さいとー・ま

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>ひらがなで かく りゆうは ありますか?

>ひらがなで かく りゆうは ありますか?

あります。
もじ としての かんじが、 むいしきの うちに さべつに つながっていると おもっている からです。 とくに、 もじとしての かんじを よむ ことが できない ひとに、 じょうほうを つたえずに、 じょうほうを どくせんする ことで、 もともと ふりな たちばに おかれた ひとが さらに じょうほうの めんでも ふりな たちばに おかれると おもう からです。
くわしく せつめいします。
まず、 もじ としての かんじは、 よめる ように なる までに たくさんの どりょくと たくさんの じかんを かけなければ なりません。 たとえば、 じぶんが もじとしての かんじを じゅうぶんに よめる ように なったのは、 しょうがっこうと ちゅうがっこう、 こうこう あわせて 12ねんかん かけて べんきょう した あとでした。
しかし、 そもそも にほんの がっこうに いっていない ひとは どうでしょうか?
そもそも、 もじとしての かんじが ふくざつな ことで おぼえにくいと おもう ひとは どうでしょうか?
そもそも、 12ねんも いきていない ひとは どうでしょうか?

まず、 にほんの がっこうに いっていない ひと というのは、 たくさん にほんで せいかつ しています。
かいがいの がっこうに いっていた ひとも いる でしょう。 その なかには、 にほんごを さいしょの ことば として つかっておらず、 あとに べんきょうした ひとも いる でしょう。 すると、 もじ としての かんじを しゅうとくするのは とても たいへんです。 つまり、 もじとしての かんじを つかうと、 そのような ひとたちを はいじょして はなしを すすめる ことにも なってしまいます。
ほかにも、 にほんの がっこうで いじめられて がっこうで きょういくを うけなかった ひとも いる でしょう。 さらに にほんの がっこうの ありかたが からだに あわない ひとも いる でしょう。 にほんの がっこうでは ながい あいだ すわって いなければ いけませんし、 だまっていないと いけません。 それが できる ひと だけでは ありません。 とくに しょうがいを りゆうに うごくのが らくな ひとや、 はなすことが らくな ひとも います。 つまり、もじとしての かんじを つかうと、 そのような ひとたちを はいじょして、 はなしを すすめる ことにも なってしまいます。

つぎに、 もじとしての かんじが ふくざつで おぼえにくい ひとたちも います。
たとえば、めが みえにくい ひとたちが います。 じゃくしの ひとに とって、 ぜんたいぞうを とらえにくい もじとしての かんじは なかなか よみとりずらいです。 もうしゃに とって もじとしてのかんじは なじみが うすいことも おおく、 てんじに より たいおうしているのは、 ひらがなに なります。さらに、 もうしゃは もじとしてのかんじの かくにんが せいがんしゃよりは むずかしいです。 むかし、 もうしゃが もじとしてのかんじの へんかんみすで じぶんを せめていらしたのを みて、 こんなの おかしいと おもった ことが あります。
また、 ちかくしょうがいしゃに とっても もじとしてのかんじは おぼえにくいです。
ちょうかくしょうがいしゃと しきじしょうがいしゃに とっては、 はなしが ふくざつに なっていきます。 ちょうかくしょうがいしゃは この ような ひらがな のみの ぶんしょうは、 ちょうしゃと くらべて より よみにくいと かんじる ことが ありえます。 というのは、 ちょうしゃは このように かかれた ぶんしょうも たんなる にほんごとして おんせいで さいせいすれば ことたりますが、 ちょうかくしょうがいしゃの なかには それが むずかしい ひとも いるからです。 また、 いちぶの しきじしょうがいしゃは もじとしてのかんじが むずかしい ひとも いれば、 もじとしてのかんじが あることで たすかっている ひとも います。
しかし、 ちょうかくしょうがいしゃも、 こゆうめいしや よく みなれない かんじ などは、 よみかたが わからなくて こまる ことも おおいので、 もじとしての かんじ だけで かく ことを やめる ことは とくに なります。また、 しきじしょうがいしゃが こまる という いみでは かんじかなまじりの ぶんも ひらがなのみの ぶんも おなじ くらい わるいので、 ほかの かいけつさくを もさくしています。

さいごに、 12さい いかの こどもも、 はいじょ されます。 じぶんは こどもの ときに、 よのなかに よめない ものが たくさんあった ことを おぼえています。 こどもが りかいせずとも すくなくとも よめる という ことを かくじつに じっこうする ことは だいじです。

また、 じょせいが とくに もじを がくしゅうする きかいを うばわれ、 ひさべつぶらくしゅっしんや ざいにちがいこくじんの ねんれいが たかい じょせいも もじとしての かんじを しゅうとくしていない ばあいが あります。

さらに、 そのほかにも ひだりききの ひとや ぺんを つかいにくい ひと など、 さまざまな じじょうで もじとしてのかんじが てがきでは かきにくい という ひとも います。 そのばあいは、 もじとしての かんじだけではなく さまざまな もじが もんだいには なりますが、 あえて かきにくいものを えらぶ ひつようは ないはずです。

このような ことを かんがえると、 ほんとうは じょうほうを みんなに いきわたらせる べきなのに、 いまは もじとしての かんじを つかって、 いちぶの ひとにしか、 とくに しょうがいが ない ひとにしか、 さらには にほんで がっこう きょういくを うけた ひとにしか わたしていない という ことに なります。
したがって、 もじとしてのかんじを やめる べきだと おもいます。 すくなくとも、 こゆうめいしは ひらがなでも かく、 むずかしい かんじは つかわない という ことが もとめられます。

さて、 さらに、 ひらがな のみで かく りゆうも あります。 それは、 このように かくと、 さきほど いただいた しつもん みたいに、 りゆうを きかれる からです。 りゆうを きかえれると、 このように はなす ことに なりますから、 さべつに ついて はなすことが でき、 せっとくする きかいを えられます。 ぜひ、 みなさんも ひらがなのみで かいてみませんか?