)。 また,空間的不均等発展に着目するSmith(1992, 2000, 2008)は,スケールが「生産」されるもの であることを指摘し,諸アクターが「スケール」 の戦略的操作を通じて行う「スケールの政治」と いう分析枠組みを提示してきた。彼にとってス ケールは,社会過程の固定化や物質化であるだけ でなく,その結果として新たに特定の社会過程を 生み出すものでもある。「アイデンティティを境 界づける」(Smith, 1992: 66)既存のスケールに 対する抵抗として,「特定のスケールで確立され た政治的要求や権力が別のスケールへと拡大す ること」(Smith, 2000: 726)を意味する「スケー ル・ジャンピング」といった現象が起こる,と論 じた。この枠組みを発展させた研究群が1990年 代以降は爆発的に増加し,都市における経済的グ ローバリゼーションの内実および「グローカリ ゼーション」に焦点を当てる研究群(Cox, 1998; Swyngedouw, 2004),領域再編成としての「リス ケーリング」に着目する研究群(Brenner, 1999) などが登場した。」(さとう・かずみ 2019:398)
- テイラー, P. J. (高木彰彦訳) (1991). 『世界システムの政 治地理 [上]―世界経済, 国民国家, 地方―』大明堂. Brenner, N. (1999). Beyond state-centrism? Space, territoriality, and geographical scale in globalization studies. Theory and Society, 28(1), 39–78. Cox, K. (1998). Spaces of dependence, spaces of engagement and the politics of scale, or: Looking for local politics. Political Geography, 17(1), 1–23. Smith, N. (1992). Contours of a spatialized politics: Homeless vehicles and the production of geographical space. Social Text, 33, 54–81. Smith, N. (2000). Scale. In Johnston, R. J., Gregory, D., Pratt, G., and Watts, M., eds. The dictionary of human geography, 4th edition. Blackwell, 724–727. Smith, N. (2008). Uneven development: Nature, capital, and the production of space. University of Georgia Press. Swyngedouw, E. (2004). Globalisation or ‘glocalisation’? Networks, territories and rescaling, Cambridge Review of International Affairs, 17(1), 25–48. Taylor, P. J. (1981). Geographical scales within the world-economy approach. Review, 5(1), 3–11. Taylor, P. J. (1982). A materialist framework for political geography. Transactions of the Institute of British Geographers, 7(1), 15–34.
- 「ところで,これらの政治経済学的アプローチか らの研究は,多くの場合,資本主義システム下の スケール構造に着目しており,「資本=労働」関 係を重視する傾向があった。これに対し,文化や アイデンティティをめぐる政治に関心を持つポス ト構造主義の研究者から,批判的再考がなされる ようになったのは,1990年代後半以降のことであ る(Delaney and Leitner, 1997; Jones, 1998; Marston et al., 2005; Moore, 2008; Kaiser and Nikiforova, 2008)。これらの研究は,資本中心の分析から脱し, 文化政治やジェンダーとの関係からスケールを再 考する視点の必要性を説いた。また,スケールの 構築過程を重視する視座からの再考によって,ス ケールは実体として存在するのではなく,言説に よって構築されているものであるという認識論的 立場がとられるようになり,スケールの言説や表 象としての側面に関する研究が進んできた。」(さとう・かずみ 2019:398)
- Delaney, D. and Leitner, H. (1997). The political construction of scale. Political Geography, 16(2), 93–97. Jones, K. T. (1998). Scale as epistemology. Political Geography, 17(1), 25–28. Kaiser, R. and Nikiforova, E. (2008). The performativity of scale: The social construction of scale effects in Narva, Estonia. Environment and Planning D: Society and Space, 26(3), 537–562. Marston, S. A., Jones III, J. P., and Woodward, K. (2005). Human geography without scale. Transactions of the Institute of British Geographers, 30(4), 416–432. Moore, A. (2008). Rethinking scales as a geographical category: From analysis to practice. Progress in Human Geography, 32(2), 203–225.
- 「さらに,Moore(2008)は,近年のスケール論 において,研究者によって用いられる「分析的カ テゴリー」としてのスケールと,社会的アクター によって日常的に展開される「実践的カテゴリー」 としてのスケールが混同されていると指摘したう えで,スケールを,分析視角というよりも,「制 度化された一連の実践と言説」として捉えること を提唱する。そうすることで,スケールに関する ナラティヴや分類が,いかに特定の考え方や行動 様式を生み出すかを問うことができる,と主張 する。 しかし,ポスト構造主義のアプローチが,言 説上の実践を重視するがゆえに,スケールの持 つ物質的および実質的効果を軽視してきた点は 否めない。研究者自身が生み出す言説によって既 存のスケール観が再強化されることを恐れるあま り,「地理学的用語としてのスケールを抹消する」 (Marston et al., 2005: 422)というラディカルな主 張がなされるまでに至っている。忘れてはいけな いのは,表象としてのスケールが,実質的効果を 生み出し,物質世界に大きく作用する点である。 実際,スケールには,政治経済アプローチがテー マとしてきた,実体性を持つ(あるいは,そう認 識される)空間的広がりと,ポスト構造主義アプ ローチが焦点を当ててきた表象的比喩という,両 側面があるように思われる。例えば,MacKinnon (2010)は,双方のアプローチが,スケールの構 築に関してそれぞれ異なる側面(物質的過程およ び言説上の過程)に焦点を当てており,相互補完 的な洞察を行っているに過ぎないと分析する。ま た,山﨑(2013)はスケールを実体的なものと 言説上のものとに分け,後者を「スケール言説」 と呼んで区別する。」(さとう・かずみ 2019:399)
- 山﨑孝史 (2013).『政治・空間・場所―「政治の地理学」 に向けて―(改訂版)』ナカニシヤ出版. Lamine, A. F. (2006). Les foulards et la République. Revue des Sciences Sociales, 35, 154–165. MacKinnon, D. (2010). Reconstucting scale: Towards a new scalar politics. Progress in Human Geography, 35(1), 21–36. Marston, S. A., Jones III, J. P., and Woodward, K. (2005). Human geography without scale. Transactions of the Institute of British Geographers, 30(4), 416–432. Moore, A. (2008). Rethinking scales as a geographical category: From analysis to practice. Progress in Human Geography, 32(2), 203–225.
- さとう・まさし【佐藤正志】, 2022, 「ガバナンスにおける「地域」概念の検討に向けたアプローチの可能性」『自治総研』48(528): 1-18. https://doi.org/10.34559/jichisoken.48.528_1
- 「ヨーロッパの議論では、ガバナンスのリスケーリングを、「グローカル化」の中で資 本の動きに対応した従来の統治機構を再編する過程として捉えてきた(Swyngedouw 1997、2004)。資本主義体制を取る西側ヨーロッパ諸国では、グローバル化の進展や財 政悪化などの中で、1980年代以降ケインズ的福祉国民国家からシュンペーター主義的 ワークフェア型国家への移行(ジェソップ 2005、2008)を進めると共に、経済成長や 地域開発を進める上で、特定の地域や都市への権限移譲と、政府と市場の連携を図るよ うなプロジェクトを採択してきた。このような資本蓄積の単位として、国家から特定の 都市や地域を重点においた動きは、国家によるリスケーリングとして判断される (Brenner 2004)。グローバル化や分権化への対応において、国家はその機能の侵食や 後退に晒されているのではなく、リスケーリングを行う主要な主体として位置づけられ る」(さとう・まさし 2022:6)
- Swyngedouw, E. 1997. Neither global nor local: ‘Glocalization’ and the politics of scale. In Spaces of globalization, ed. K. Cox, 137-166. New York: Guilford Press. Swyngedouw, E. 2004. Globalisation or ‘glocalisation’?: Networks, territories and rescaling. Cambridge Review of International Affairs 17(1): 25-48. ジェソップ,B.著,中谷義和監訳 2005.『資本主義国家の未来』御茶の水書房.Jessop, B. 2002. The Future of the capital state. Cambridge: Polity Press. ジェソップ, B. 著,中谷義和訳 2008.『国家権力 ―戦略-関係アプローチ ―』御茶の水書房. Jessop, B. 2008. State Power: A strategic-relational approach. Cambridge: Polity Press. Brenner, N. 2004. New State Spaces: Urban Governance and the rescaling of statehood. Oxford: Oxford University Press. 
- 「スケール概念は、ガバナンスをめぐる政治学の議論でも着目され始めている。Ansell & Torfing(2018)は、ガバナンスに関わる3つの要素(構成主体、相互作用、戦略的な 期間)におけるスケールに着目する。その中で、Ansellらは、地理的次元について構成 員の所在する地理的範囲、相互作用における近接性/分散や領域内/外の関係、ガバナン スの戦略で取られる地理的枠組み、管轄区域の数や大きさといった面に着目する(13)。 Ansellらは、ガバナンスで取られるスケールは、関係する主体やその相互作用により動 態的に変化するものとして捉えている。すなわち、より広い地理的範囲から関わる主体 の増加や、相互作用する範囲の拡大による政策学習や政策イノベーションの進展、ある 政策課題を当該現象の起こっている範囲を超えた広域化・拡大化を促すといった点に該 当するスケールアップ(scaling up)と、関与する主体の限定化、相互作用を生む地理的 範囲の狭域化、政策上の課題が起きているより小さな範囲での限定化といったスケール ダウン(scaling down)といった動きが起こることを指摘している。」(さとう・まさし 2022:13)
- Ansell, C., Torfing, J. 2018. How Does Collaborative Governance Scale? . Bristol: Policy Press.  
- なかざわ・ひでお【中澤秀雄】, 2013, 「平成リスケーリングを問う意味 —戦後史における国家性スケールと地域主体」『地域社会学会年報』25:5-22. https://doi.org/10.20737/jarcs.25.0_5 →にほんの りすけーりんぐに ついての れきしを のべている。
- 「リスケーリング概念が提起される背 景にあるのはEU形成に象徴される世界秩序と統治空間の変化である。グローバリゼーシ ョンや福祉国家の後退を要因として、国家の空間制御能力の上方及び下方への変化が起き ると「リスケーリングrescaling」と捉えられる。とりわけグローバル競争力をもつとされる 都市地域(city-region)や世界都市の出現は重要で、「世界都市は国家と地方の経済発展にお ける成長極と認識され、各国の大都市は新たな統治機構として、また経済的主体として再 構築されねばならないとされる」(山崎 2012: 57)。ということは、世界都市ないしグロー バル都市地域が膨張することにより後背地や域内他都市も、産業空洞化や人口流出等の大 きな影響を受ける。世界経済と地方とが直接関わらざるを得なくなった状況」(なかざわ 2013:7)
- 「こうして連合王国の地方自治制度は、郡と地域 圏のスケールが入り乱れて併存し統一的には表現しにくい「まだら模様」(variegated)の行 政制度となっている。」(なかざわ 2013:8)
- ぱく・べぎょん【박배균】著, 文貞實と金善美訳, 2012, 「東アジアの発展主義国家におけるスケール間の緊張とリスケーリングーー韓国の中央-地方間の緊張関係と分権化をめぐる政治」『地域社会学会年報』24: 21-54.  https://doi.org/10.20737/jarcs.24.0_21 스케일 간의 영역적 긴장이 동아시아 발전주의 국가의 스케일적 재편에 미치는 영향에 대한 연구 : 한국에서 나타나는 중앙 -지방 간 갈등과 분권화의 정치
- 「しかし、近年、近代国家の領域的な性格と空間的な組織において重大な変化が起きるな か、このような国家の領域性に対する伝統的な認識論に対する挑戦が多様におきている。 経済的なグローバリゼイションの進展という状況のなかでEU、NAFTAなどの超国家的な 単位で形成される新しいガバナンスの構造が登場し、また、それと同時に国家より小さな 単位の地域においてより多くの権限と責任を与える分権化、分散化の傾向などが現れても いる。つまり、国家的な調整とガバナンスがつくられる空間的なスケールが変化しており、 同時に、国民経済と国家的な市民社会において伝統的に存在していた内部的な凝集性が次 第に弱体化しているといえる。」(ぱく 2012:23)
- 「近年、批判的人文地 理学者たちを中心に使用されるscaleという概念は、地図学上の概念というよりも、より 自然、あるいは人文的な事件、過程、関係などによって発生し、広がり、作動する空間的 な範囲を意味するものとして多く使用される。 たとえば、わたしたちが毎年、春に経験する黄砂は、モンゴルや中国内陸で発生し、韓 国、日本まで影響を与える自然現象として、東アジア的なスケールで作動しているといえ る。また、ある政治的、あるいは経済的な過程が地方的(local)な範囲でおもに作動する か、あるいは、それよりも大きな国際的(national)な範囲で発生するか、もしくは、地球 的(global)な範囲で作動するのかなどを称してスケールという用語を使用する。 しかし、スケールについての、近年の議論を学問的に意味づけているのは、人文あるい は自然現象が作動する空間的な範囲として理解できるスケールが、単に、存在論的なだけ でなく、認識論的な問いと関連するためである。特定の人文、あるいは自然現象上の作動 範囲は存在論的に与えられ、物質世界の構成と秩序によって先験的に規定されるものでは なく、政治、社会、文化的な過程を通して、つくられ、再編成されるものである(Smith19 93,Swyngedouw1997,Brenner2000,2001,Marston2000)。ここで、重要なことは、スケールの 現実を認識するひとつの枠組みをつくる方法であり、この認識の枠組みが社会的に構成さ れるということである(Delaney and Leitner1997,94-95)。どのような社会的な現象が、ど のような空間的スケールであるかを規定するかは、人びとが大きな現象を認識し、解釈す る様式に非常に大きな影響を与えることもある。よって、相反する利害をもつ行為者たち は、この現象を自分たちにより有利に利用するために、この現象が発生し、作動する空間 的なスケールをそれぞれ異なる方向へ規定しようとする。つまり、スケールは様々な社会 勢力間の権力闘争と論戦政治(contentious politics)の重要な対象となり、その過程を通じ て、物質的、議論的に構成されるものといえる。」(ぱく 2012:26)
- 「国家のリスケーリングに関する論議は、スケールの社会的な生産を資本主義社会の調整 過程に焦点をおくことで本格化している。Swyngedouw(1997)によれば、資本主義は、階 級間、ジェンダー間、人種間の葛藤、闘争による緊張と力動性に満ち溢れた社会システム である。しかし、この混沌と力動性にも関わらず、資本主義は、その内的な秩序とそれな りの統一性を維持してきたが、ここに調整(regulation)の役割が非常に重要である。マル クス主義の政治経済的な観点からスケールの生産を論議する側にとって、スケールの生産 と変形は、このような闘争と葛藤、そして、調整過程の核心に位置づけられる。 調整は資本蓄積を持続するために大変重要な行為である。資本が労働から利用価値を創 出し、他の諸資本との競争に勝利するためには、経済的諸活動が社会的、空間的に組織化 される必要がある。たとえば、特定の技術と属性をもった労働力の供給を安定化し、利用 価値の創出を持続するためには、労働と資本間にどのような形式にせよ妥協がなされなけ ればならない。労働力の持続的な再生産を保証するためには、住宅、教育、保健などの公 −27− 東アジアの発展主義国家におけるスケール間の緊張とリスケーリング(パク) 共サービスが安定的に供給されねばならない。繰り返すならば、資本蓄積を持続するため には、資本蓄積の過程で必然的に発生する資本間の競争、労使間の緊張関係による社会的 な混乱と不安定が解決されねばならない。また、経済諸活動と取引関係などはそれぞれの 社会的、空間的な枠組みのなかで、編成され、組織化されねばならないということである。 しかしながら、“見えざる手”に依存する市場は、このよう組織化において個別の諸行 為者の行動を全体的に理解するためには、調整する上で徐々に問題点が現れる。よって、 経済活動の社会空間的な組織化のためには、政治的にせよ、経済的な行為者たちの積極的 な意思を踏まえた調整行為が要求される。この調整行為はいろいろな制度的な諸装置を通 して可能となる。つまり、行為者たちの政治経済的な行動をどの方向にむかわせるかを調 整し、規制するためには、法律、規則、契約、慣習、習慣、黙契、伝統、イデオロギー、 社会的で物理的な下部構造など多様な形態の公式的な、あるいは非公式的な制度的な装置 がなければならない。調整のための各種の制度的な諸装置を通して、資本主義の社会諸関 係は、Harvey(1989)が言及した、“構造化された凝集(structured coherence)”をつくり安 定性と統一性を維持することになる。 ところで、Harveyは、この“構造化された凝集”という用語を主に都市やローカル・ス ケールにおいて、蓄積のために構造化され、形成される社会的な諸関係を称するのに使用 した。すなわち、この用語を使用し、Harveyは蓄積の空間的な範囲に基づき、地域的に 形成される労働市場を中心とした資本と労働、資本と資本間の諸関係が、様々な社会的、 空間的につくられる制度的な諸装置を通して、調整され、資本の蓄積のためにどのような 統一性と一貫性を備えるようになるかを主張した。 ここで、わたしたちは、調整とスケールの生産間の接点を発見することになる。それは、 調整の過程が、つねに、特定の空間的な範囲内で“局地化して(localized)”、つくられる ということである。つまり、調整のための制度的な装置と社会的な約束が十分なとき有効 な影響力を発揮するのは、いつでも、特定の空間的な範囲内でのみである。そして、調整 のための諸制度が、ある程度、空間的な範囲から広がるかによって、調整の空間スケール が定められるのである。ある調整過程は、都市範囲内でのみ有効であり、また、あるもの は、国家というスケールで作動し、あるものは様々な諸国を相手に広がる。結局、調整の ための公式的な、あるいは非公式的な制度的な諸装置が多様な空間的スケールにおいて、 異なった方法で組織され、この調整の拡大する空間的な範囲に基づき、スケールが社会的 に生産されるといえる。 空間またはスケールの生産を、調整過程の効果あるいは結果としてのみ理解してはなら ない。ベクトルの方向は逆にもなり得る。つまり、調整過程が空間またはスケールによっ て影響されることもあるのだ。これは、調整過程が基本的には緊張関係にもとづく政治的 過程である事実と関連している。資本蓄積のために社会関係を特定の方向に組織すること は、基本的には、お互い異なる利害を持つすべての人々を幸せにすることはできない。すなわち、調整過程とは特定の利害集団の犠牲にもとづき、他の利害集団に恩恵を与える過 程である。したがって、調整はつねに利害関係を異にするさまざまな行為者間の緊張関係 を招く。結局、調整過程とは、特定の利害勢力が自らの利害にもとづいて他の利害勢力を 説得したり、屈服させたりすることを通じてこの緊張関係を克服し、ある社会的約束を作 り出す政治的過程だといえる。そしてこのような政治過程において、空間とスケールが積 極的に用いられるのである。」(ぱく 2012:26-28)
- 「調整過程における空間とスケールの政治的利用は、空間を利用した差別化戦略と関連し ている。つまり、空間を利用した区画化を通じてその空間範囲の外の勢力との差別化・競 争を刺激することで、同じ空間範囲内の勢力の間では内的団結が図られ、それによって特 定方向への調整戦略が難なく受け入れられるように誘導する戦略である。これはしばしば 領域化(territorialization)戦略とも関連するが、地域主義あるいは民族主義のようなイデオ ロギーを活用し、特定の空間スケール内における領域的な同質性を強調することで、地域 内の緊張関係を解消する方式である。 空間的スケールもこのような差別化戦略に積極的に利用される。Smith(1993)によると、 スケールとは、競争と協力の矛盾的な過程が地理的に解決されることで現れる結果である。 つまり、スケールの持続的な生産と再生産は、異なる場所の間に境界を形成し、差異を作 り出す過程であるという。たとえば、国民国家(nation-state)というスケールの登場は、資 本家階級の間の異なる理解と緊張関係を、領域的に妥協させようとした努力の結果である。 資本家間の競争は資本主義における基本的な要求事項であるが、無政府的な競争は資本の 持続的蓄積の邪魔となる。したがって、資本の持続的な蓄積と社会的再生産のためには資 本家階級の内部団結が必要となってくるのだが、国民国家とはこうした矛盾的過程を解決 する一つの手段なのである。国民国家という地理的領域の中で、支配階級は労働力の再生 産、経済活動に対する法律的制度、生産と交換に必要な社会下部構造、イデオロギー的な 制度などを共同で提供する。しかし一方で、このような領域化過程は、国家領域の外の勢 力との競争的関係を深化させるものとなる。 Swyngedouw(1997)もまた、スケールを協力と競争という二つの矛盾した傾向が一時的 な和解を成すことで、統制と支配がおこなわれる場として認識した。国民国家が形成され るのは国家という空間的スケールにおいて資本家たちの協力と団結がおこなわれるためで あるが、このようなスケールの形成は、小さなスケールの地域に根ざした資本たちがお互 い協力し、より大きな空間スケールを作ることで利得を得ようとする力と、協力よりは相 互間の競争から利得を得ようとする力の間の矛盾的な傾向が、お互い適切な均衡を成す時 に可能となる。また、労働運動が国家スケールで組織化されるのも、さまざまな小さなス ケールの労働運動および運動勢力間の協力と競争が均衡を成す時に可能なことである。結 局、スケールとは、協力と競争、そして同質化と差別化の間を媒介するリンクとなってき たのである。これまでの論議を簡単にまとめると、空間的スケールとは 1)調整と関連して形成され たさまざまな「制度たちが空間的に広がる範囲」と、2)調整の政治過程で用いられる「空間 に対する同質化または差別化戦略」を通じて社会的に形成されるものだといえる。」(ぱく 2012:28-29)
- たまの・かずし【玉野和志】, 2012, 「日本におけるリスケーリング研究の可能性をめぐって 『地域社会学会年報』24: 5-19. https://doi.org/10.20737/jarcs.24.0_5
- 「このような観点からもわかる通り,リスケーリング論にはいわゆる空間論における議論 の成果を引き継いでいる部分がある.すなわち,あらゆる社会的な行為は空間的な実践で あり,われわれは日常的に空間的な制約のもとにある.空間を通してある種の規制を受け, 権力の作動を経験する.その際,ローカルか,ナショナルか,グローバルか,といういか なるスケールのもとにあるかがきわめて重要なのである」(たまの 2012:1)
- 「さらに,リスケーリング論の背景として有力なのが,レギュラシオン理論におけるポス ト・フォーディズムの議論である.フォーディズムの危機以降,国家を単位としたケイン ズ主義的な調整様式が機能しなくなり,特定の都市やリージョンが直接グローバル経済と 結びついて発展する形態が模索されるようになった.それにともない国家ではなく地方自 治体を単位とした成長戦略が重視されるようになり,資本主義が調整されるスケールその ものが再編されていったのである.」(たまの 2012:1)
- 「山崎氏が討論の過程で端的に「リスケーリングとは女性専用車両のことである」と述 べていたことが印象的であった.あるスケールを設定することで,特定の領域の内部にだ け適用できるルールを生み出すことができるということである.レギュラシオン理論の立 場からいえば,独自の調整様式が設定されるということである.」(たまの 2012:8)

  • さんこうぶんけん

- https://geog.ubc.ca/profile/jamie-peck/
- あんり・るふぇーぶる【アンリ・ルフェーブル】著、もりもと・かずお【森本和夫】訳、2011、 『都市への権利』ちくましょぼう【筑摩書房】.
- Murray, Martin J. The Urbanism of Exception: The Dynamics of Global City Building in the Twenty-First Century. New York: Cambridge University Press, 2016.
- なかざわ・ひでお【中澤秀雄】, 2013, 「平成リスケーリングを問う意味 —戦後史における国家性スケールと地域主体」『地域社会学会年報』25:5-22. https://doi.org/10.20737/jarcs.25.0_5 →にほんの りすけーりんぐに ついての れきしを のべている。
- ぱく・べぎょん【박배균】著, 文貞實と金善美訳, 2012, 「東アジアの発展主義国家におけるスケール間の緊張とリスケーリングーー韓国の中央-地方間の緊張関係と分権化をめぐる政治」『地域社会学会年報』24: 21-54.  https://doi.org/10.20737/jarcs.24.0_21 스케일 간의 영역적 긴장이 동아시아 발전주의 국가의 스케일적 재편에 미치는 영향에 대한 연구 : 한국에서 나타나는 중앙 -지방 간 갈등과 분권화의 정치
- さいとう・あさと【齊藤麻人】, 2014, 「「リスケーリング論」の射程と都市圏政策」玉野和志・船津鶴代編「東アジアの社会変動と国家のリスケーリング」調査研究報告書 アジア経済研究所 2014 年 https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/2013/pdf/C41_ch2.pdf
- さかい・たかし【酒井隆史】, 2006, 「「都市への権利」が問うもの――法・権利の主体とその変容について」『法社会学』64 : 77-85,276. https://doi.org/10.11387/jsl1951.2006.64_77
- さとう・かずみ【佐藤香寿実】, 2019, 「「スケールのパフォーマティヴィティ」とストラスブールの大モスク建設―アクターの言説実践に着目して」『人文地理』71(4): 393-416. https://doi.org/10.4200/jjhg.71.04_393
- さとう・まさし【佐藤正志】, 2022, 「ガバナンスにおける「地域」概念の検討に向けたアプローチの可能性」『自治総研』48(528): 1-18. https://doi.org/10.34559/jichisoken.48.528_1
- たまの・かずし【玉野和志】, 2012, 「日本におけるリスケーリング研究の可能性をめぐって 『地域社会学会年報』24: 5-19. https://doi.org/10.20737/jarcs.24.0_5
- やまざき・たかし【山﨑孝史】, 2012, 「スケール/リスケーリングの地理学と日本における実証研究の可能性」『地域社会学年報』24: 55-71. https://doi.org/10.20737/jarcs.24.0_55→おきなわと おおさかの りすけーりんぐに ついての ぶんせきを おこなう。
- やまもと・ゆきひと【山本千寛】, 2021, 「アンリ・ルフェーヴルと「遅れ」の思想――都市環境を構想するために」『日仏社会学会年報』32: 57-78. https://doi.org/10.20811/nichifutsusocio.32.0_57
- Zoomers, A. (2010). Globalisation and the foreignisation of space: seven processes driving the current global land grab. The Journal of Peasant Studies, 37(2), 429–447. https://doi.org/10.1080/03066151003595325

せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどの りろん だい4しょう こうはん

せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどの りろん だい4しょう こうはん
2026/05/27
D1 さいとう・まの
だい4しょう こうはん
Fligstein, Neil, and Doug McAdam, 2012, A Theory of Fields, Oxford University Press.
第 4 章 Change and Stability in Strategic Action Fields こうはん(pp.99-113)

たんご
 crisis ゆらぎ、 ゆるがす
 strategic action field せんりゃくてきな おこないの ふぃーるど
 ばとる・ふぇいず【the episode of contention】
 かんけい ふぃーるど【related field】
 ないぶとうちだんたい【IGU】

99ていちゃくと はかい――せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどに おける あんていと ゆらぎ
 いっぱんに せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどは そとからの えいきょうで ゆらぐ。
 ゆらぎを もたらす みっつの よういんが ある。
 いち、そとからの しんにゅう
 に、かんけい ふぃーるどにおける へんか
 さん、おおきな はんいを ゆるがす せんそうや きょうこう【恐慌】
 いち、 そとからの しんにゅう
 あたらしい めんばー などは へんかを もたらさない。
 ちつじょを かえる ために しんにゅうしてくる ばあいが ある。
 100 ちつじょを かえる ことが できる のは、げんしょくしゃが よわく、ちょうせんしゃが みかたになり、くにが ほごしてくれる ばあい である。
 しんにゅうに よる せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどの へんかの ぐたいれい
 てきたいてき ばいしゅう【敵対的買収】: かぶしきを かってに かって、 けいえいけんを うばう こと
 がいこくの とうしかの しんしゅつ
 おおきな ろうどうくみあいが しんにゅうしてくる。

 に、 かんけい ふぃーるどに おける へんか
• かんけい ふぃーるどに おける へんかに よって、 ふぃーるどが ゆらぐ ことが もっとも いっぱんてきである。
o かんけい ふぃーるど【related field】 とは、 ある ふぃーるどが いぞんしている ふぃーるど である。
o あくたーが、 (いち)、 できごとを ちゃんす または あぶないことと かいしゃくし、 (に)、そしきてきな しゅだんを つかって、 (さん)、 へんかくてきな おこないを おこなえたならば、 ていちゃくは はかい され、 ばとる・ふぇいず【the episode of contention】が はじまる。
• しげんを ほかの すくない ふぃーるどに いぞんする ほど、 ゆらぎやすい。
• れいせんの ときの あめりかがっしゅうこくの ぐんじさんぎょうは、国防省【こくぼうしょう】に たよっていた ために、ぼうえいひ【防衛費】が へって、 合併が すすむ。
• しゃかいは たくさんの せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどで なっていて、 ゆらぎが れんさ していく。

 さん おおきな できごと
• せんそうや たいせいの へんか などの せいじてき ゆらぎは、 おおきな はんいに えいきょうを もたらす。
• おおきな できごとを (いち) ちゃんす または あぶないことと かいしゃくし、 (に)、そしきてきな しゅだんを つかって、 へんかくてきな おこないを おこなう。
• ちゅうごくの ぶんかだいかくめいは、 しゃかい ぜんたいの ふぃーるどを ゆるがした。 
• 102 ゆらぎの あとに ふたたび あんてい する ときは、 ふぃーるどが はじめて できる ときと おなじく、 しゃかいてき すきるや こっかが じゅうよう であるが、おおきな できごとの ときには それらの えいきょうが よわくなる。
• しゃかい ぜんたいが ゆらいでいる ときには、 こっかの おこないが ふあんていを もたらす ことが おおい。
 うちがわ から おこる ゆらぎも ある。
• うちがわ からの ゆらぎは にちじょうの へんかの えんちょうに ある。

 103 ふぃーるどが つねに つくりなおされる から といって、 ふぃーるどが かわる わけでは ない。
 The absence of discernible threats to, or opportunities for, the advancement of group interests is excepted to preclude the possibilities for successful emergent mobilization. 103
 あんていに おける すこしずつの へんかに よって、けっかてきに おおきな はかいに つながる。
 あめりかがっしゅうこくの やきゅう という ぷろすほーつの はじまりに おいて、 ゆっくりと かわっていった。
 あまちゅあの ちーむ から ぷろの ちーむに なっていくに つれて、 おかねを はらう ように なる。そして、 ちーむの しょゆうしゃ、 たいせんあいが もんだいに なる。
 104 ぷろが たくさん かち、 せんしゅが ちーむを しょゆうした りーぐが できる。
 とばくの もんだいが あって、じつぎょうかが しょゆうする ちーむに じょじょに かわっていく。
 けっきょく こっかが まとめる。
o ふぃーるどの あんていを とりもどす
 あくたーに とって、 からだと こころ から ちつじょは あって ほしい。
 105 かわりはじめたら とめられないが、ちつじょを もとめる。
 ゆらぎの あとに あんていを とりもどす ときも、 ふぃーるどが できる ときと かわらず、 しゃかいてき すきると こっかが じゅうように なる。
 あんていを とりもどした ときには、 げんしょくしゃと ちょうせんしゃが はっきりと いる。(はじめて できる ときとの ちがい)
 げんしょくしゃは あぶない ときに まもりに はいる。 いかにも だめな とき にも、 げんしょくしゃは ゆうりな たちばに ついての せつめいを ないめんかしている ために、 まもりに はいる。また、 げんしょくしゃの ゆうりな たちばは げんじょうの あんていに いぞんしている のも りゆうに なる。
 げんしょくしゃは ゆらぎに ちょくめんした ときには、 ないぶとうちだんたい【IGU】を つかう。
 はじめて ふぃーるどが できる ときは、 こっかが かかわり やすい。 きほんてきに こっかは ふぃーるどの なかみに かかわらない。 しかし、 おおきい ふぃーるど では かかわる。
 106 おおきい ふぃーるどに こっかが かかわる りゆう、(いち)こっかの あんていの ためには ふぃーるどに あんていしていて ほしい から(に)こっかは ふぃーるどの げんしょくしゃと つながる から。
 かんけい ふぃーるど との かんけいも どうよう。
 げんしょくしゃが こっかと むすびついても、 あんていする とは かぎらない。
 (いち)がいぶと げんしょくしゃ よりも ちょうせんしゃが つよい かもしれない。
 (に)がいぶが うらぎる かもしれない。
 (さん)ちょうせんしゃが もっと つよい がいぶと なかまに なる かもしれない。
 ちょうせんしゃは きゃっかんてきな ちゃんすを のがしがち である。
 "That is why we have placed the processes of collective attribution, social construction, and appropriation at the center of our model of emergent mobilization." (106-7)→そうはつてきどういんには、 ①できごとを ちゃんすか あぶないと おもい(collective attribution)、②そしきてきな しゅだんを のっとり(appropriation)、③へんかくてきな しゅうだんに よる おこないを なす( social construction)
 (いち) でっちあげは うけいれられない ので、 あまり おこらない。
 ちょうせんしゃは しょうへきが おおすぎて、 きゃっかんてき ちゃんすを つかみにくい。
 しょうへき (いち)、 かつために ひつような れんたいを つくりあげる ひつようが ある。(あくたーは あんていを このむ ため)
 しょうへき (に)、 こっかの みかたを みつけて、 へんかを かくていさせる ひつようが ある。
 こっかが よわい ならば、 ふぃーるど ないぶの へんかで あんていする かもしれない。
 しかし、 こっかが つよい ならば、 こっかに よる しょうにんが ひつように なる。
 108 こっかは かちうまに のる ので、 ゆらぎ はじめは げんしょくしゃに つき、 ゆらぎ おわりは ちょうせんしゃに つきやすい。
 こっかの せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどが へんかすると、 ほかの ふぃーるども かわる ことが ある。 たとえば、 せいけんこうたいの あとの しゅくせい など。
o しゃかいてき すきると こっかの かんけい
 ふぃーるどの はじまり、 あんてい、 へんかが しゃかいてき すきると どのように かかわるか。すきるもち(skilled)は、 ろーかるな ちつじょを くりかえす ために、 ときとばしょに おうじて たいおうする。
 しゃかいてき すきると ふぃーるどの はじまり
 ふぃーるどの はじまりでは、 すきるもちも ふぃーるどを あんてい させる ことに しっぱいする。
 (いち)つよい しゅうだんが ちつじょを おしつける。
 すきるもちが ほかの ふぃーるどの しげん などを つかう。ふくすうの しゅうだんで きょうりょくする。
 (に) すきるもちが あたらしい せいどを かんがえだす。
 でぃまじお【DiMaggio】の 「せいどてき きぎょうか」の ように、 あたらしい ぶんかてきな とらえかたを つくりだし、 しゅうだんこうどうに つながる あいでんてぃてぃを ていきょうする。
 110 すきるもちに よって つくられた ものがたりに よって、 どうぐてきな りえき だけ では なく、 じつぞんてきな みっしょんを かくとくする。
 しゃかいてき すきると ふぃーるどの くりかえし
 げんしょくしゃ しゅうだんの すきるもちは、 ふびょうどうに はいぶんされた るーると しげんを もちいて、 きょうりょくを とりつけて、 けんりょくを いじする。
 しはい しゅうだんの なかでも、 きんちょう かんけいが ある。
 111 すきるもちは めんばーから らいばるに たいして ゆうりに なる ように しはいを ひろげ、 めんばーに よく おもわれるが、 どうじに すきるもちは ちつじょを こわさないように きをつける。
 しはいされている しゅうだんの すきるもちは、 あんてい している ときには、 しはいしゅうだんから こうげきされる かのうせいも ある なかで、 ひとびとを しゅうだんに むすびつける あいでんてぃてぃを みつけだす。
 ”Often, this is an identity rooted in opposition and control over "their" niche. Skilled strategic actors in dominated groups tend to take what the system gives. ”(111)
 あんていしている ふぃーるど では、 しゃかいてき すきるが じゅうようでは ない ばあいも ある。
 しはい しゅうだんが すくない、 しげんが おおい、がっこうや けいさつ などの せいこうか しっぱいか ひょうかが むずかしい ばあい には、 とくに しゃかいてき すきるに かんけいなく、 るーると しげんで あんていする。また、 ふぃーるどの ありかたが とうぜんの ことに なっている ことも ある。
 しゃかいてき すきると ふぃーるどの へんか
 そとの ふぃーるど からの えいきょうで へんかする ゆらぎの ときは、 とっけんを いじ できなず、 そうごこういを しはいする るーるが はたらくなくなったとき。 
 しはい しゅうだんの すきるもちは、 ゆらぎに たいして、 これまで どおりに こうどうする。
 (いち)、 ほんとうの ゆらぎと、 にちじょうてきな いざこざの くべつが つかない から。 (に)、いつもの やりかたで ゆうりに なってきた から。
 112 ばとる・ふぇいず【episode of contention】には、 げんしょくしゃが あらたな ちつじょを うけいれる ため には、 りーだーが あいでんてぃてぃと りがいを かえないと いけない。
o けつろん
 しゃかいは せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどが たくさん あり、 かんけいが あんていと へんかを つくる。
 せんりゃくてきな おこないの ふぃーるど という かんがえかたの よい てんが いつつ ある。
 (いち)、 ちいさい へんかも おおきい へんかも せつめいできる。
 113 (に)、しゃかいてきな きそ としての せいじてきな れんたいと かいそうの やくわりが りかいできる。
 (さん)、ことなる じょうきょうで あくたーが どう するかを よそう できる。
 (よん)、いぞんしている ふぃーるど との かんけいで みとおしが きく。
 (ご)、 ゆらぎと あんていを おしすすめる こっかの やくわりを きょうちょう する。
 うんどうの ような どういん ぷろせす として、 せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどの はじまりと へんかを ぶんせき する ことで、 かいそうこうぞうや せいじてきれんたいを つくる という すきるもちの やくわりを しめした。
 あんていに ついても たえざる つくりなおしと とらえた。
 しゃかいてき すきるを きょうちょうした。
 あんていしている ときは、 かんけいが へんかを もたらす。へんかが あたらしい こうどうを うむ。こっかが へんかと あんていを うながす。
• めも
o 4 章前半①(p.86)で掲げられた 6 つの問い (***さんの れじゅめ から。やじるしの あとは さいとうに よる)
 ・SAF は最初にどのように出現するのか?
 ・これらの、か弱く新しくできた SAF はどのように安定化されるのか?
 ・どのような手段によって、安定した定着が SAF において達成され、維持されるのか?
 ・そのような定着の崩壊の源泉は何であるか? →かんけい
 ・SAF における秩序は、通常どのようにして回復されるのか? →こっかの かいにゅう
 ・最後に、これら 3 つの場の状態(すなわち、出現、安定、および崩壊/危機)のそれぞれ において、どのような形態の skilled な社会的行為が見られると予想できるか?→はじまりには すきるもちが ほかの ふぃーるどの しげん などを つかう、すきるもちが あたらしい せいどを かんがえだす。あんていの ときは、 しはい しゅうだん では ふびょうどうに はいぶんされた るーると しげんを もちいて、 きょうりょくを とりつけて、 けんりょくを いじする。 しはいされている しゅうだんでは ひとびとを しゅうだんに むすびつける あいでんてぃてぃを みつけだす。ゆらぎの ときは、しはい しゅうだんの すきるもちは、 ゆらぎに たいして、 これまで どおりに こうどうする。 あらそいの とき(episode of contention)には、 げんしょくしゃが あらたな ちつじょを うけいれる ため には、 りーだーが あいでんてぃてぃと りがいを かえないと いけない。
• こめんと
o だいにしょうに よると、 じつぞんてき とは、 ことばを つかう ことに よって しょうじる ひつような ことを あらわす。 じぶんが ほかの なにかと おきかえられる という ことを にんしき した ときに、 じつぞんてきな ひつようが しょうじる。じぶんが いらない かもしれない という ふあんに たいおうする ために、 いみが ひつように なる。しゃかいてき すきるは、 その いみを つくりだす のうりょく である。
o ふれぐすたいんと まっくあだむは、 いっていの ようその あつまりを、 せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどと とらえる ことで、 そしきの あつまりと、 そしきとを おなじ かてごりーで あらわした。そうすることで、 しゃかいを すべて、 せんりゃくてな おこないの ふぃーるど として みなす ことを かのうにした。 さらに、 しゃかいうんどう けんきゅうの かんがえかたを つかって、 せんりゃくてきな おこないの ふぃーるどが できる ありさまを どういん として きじゅつした。
o これは しゅうごうろんの ようである。  しゅうごうろんでは、 ようその あつまりは、 ひとつの ようそに なる から である。
o それゆえ、 ふれぐすたいんと まっくあだむの ぎろんは、 まつしまさんの ことばで いえば、 「ざつ」で 「するどさを うしなう」 りろん なのである。
o では、 そのような ざつな ぎろんは、 どのような うれしさを もたらすのだろうか。それは、 なんでも ひかく できる ように なる という こと である。これに よって、 みじかな ものに よって、 なれない ものを せつめい する ことが できる ように なる。 たとえば、 しゃかいうんどう ぎょうかいと だいがくは ともに せんりゃくてきな おこないの ふぃーるど である。 このように かんがえると、しゃかいうんどう ぎょうかいを しらない ひとも、 だいがくを しっていれば、 だいがくに たとえて りかいする ことが できる。 ぎゃくも しかり。

ぶりゅの・らとぅーる 『しゃかいてきなものをくみなおす』 2と3の れじゅめ

ぶりゅの・らとぅーる 『しゃかいてきなものをくみなおす』 2と3の れじゅめ

さいとう・まの
とうきょうだいがく じんぶんしゃかいけいけんきゅうか しゃかいがく D1
2026/05/12

ブリュノ・ラトゥール, 2019, 『社会的なものを組み直す――アクターネットワーク理論入門』伊藤嘉高【いとう・ひろたか】訳, 法政大学出版局【ほうせいだいがくしゅっぱんきょく】.  Bruno Latour, 2005, Reassembling the Social: An Introduction to Actor-network-theory, Oxford University Press.
※まるかっこの なかは にほんごやく/えいごの ぺーじの かず。
※※せいぼうりょくに ついての きじゅつが すこし だけ あるので、 ちゅういが ひつよう(139ぺーじ-140ぺーじ、れじゅめの 9ぺーじ)。

ch. 2 第二の不確定性の発生源――行為はアクターを超えてなされる(83-)
§1 おこないは あくたーを こえて なされる
¶1 ひとつに あわさって すすむ いちれんの ぶぶん としての しゃかいてきなものと、 とくていの しゅるいの そざい としての しゃかいてきなものは ちがう(83-4)。
one set of features that, so to speak, march in step together(43) ひとつに あわさって すすむ いちれんの ぶぶん
social designates a particular kind of stuff(43) とくていの しゅるいの そざい としての しゃかいてきなもの

¶2 おこないは いろいろな ものが むすびあわさって できている(84)。
How do we know what the social world is made of? (43)
namely that which sees action as not transparent. (44)
だいにの ふかくていせい とは、 おこないは なにで できているのか わからない という こと。
だいにの ふかくていせいの はっせいげんは あくたーねっとわーく である。

¶3 わたしたちは ひとりで おこないを なしているのでは ない(84-5)。
(れい1)だいがくに いって、 おやたちと きょりが できる。 だれの 
(れい2)こいを した ときに、 だれが れんあい しているのか?

¶4 がくもんは おこないの ふくざつせいを せつめいする ために、 さよう(えーじぇんしー)を ふやした。
(れい3)むかしの しゅうらくが こだいの みちに そって ならんでいる のは なぜか。
(れい4)かぶしきの とりひきで おなじ ときに おなじ かぶを いっせいに うるのは なぜか。
(れい5)がっこうの ぎょうじに くる おやたちが にているのは なぜか。

¶5 おこないは あくたーを こえて なされる(86)

¶6 しかし、 ある しゃかいてきな ちからが こんとろーる している とまでは まずは いわないで おこないに かかわっている ぐたいてきな ものを きめない。(87)
It is for this reason that we should begin, here again, not from the ‘determination of action by society’, the ‘calculative abilities of individuals’, or the ‘power of the unconscious’ as we would ordinarily do, but rather from the under-determination of action, from the uncertainties and controversies about who and what is acting when ‘we’ act—and there is of course no way to decide whether this source of uncertainty resides in the analyst or in the actor. (45)→※では、 あとで きめる べき なのか? まえもって きめる こと だけが ひかえるべき こと なのか?→Not because actors know what they are doing and social scientists don’t, but because both have to remain puzzled by the identity of the participants in any course of action if they want to assemble them again. (47) めんくらった ままの ほうが よさそう? にほんごやく(90)→いや、 99 あたりだと ろんそうで けっちゃくが つきそう。→「どんな人や物が私たちを動かしているのか確実にわかることは決してない」(100)けっちゃくは つかなそう。
Since that which makes us act is not made of social stuff, it can be associated together in new ways.(46)
※しゃかいてきな ちから→しゃかいてきな ざいりょう social stuff 

§2 〈アクターが行為する〉ように他の多くのものがしている
¶7 あくたー とは、 おこないの みなもと では なく、 ふくすうの ものが それ めがけて あつまってくる ような うごく まと である。
An ‘actor’ in the hyphenated expression actor-network is not the source of an action but the moving target of a vast array of entities swarming toward it. (46)
¶8 あくたーに ついては やくしゃの ように なにが かくじつなのか わからない。(89-90)
¶9 いそいで あくたーの しらない ことを しゃかいかがくしゃが しっている とは いいたくない。
Not because actors know what they are doing and social scientists don’t, but because both have to remain puzzled by the identity of the participants in any course of action if they want to assemble them again. (47)
¶10 れんかんの しゃかいがくしゃは あくたーが じぶんを うごかす なにかに ついて とまどっている ことを しめす こんせきを たいせつに する べき である。
※ひとつの おこないに たいする むすうの あいむじゅんする ほうこくを みとめる。 
¶11 あくたーに よる せつめいを かろんじて しゃかいてきなもののしゃかいがくの ことば だけに したがう ことは もんだい である。
(れい¶11) はんざいしゃ「わたしの せい じゃない。 わたしには だめな おやが いた」→ひどい こそだてを 「しゃかい」や 「せきにんのがれ」や 「きょせいするははおや」と いいかえるべきではない。

¶12あくたーの はなしかたに うごかされよう。
(れい¶12)じゅんれいしゃ「せいぼ まりあ さまに めされたので、 この しゅうどういんに やってきました」→しゃかいてきなもののしゃかいがく「もうそう」、れんかんのしゃかいがく「がまん。せいぼが はたらいている かもしれない」
(れい¶13)うたいて「こえが うたに ついて おしえてくれる」→しゃかいてきなもののしゃかいがく「きょぎいしき、ふぇてぃしずむ」

¶13 「驚かされるがはっきりとした表現を、その背後に隠れているとされるよく知られた社会的なもののレパートリーに取り替えてはならないということだ」(93)
あくたーの はなしを いいかえる めたげんご では なく
あくたーの めたげんごに ちゅういを むける ための いんふらげんご

¶14しゃかいりろんかは かんけいしている はっせいげんを ならべる よりも、 もんだいの げんいんとなる ちからを とりのぞく ことを みずからの しごとだと かんがえてしまった。

¶15 ひはんしゃかいがくの ように あくたー からの はんろんを うけつけない でーたで かきかえてしまう ことは もんだい である。(95-6)
¶16 「私たちのコントロールの及ばない私たち以外のエージェンシーが私たちにあれこれさせている」(96)→かくれた へんすうを みても いいし、 あくたーは じぶんの おこないを こんとろーる している わけ では ない。

§3 実地に根ざした形而上学を探求する(97-) An enquiry into practical metaphysics(50)
¶17 しゃかいてきなもののしゃかいがくは せかいの きほんこうぞうを さだめる がくもん である けいじじょうがくを もうそうとして ひていしてきてしまった。
The question then becomes how to explore the actors’ own metaphysics.(51)
→※いみせかいの かいめい(せいやま・かずお【盛山和夫】っぽい?)

¶18 「哲学のイノベーションの蓄積から社会科学を切り離してしまうことで、確実に、普通のアクターが捉える形而上学上のイノベーションに誰も気づかなくなってしまうことだ」(98)
「アクターは世界をエージェンシーで満たす一方で、社会的なものの社会学者はその世界が「本当は」どんな構成単位で作られているのかをアクターに話して聞かせる」(99)

¶19 あくたーの あとを ついていく ことは むずかしいが、 ろんそうに よって かのうになる。
However, if agencies are innumerable, controversies about agency have a nice way of ordering themselves. The solution is the same as with the former source of uncertainty: although there exists an indefinite list of groups, we could devise a small list of handles allowing the sociologist to move from one group formation to the next. In the same way, I think it is possible to propose a limited set of grips to follow the ways in which actors credit or discredit an agency in the accounts they provide about what makes them act. (52)

¶20 あくたーの あとを ついていく ことは、 まえもって ぐるーぷや えーじぇんしーを きめつける よりも かのうな ほうほう である。

§4 エージェンシーをめぐる論争を地図に示すためのリスト(100-)
¶21 えーじぇんしーを めぐる ろんそうに つねに みられる とくちょうが よっつ ある。
①えーじぇんしーは ほうこくに よって さだめられる。
②えーじぇんしーに かたちが あると かんがえられる。
③えーじぇんしーは ほかの えーじぇんしーと くらべられる。
④えーじぇんしーは おこないの りろんを ともなう。

「どんな人や物が私たちを動かしているのか確実にわかることは決してない」(100)

¶22 えーじぇんしー(さよう)は しょうこを もって へんかを おこす もの として ほうこくされる。
Without accounts, without trials, without differences, without transformation in some state of affairs, there is no meaningful argument to be made about a given agency, no detectable frame of reference.(53)
→ほうこく①、かたち=こころみ②、ちがい=くらべる③、へんか=りろん④
An invisible agency that makes no difference, produces no transformation, leaves no trace, and enters no account is not an agency.
→ちがい=くらべる③、へんか=りろん④、かたち=こんせき②、ほうこく①
¶23 ①ほうこくに おいて えーじぇんしー(さよう)に なんらかの かたち(ぶんか、おや、…)が あたえられるが、 かたちは えーじぇんしー では ない。
¶24 ②かたちを えーじぇんしーと かんがえては ならない。☆ (103-4)
ほうこくは あくたんに ふくすうの かたちを あたえる。
¶25 ものがたりろんや きごうろんは ほうこくの さんこうに なる。
¶26 ものがたりろんや てつがくに よって いどうが じゆうに なる。
「除外するのではなく記録すること、しつけるのではなく記述すること、これこそが聖典である」
¶27 ③あくたーは ほかの えーじぇんしーを ひていする。

▼企業とは何なのか(リチャード・パワーズ)
かいしゃの りーだーが すたっふに はたらく りゆうを むすうに あげている。

¶28 「社会科学者が新たな形而上学を提唱したいならば、何よりもまず、研究対象の人びとによる世界制作の活動に向き合う必要がある」(108)

¶29 ④どう えーじぇんしーが あらわれるかに ついて ろんそうが おこる。
¶30 かたち(形象化)と あらわれかた(行為の理論)は ことなる(110)

§5 誰かに何かをさせる方法(112-118)
¶31 ばいかいしは じどうてきに げんいんから けっかが きまる ちゅうかんこうと ちがって、 だれかに なにかを する ちゃんすを あたえる。
※Dislocation: an injury in which the ends of two connected bones separate ぱかっと われる かんじ。ばいかいしで いんぷっとから あうとぷっとが よそく できない ように、 ぱかっと われる。
¶32 すくない えーじぇんしーが はんえいされる せかい では なく、 ばいかいしの つながりに よって よそうできない ことが おこる せかい である。
¶33 ともに ばいかいし である にんぎょうつかいと あやつりにんぎょうの どちらかが おこないを きめている のでは なく、 おこないを なすのが なにかは きまっていない。
¶34 おこないは とくていの しゃかいてき りょういきに ぞくしていない。 あくたーに とっても ぶんせきしゃに とっても なぞの ままである(115)。

¶35 おこないの いみを だいじに する げんしょうがくの えいきょうを うけた しゃかいがくも しゃかいてきなもののしゃかいがく である。
¶36 ひとと ものを じどうてきに わけては いけない。
¶37 「完全にできあがった一つの形而上学だけを有する分析者に従うのか、複数の形而上学でやりくりする「アクター自身に従う」のかを決めなければならない」(118)
「具体性は、アクターに変わって、他の形象化とは異なる何らかの形象化を選ぶことによって生まれるのではなく、報告の中で中間項に対する媒介子の割合が高まることで生まれる」(118)
①どんな えーじぇんしーが ひきあいにだされているのか
②どんな かたちが えーじぇんしーに あたえられているのか
③どんな しかたで えーじぇんしーが かかわるのか
④ばいかいしの れんかんに ついて はなしているのか

ch. 3 第三の不確定性の発生源――モノにもエージェンシーがある
§1 ひたいしょうせい
¶1 しゃかいがくは ひたいしょうせいを はっけんした。
¶2 ANTは ひたいしょうせいが どのように できるのかを せつめいしたい。
¶3 ひたいしょうせいは ひたいしょうてきな しゃかいてきかんけいに よって うみだされるのでは なく、 さまざまな あくたーが かかわっている。

§2 働いているアクターの種類を増やさなくてはならい(121-)
¶4 ざいりょう としての しゃかいてきなもの では なく、 それまで つながっていなかった ちから どうしの つかのまの つながりを れんかんとしての しゃかいてきなものと いう。
¶5 しゃかいてきなもののしゃかいがくは、 まっさらな そうごこういと それを じくうかんてきに ひろげる ちからを まぜている。
¶6 にんげんしゃかいでは まっさらな そうごこうい いがいが からまるので、 そうごこうい としての しゃかいてきなもの のみを さいようする べき である。
ただし たんしゅくひょうげんとして ちから としての しゃかいてきなもの という がいねんは つかえる。
¶7 しゃかいてきな ちからを かんがえない ことで、 なぜ じぞくするのかを かんがえられる。(124)
「相互作用の拡張にかかる手間を前景に出すことができる」(124)
¶8 いちじてきな そうごこういを ほかの しゅるいの けつごうに うつしかえると かんがえると、 ひたいしょうせいが せつめいできる。
¶9 じぞくする しゃかいきはんが どこから きているのか せつめいする ひつようが ある。
¶10 しゃかいは しゃかいから うみだされる という いいかたは、 しょうりゃくする ための いいかたなら まだしも、 じぞくする しゃかいてきせかいが あると かんがえる ように なると もんだいが ある。
※「しゃかいは しゃかいから うみだされる」 という はなしは さとう・としき【佐藤俊樹】2011 『社会学の方法』で しゅちょうされていた。 
¶11 しゃかいは しゃかいから うみだされる という ときに、 ひしゃかいてきな えいきょうりょくを みつゆにゅうしている。
¶12 ANTは ひしゃかいてきな しゅだんを きろくする ことを うながす。
「アクターに従って、絶えず変転する相互作用の持続性を高めるために社交スキルに加えられてきた物事を縫い合わせるように進め」(129)
¶13 しゃかいてきなもののしゃかいがくが はいじょしてきた ものを れんかんのしゃかいがくは あくたー とする。

▼シャーリー・ストラムのヒヒ
どうぶつの ひひは、 ひたいしょうせいを もたず、 たすけあっていた。

¶14 「権力は、眠らない事物と壊れないつながりを通して行使されてはじめて、さらに長く続き、さらに遠くに広がることになる」(132)

§3 モノを行為の進行に与するものにする
¶15 しゃかいてきなもののしゃかいがくが うしろに おいやった モノを れんかんのしゃかいがくは まえに もてくる。
¶16 モノを行為の進行に与するものに して なにが うれしいのか。
¶17 いままで いみに みちた にんげんの おこないしか みてこず、 ものは ぶっしつてきで いんがてきと みなされていた。
「差異を作り出すことで事態を変える物事はすべてアクターである――あるいは、まだ形象化されていなければ、アクタンである。」(134)
あくたーか どうかの てすと: ちがいが おきているか? ちがいを みいだす ための しょうこ としての こころみが あるか?
¶18 どうぐは あくたーであり、 おこないの ながれに さんかしている。
¶19 ひとも ものも げんいん なのでは なく、 いろいろな えいきょうを あたえている。
「ANTのプロジェクトは、参与子のリストを広げ、参与子として集められるものの姿かたちや形象を改変し、持続的なひとまとまりのものとして参与子に行為/作用させる方法を デザインすることであり」(136)
¶20 ものが けんりょくを せつめいする ことが あたらしい。

▼アクターの非対称的な定義
でゅるけむ「ものは ひとと ちがって ちからを もっておらず、 よりどころに すぎない」

¶21 しゃかいがくに ものが なくて おどろいた。
「ANTが、眠れる美女の唇にやさしく触れるプリンス・チャーミングのキスの役割を演じると言っては、あまりに子どもじみているだろうか」(139-140)
Would it be too childish to say that ANT played the role of the Charming Prince’s kiss tenderly touching Sleeping Beauty’s lips?(73-4)
→せいぼうりょくを かろんじている、 こどもに たいする さべつ。

§4 モノはところどころでしか痕跡を残さない(140-)
¶22 ものは ひとと ちがう から こそ、 えいきょうりょくを おおきくするために ものは とりこまれてきた。
¶23 ぶっしつてきなものと しゃかいてきなものを わけずに、 とりこまれていない あらたな そんざいを あつめて くみたてる ぷろじぇくと である しゅうごうたい(これくてぃぶ)が あると かんがえる べきである。
(140-1)
¶24 「どんな行為も、互いにまったく異なる諸々の様態の存在を縫い合わせるように進み、そこでの諸々の様態の存在は、その雑多性ゆえにひとつにまとめられたものであろう。」(142)
Any course of action will thread a trajectory through completely foreign modes of existence that have been brought together by such heterogeneity.(75)
¶25 ぶっしつと しゃかいを わけて から つなげる のでは なく、 じぐざぐに なっている。
「対称的であるというのは、人間の志向的/意図的な行為と、因果関係からなる物質世界とのあいだにまがい物の非対称性をアプリオリに押し付けないということであって」(144)
¶26 いわゆる ゆいぶつろんじゃは ぶっしつを いんがかんけい として しか とらえてない。
¶27 「ANTによる研究は、諸々の行為/作用の様態の連続性と非連続性の両方に取り組まなければならない」(145)
(しょうこは ひれんぞくてきに あらわれる ので、 そこから つながりを かんがえていく?)
¶28 ものも ひとと おなじような けっかを もたらしうる(146)
(れい¶28-1)ひつじかいと いぬに たいする ゆうしてっせん。 いぬと ゆうしてっせんは おなじ やくわりで こうかんふかのう。
(れい¶28-2)りもこんによって ごろごろが かのうに なる。
A shepherd and his dog remind you nicely of social relations, but when you see her flock behind a barbed wire fence, you wonder where is the shepherd and her dog—although sheep are kept in the field by the piercing effect of wire barbs more obstinately than by the barking of the dog. There is no doubt that you have become a couch potato in front of your TV set thanks largely to the remote control that allows you to surf from channel to channel91—and yet there is no resemblance between the causes of your immobility and the portion of your action that has been carried out by an infrared signal, even though there is no question that your behavior has been permitted by the TV command. (77)
¶29 ひぶつりてきな かんけいに ぶつりてきな かんけいが はいってきたから ちょうさを やめる、 という ことは できない。
(れい¶29)うんてんしゅが ひょうしきを みて そくどを おとすか、 どうろに そくどを ださないようにする しくみが ある から そくどを おとすのか。
¶30 「社会的な紐帯と共約可能とされる限りにおいて非人間を報告に入れなければならないし、そのすぐ後には、非人間の根本的な共約不可能性を受け入れなければならない」(148)
So, we have to take nonhumans into account only as long as they are rendered commensurable with social ties and also to accept, an instant later, their fundamental incommensurability. (78)
And yet, on the other hand, if sociologists have also to become engineers, artisans, craftsmen, designers, architects, managers, promoters etc., they will never end up following their actors through those many intermittent existences. (78)

§5 モノの活動が簡単に可視化される状況のリスト
¶31 しゃかいだけを しらべる こと なく、 せんもんてきな ぎじゅつしゃにも なるな。 そのために、 しゃかいてき とは、 あらたな つながりが つくられる ときにしか みえない りゅうどうてきな もの であると かんがえる。
¶32 ものに じぶんじしんを きじゅつ させないと、 ものを ほうこくできない。
¶33 ものが しゃかいてきな つながりと むすびつけられると わかる のは、 いちじてきである。
ぐるーぷと えーじぇんしーの ばあいは、 ひとに はなさせる ひつようが あった。
¶34 ①いのべーしょんを けんきゅうすると、 ものは ほうこくされる ため、 けんきゅう できる。
¶35 ②ひとが なじんでいない ものを つかおうと している ところを とらえる。
¶36 ③ものが あくたーを だめに する ときを しらべる。
¶37 ④あーかいぶと れきしかを つかう。
¶38 ⑤ふぃくしょんを つかう。
¶39 ものが しらべられていないのは、 でーたの せいでは ない。 やるきが ない から である。

§6 権力関係を忘却してきたのは誰なのか
¶40 しゃかいてきなもののしゃかいがくは ひたいしょうせいを たいめんでの そうごこういで せつめいしようと して、 いちじてきであって うまく いかず、 しゃかいてきな ちからに うったえて、 ものを かろんじる。
¶41 けんりょくを おおくの もので せつめい していたら、 よい ANTの ほうこく である。
¶42 しゃかいかがくしゃは ぎじゅつしゃと かがくしゃの のこりものを きょうちょうして どくりつを めざした。
¶43 しっかりと しらべる こと なく、 はばつ あらそいで ものを しらべなく なっていた。
¶44 しぜんかがくしゃも しぜんを いんがで かんがえ、 しゃかいを ちゅうかんこうと していた。 ぎじゅつけっていろんと しゃかいけっていろんの ふもうな たたかいへ。
¶45 ものが きめる、 うつしとる、 はいけいになる いがいの たくさんの からみあいの しかたが ある。
¶46 ぶっしつぶんかの ように ものだけを あつめても だめなので、 ものと ひとを わけるのを やめるべき である。
¶47 しゃかいてきなもののしゃかいがくは、ひたいしょうせいを ひきあいに だせなくなるので ものに やくわりを あたえない。
¶48 しゃかいてきなもののしゃかいがく こそが けんりょくを かろんじている。

こめんと
・らとぅーるの あくたーねっとわーくせおりーに おいて いのべーしょんが もんだいに なる のは、 それが ものの えーじぇんしーを かくにんしやすい から であって、 それいじょうの いみが ないと かんがえられる かもしれない。だからこそ、 交渉や 翻訳 という いめーじが けあに くらべて にちじょうの いじを あきらかに しにくくしている という そくめんは ある という ひはんは ありうると おもった。
・らとぅーるに よる せいぼうりょくの ひゆを もちいた きじゅつを ひはんすると、 らとぅーるの やりたいことを せつめいしてくる ひとが いると そうていされる。 しかし、 やりたいことを ひはんしている のでは なくて、 その やりたいことの ひょうげんの しかたを ひはんしている のである。
・けんりょく という がいねんを しゃかいてきな しょうりゃくひょうげん、 または けっか として えがく という のは じぶんの やりたいことだと おもった。けんりょくは げんいん では ないと とらえたい。

がくひねあげはんたいうんどうしょぶんじけん01

がくひ ねあげ はんたい うんどう しょぶん じけんの さいばんの ぼうちょうしえんに いきました。

2026/05/15(きんようび)、 とうきょう ちほう さいばんしょに いきました。その ほうこくを します。

ぜんじつ(2026/05/14)に さいばんの にゅーすを みました。
www.47news.jp
https://www.47news.jp/14301408.html
や、 やそじまさんが かおを だして、 きしゃ かいけんを している〜??!!

やそじまさんとは、 とうだいいこつへんかんぷろじぇくと【東大遺骨返還プロジェクト】で ともに うんどうを してきました。 わたくしが しゃかいうんどうを つづけられている りゆうの ひとつに、 やそじまさんの そんざいが ありました。やそじまさんに こえを かけてもらわなかったら、 とうきょうだいがくの せきにんを ついきゅう しつづける ことは むずかしかったと おもいます。
linktr.ee
https://linktr.ee/UTikotsuPJ
うえの ゆーあーるえるは とうだいいこつへんかんぷろじぇくと【東大遺骨返還プロジェクト】の あかうんとを まとめた さいと です。

そんな やそじまさんが とうきょうだいがくの がくひねあげはんたいうんどうしょぶんじけんに とりくんでいるのは しっていました。 しかし、 はずかしながら、 さいばんの ぐたいてきな にっていを はあくしていませんでした。そうして、 ついったーを みていた ところ、 とうきょうだいがくの すずき・いずみ さんが 「あした さいばんが あるよ〜」と いっているでは ありませんか!


https://x.com/izumisz1/status/2054926652447359159?s=20

さっそく やそじまさんに れんらくした ところ、 こちらの じょうほうを おしえてくれました。


https://x.com/ut_syobuntekkai/status/2052972894033260880?s=20

ちょうど、 よていが あいているので いける……。いくぞ〜ドコドコ🐑🐌

さて、 その つぎのひ。

あせる われ。ふだんなら じかんに よゆうを もって いどうします。 しかし、 このひは、 だいがくの としょかんに ほんを かえす ひつようが ありました。そのため、 じかんが ぎりぎり でした。 そんな あせりの なかで した ついーとが こちら。


https://x.com/manoestasmano/status/2055099422200250871?s=20


しかし、 なんと うんが よい こと でしょう! ほとんど ぴったりに つきました。いそいそと 611へ むかいます。とうきょう ちほう さいばんしょ、 または とうきょう こうとう さいばんしょは さいきん いった ことが ありました。 なので、 なれたもの。にもつの なかに はもの などが ないかを なぞの きかいで かくにんされて はいった あとは、 えれべーたーへ むかいます。なんか、 ひとが おおい……? まさか みんなが おなじ さいばんに むかっている、って わけ ないよね……?

さすがに そんな ことは なく、 なんにんかは 5かい までで おりました。おめあての 6かいに つきました。おのれは えれべーたーに さいごに のった ので、 いちばん さいしょに おりました。そして、 611 ほうていに むかうと……

な、 なんか ならんでいる??!

ぼうちょうの ために ならんでいる ひとびと

これまで ぼうちょうした さいばんでは、 ならんだ ことは ありませんでした。しかし、 こんかいは ならんでいて、 まわりに さいばんしょの しょくいんが なんにんか いました。なんか、しょくいんは さいばんしょと かかれた わんしょうを していました。 そんな わんしょう、 あるんか……。

そして、 しょくいんから せいりけんを もらいました。 11ばん。 うわー、 じぶんの まえに 10にんも いるのか。 そう おもって、 うしろを みたら、なんと。

10にん ぐらい いる???!
なんと、 おなじ えれべーたーに のっていた ひとの おおくが、 おなじ さいばんが めあて でした。びっくり。

そのあと、 やそじまさんが きました。いつもの すたいるに あんしんの わたくし さいとう。こころづよい。やそじまさんは よく おおきい にもつを かついでいて、 なんか くすりの ぎょうしょうにんっぽいなあと かってに おもっています。とやまの くすりうり てきな いめーじ ですね。
やそじまさんは いつもどおりの どうどうと した かんじで ほうていに はいっていきました。

おおきな にもつを せおう やそじまさんの いめーじ

まっている あいだに、 はじめて しったのですけど、 さいばんしょって ぶんしょうを くばるのを きんししているのですね。 ほうていの そと でも だめ らしく、 さいばんしょの しょくいんに とめられている ところを みました。 なんとも きびしい……。

それから、はじまる ごふんまえに ほうていが ひらきました。ぞろぞろと はいっていく ぼうちょうにん たち。 ついていく わたくし。さいばんの とちゅうで はいってくる ひとも ふくめて、 30にん ほどが ぼうちょうしました。ぼうちょうせきが うまりましたね〜。ざわざわ。

さいばんちょう(あとで かくにんすると、 みなみ さんと いう らしい。 南宏幸【みなみ・ひろゆき】)が 「すこし はやい けど はじめましょうか」と はなして さいばんが はじまります。まず かんたんな じむ やりとりを やっていました。

うむうむ。 さいばんって なんか こんな かんじだよねえ〜。

みなみ さいばんちょうが ひこく である とうきょうだいがくの べんごしに ききます。

みなみ さいばんちょう 「しゅちょうは どこに ありますか?」
ひこくの べんごし「それなら、 2ぺーじ から 6ぺーじに あります」
みなみ さいばんちょう 「いや(笑)あのですね(笑)どういう じじつを にんていして、 どういう りゆうで しょぶんが くだされ、 どういう はんろんが あったか かいてください(笑)」
さいとう(わ、わらっている……?!かんぜんに さいばんかんは あきれている みたいだぞ……? どういうことだ???)
みなみ さいばんちょう「ともかく(笑)、しゅちょうを めいかくに する ように」
さいとう(え、 これは とうきょうだいがくが ひどい しょるいを ていしゅつした という こと……?)

あとで しゅうかいで げんこく である やそじま さんの べんごしさん たちの ひとりが いう には、 つぎのような ことが よそう される みたい です。

そもそも、 こんかいの さいばんは、 ぎょうせいの わくぐみで うったえ はじめた。 しかし、 さいばんしょ から みんじに うつす ように いわれた。そのため、 とうきょうだいがくは いっぽん かちとったと おもっていたのでは ないか。そして、 とうきょうだいがくは そのまま、 「よこづなずもう」、 すなわち いっぽうてきな しょうぶが できると おもっていたのでは ないか、 との こと。 ところが、 じっさいは、 さいばんかんが ふつうに みんじでは それが つうようしませんよ、と いったのでは ないか。

こんな かんじの ことを いっていました。ふむふむ。 たしかに、 ぎょうせいの さいばんは、 かなり ぎょうせいに ゆうりな はんけつが でている いんしょうが あったな。 そう おもって、 このような さいばんの きろくを みた ことを おもいだしました。
note.com
https://note.com/cherry0423/n/neb340dc95a4d

その あとには、 いけんちんじゅつ という ことで、 げんこくの やそじまさんが はなしました。
たいわを かかげている とうきょうだいがくが いかに たいわを おこなっていないのか。
がっこうの いちばんの おさに あいに いけないのは おかしい。 こうちょうの へやの まえに まで いけない がっこう なんて ある のか。 もんだいに なっている じけんに おいて やった ことは ただ たんに、 こうちょうしつの まえに いって とびらを たたいた だけ である、と。
そして、 とうきょうだいがくは けいびいんの けがの ことを いっていた ことが ある けど、 いろいろ しらべてみたら けがの げんいんは やそじまさんでは ないとの こと。
さらに、 ていがくの しょぶんが きまった ときの てつづきは かなり ひどかったと。

ちなみに やそじま【八十島】さんは この とき、 てつづきに おいて かつどうしていた べんごしは やおや【八百屋】という なまえで あった ことに ついて ふれます。やそじま【八十島】 という なまえの もじとしてのかんじは、 はちじゅうの しまと かきます。 それにたいして、 やおや【八百屋】 という なまえの もじとしてのかんじは、 はっぴゃくの しつと かきます。 なので、 やそじまさんは はち という もじとしての かんじが いっぱい あって、 めがまわる という はなしを しました。
おのれ、 さいとうは わらってしまいました。

もじとしての すうじのはちが たくさん あって めがまわる やそじまさんの いめーじ

つづいて、 げんこくの べんごしが ほうりつてきな めんから いろいろと もんだいてんを のべました。 たくさんの もんだいてんが ならべられていました。

じかいは 2026ねん7がつ10にち 15じ から 611 ほうていに おいて。
ちなみに さいばんかんは
南宏幸【みなみ・ひろゆき】
河野明日香【こうの・あすか】
山根良実【やまね・よしみ】
(大塚建介【おおつか・けんすけ】)
でした。よみかたは しらべても わからなかった ので、 すいそくで かきました。 まちがっていたら ていせいしたいので、 おしえてください。

こうして、 さいばんが おわりました。 そして、 そのまま しえん しゅうかいに むかいました。
30にん ぐらいの しえんしゃが あつまり、 いろいろな はなしを きいたり、 しつぎおうとうを したり しました。
どうやら、 しえんの ための おかねが たりない そう です。 いまは、 べんごしの おかねを しえんしゃの なんにんかが たてかえて はらっている そう。かんぱを あつめている らしいので、 よゆうが ある かたは つぎの ところ から かんぱしてほしいです。

<カンパはこちら>
口座記号番号:00860-3-191592
東大不当懲戒処分を撤回させる会
トウダイフトウチョウカイショブンヲテッカイサセルカイ

他行から振り込む場合は、
ゆうちょ銀行
店名:〇八九(ゼロハチキュウ)店
店番:089
口座番号:当座 0191592


また、 やそじま さん から、 うながされて、 わたくしも とうだいいこつへんかんぷろじぇくとの ことを はなしました。やそじまさん ありがとう。
また、 とうきょうとが すくーるかうんせらーを やめさせた じけんの さいばんを すすめている かた からも じょうほうきょうゆうが ありました。
http://meguro-rokyo.jp/wp/wp-content/uploads/20260116%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%BC.pdf
うえの ゆーあーるえるは その ときに くばられた しりょう です。

くりかえしますが、
がくひ ねあげ はんたい うんどう しょぶん じけんに ついて
じかいは 2026ねん7がつ10にち 15じ から 611 ほうていに おいて さいばんが あります。

さいとう・まの

しょうがいしゃだと つたえたら しごとを やめさせられた じけんの さいばん01

2026ねん 5がつ 12にち、 とうきょうこうとうさいばんしょに いきました。
じりたまに よる しょうがいしゃ さべつ じけんの さいばん です。
yokohama2021-disabled-dismissal.hatenablog.com
https://yokohama2021-disabled-dismissal.hatenablog.com/
さいきんは ぶろぐを こうしん していない よう ですが、 うえの ゆーあーるえるで くわしい ことが わかります。

ちらしの おもてめん
ちらしの うらめん

うえの しゃしんは 2026ねん 5がつ 12にち むけの ちらし です。


さいばんしょの ほうてい【法廷】には、 ぼうちょうにんが いっしん げんこく【一審原告】がわに 7にん いました。その あと さいばんを やっている あいだに 3にんが きて、 ごうけいで 10にんが ぼうちょうしました。いっしん げんこく【一審原告】が はなしおわった ぐらいで 3にんが はいってきました。ほうていには さんぶんのいちの ぼうちょうせきが はずれていました。くるまいす ゆーざーが はいれる ように する ため との こと です。

ひこくの ほうには すーつの ひとが ふたり いて、 まんなかに くろい いろめがねを かけた こんいろの ふくの ひとが いました。いちばん おくに いた ひとは、 まえからの べんごしで、 まんなかの ひとは よく この べんごしと はなしていました。いちばん てまえの すーつの ひとは、 なにかを ねっしんに よんでいました。
あとで いっしん げんこく【一審原告】の べんごしの はなしを きいた ところ、 まんなかの ひとは あたらしい べんごしで、 いちばん てまえの ひとは しほうしゅうしゅうせい【司法修習生】と いわれる みならい だった そう です。

ほうてい【法廷】には、 まんなかで はなす ところが あり、 そこに かめらが ふたつ むけられていました。ものものしい。

さいばんかんが さんにん はいってきて、 しずかに 「べんろんを はじめます…」と はじまりました。この さいばんかんは まゆげが よく うごく ひと でした。いちばん みぎの さいばんかんは てもと では なく、 はなしている ひとを みる ことが おおかったです。とくに、 いっしん げんこく【一審原告】が いけんちんじゅつを している あいだは、 じーっと いっしん げんこく【一審原告】を みていました。それに たいして、 まんなかと ひだりの さいばんかんは ときおり いっしん げんこく【一審原告】を みる ていど でした。
このような やくわり ぶんたんは いろいろな さいばんで おこなわれているのかも しれないと おもいました。 なぜなら、 べつの さいばんでも おなじ ような かんじに、 いちばん ひだりの さいばんかんが はなしている ひとを じっと みていた から です。


さいばんかんに よる もろもろの かくにんが おわった あとに、いっしん げんこく【一審原告】の いけんちんじゅつが おこなわれました。いっしん げんこく【一審原告】は 56ねんまえの ひたちの がいこくじん さべつの はなしから はじめました。ひたち とうそう【日立闘争】とも いいます。
www.mindan.org
https://www.mindan.org/old/front/newsDetailad9f.html
ひたち とうそう【日立闘争】に ついては、 うえの ゆーあーるえるに かんたんな せつめいが あります。

やく 50ねん まえの さいばんでは 50まんえんの そんがいばいしょう でした。 こんかいの はんけつでも そんがいばいしょうは 50まんえん でした。 しかし、 いっしん げんこく【一審原告】は 「50まんえんの かちが ちがいます」と いいました。 どうやら、 とうじの 50まんえんで かえる ものは、 いまは 100まんえんは ひつような ようです。

わたくし、 さいとうは なみだが でそうに なりました。うるうる してきました。

いっしん げんこく【一審原告】は 「くろーずで せいかつする すべての ひと」への さべつに たいして はんたいする ことを せんげんしました。さらに、 「かっとなって やめさせた」は、じょうじょうしゃくりょうの よちでは なく、 へいとくらいむの しょうこに なると のべました。

そのとおり。

そして、 べんごしが はなしはじめました。 べんごし さんにんはしたを みていました。いちばん みぎの さいばんかんは なきそうに こくうを みつめていました。それから、 やりとりが つづき、 いっしん げんこく【一審原告】が へるぱーを やっていた ひとの しょうげんが とりあげられました。

しかし、 その ひとを よぶ しょうにんじんもんは おこなわれませんでした。 なぜなら、 ひこくが はんたいじんもんを おこなわなかった から です(これの いみは うまく わからなかった です)。さいばんかんが、 てつづきが ながく なって おくれてしまうから、 よばない、 と もうしわけないけどと いいながら いいました(ぶんきてんは ここでは なく、 ひこくが はんたいじんもんを しない という ところ だった みたいです)。そして、 べんろんが おわりました。

じかいは、 2026ねん 6がつ 25にち もくようび、 13じ 55ふん から とうきょう こうとうさいばんしょ 817 ほうていで、 はんけつが でます。 こうとうさいばんしょの はんけつは、 ちほうさいばんしょの はんけつの ちぇっく だけ なので、 ななわりが いっかいで おわる そうです。 こんかいも それに はいる のですが、 さて、 どうなるのか。

さいとう・まの