れじゅめ
まえがき
・ひかえめな せいかく(いんさつみすの ていせいを いえない、ほんの うれのこりを きにする 「まえがき」I )
・あめりかがっしゅうこくの R.K. Beardsley(びぁずれぃ)との けんきゅう(「まえがき」II, V)
・『商家同族団の研究』が ひょうか されたが、 なかね・ちえ(中根千枝) など からの ごどくも あった。(「まえがき」III)
・1942ねんの わたなべ・ますたろう(渡辺万寿太郎)との かいわ から、 そつろんの けんきゅうを はじめ、 ちょうさして、 がくとしゅつじんし、1946ねん から ちょうさを ふたたび はじめて、1964ねんに しょはんを しゅっぱんしている。(「まえがき」 VII -VIII)
・とだ・ていぞう(戸田貞三)と あるが・きざえもん(有賀喜左衛門)に おおくを おっている(「まえがき」 I -VIII)。
だいいっしょう(5-43)ようやく
・どうぞくだんけんきゅうの はじまりと かだいを あきらかにする(5、42)。
・1935ねん(しょうわ 10ねん) ぜんご から、 あるが・きざえもん(有賀喜左衛門) 「名子の賦役」(なごのふえき)などの ろんぶんが のうそんけんきゅう から でてくる(5、7-)。
・1943ねん(しょうわ 18ねん) あるが・きざえもん(有賀喜左衛門)『日本家族制度と小作制度』が どうぞくけんきゅうでは じゅうような くぎりと なっている(、42)。
だいいっしょう(5-43)の それぞれの せつの ようやく
いち(5-7):せんこうけんきゅうの ひはんてき けいしょう には、 じっしょう(実証)けんきゅうを おこない、 それぞれの せんこうけんきゅうの かんけいを ぜんたいとして はあく する ひつようが ある。そうして、 もんだいの ちゅうしんを とらえる。
に(7-10):1933-4ねん(しょうわ8-9ねん)の、あるが・きざえもん(有賀喜左衛門)による 「名子の賦役――小作料の原義、上・下」(なごの ふえき――こさくりょうの げんぎ、じょう・げ)と、 とだ・ていぞう(戸田貞三)が ひきいる ぶんけかんこうちょうさ(分家慣行調査) めんばーに よる ひはんけいしょうが どうぞくだんけんきゅうの はじまり である。
あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は、 「名子の賦役」(1933-34)において、 こさくりょうは おやこ という みぶんかんけいに よる ものであると しゅちょうしたが、 これは だいかぞく=どうぞくだんの けんきゅう でも あった。
さん(10-13):あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は、 「名子の賦役」(1933-34)に おいて、 だいかぞくが まとまる ときには、 ろうどうと みぶんの かんけい としての おやこ かんけい、 すなわち しゅじゅうかんけいを ちゅうしんに すると しゅちょうする。
よん(13-15):あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】が 1938ねんに はっぴょうした『農村社会の研究――名子の賦役』では、 いしがみぶらく(石神部落)の ものぐらふてきな けんきゅうが のっている。けつぞく だけではない どうきょ だいかぞくせい から、 けつぞく だけではない ぶんきょ だいかぞくせいに へんかしていく さいとうけの ぶんせきが おこなわれている、いえを けつぞくに げんていしない じっしょうてきな けんきゅう であった。
ご(15-19):とだ・ていぞう【戸田貞三】も すずき・えいたろう【鈴木栄太郎】も、 どうぞくだんを けつえんてきと かんがえていた。
とだ・ていぞう【戸田貞三】:ひろく しらべたが、 どうぞくだんを けつえんと かんがえてしまっている(17-18)
すずき・えいたろう【鈴木栄太郎】:きたの・せいいち【喜多野清一】を いんようして、けつえんが かんけいない ことを わかっている のに、 どうぞくだんを 血縁的集団と よんだ。(18-19)
ろくと なな?(19-25):きたの・せいいち【喜多野清一】は、あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】と ことなり、ほうこうにんぶんけも ふくむ 家系 による どうぞくだんと、 おやかたこがたかんけいを わけて ぎろんした。そして、おやかたこがたかんけいを ほごや ろうどう、 せいじに わりあてた。
?「とはいえ、その相違といわれるものは、同時に、対象としてとりあげられている同族団の、歴史的な存在形態というより類型上の変化の時点における相違、ないしは村落構造のもっている条件の相違に帰せられるのではないかと思われるのである」(25。「類型上の変化の時点」に ぼうてんきょうちょう)
→たいしょうが ちがう という よりも、 なにで るいけいを くべつするかが あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】と きたの・せいいち【喜多野清一】で ことなっている という ことを してきしている。 それは、 るいけいを わける じょうけんに ついて ちがう かんがえかたを していた という こと でも ある。 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は、 どうきょか べっきょで くべつを おこない、 きたの・せいいち【喜多野清一】は おやぶんこぶんかんけいが どうぞくだんと かさなっているか かさなっていないかで くべつを おこなった。
はち(25-30):おいかわ・ひろし【及川宏】は、どうぞくだんと (いんせきしゅうだんでは なく)いんせきかんけいを くべつした(26)。また、 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】と どうように、 どうぞくだんに ひけつえんてき ようそを いれて、 かぞくと くべつした(28-29)。 そして、だいかぞくせいと よんだ あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】とは ことなり、 どうぞくだんと よんだ(28)。
きゅう(30-33):おいかわ・ひろし【及川宏】は、 どうぞくだんの けつごうげんりを けつえんてきたんけいせいに もとめたが、 いえの けいふかんけいが じゅうよう である。 また、 おいかわ・ひろし【及川宏】は、きたの・せいいち【喜多野清一】を けいしょうして、 ふくすうの どうぞくだんが、 こじんを ばいかいにした いんせきかんけいで ちかく なる ことを してきした。そして、 いんせきかんけいとは ことなる どうぞくだんを してきした。
「それが〈殆ど恒に父方の血縁を単系的に辿る〉のも、またときとしてそうでないのも、条件如何によっていずれをも示しながら、しかも、そこにこの双方の場合を一貫している原理として、家の系譜、そして、家々のあいだの系譜関係があってのことであり、これこそが同族団を他の集団と本質的に区別し特徴づけるとわれわれは考える。」(31、「殆ど恒に」「ときとして」「家の」「家々のあいだの系譜関係」に ぼうてんきょうちょう)
じゅう(33-38):あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】(1943)は、 おいかわ・ひろし【及川宏】の ひはんを うけて、 どうぞくだん という がいねんを つかいはじめ、 どうぞくだんの げんりを けいふかんけいと ひょうげんした。いえの めんばーは かるちゃー、 ぶんかに よって きまり、 さまざまな じょうけんに よって いえの ありかたは かわってくる。
→いえの ありかたは、かるちゃー、ぶんか という どくりつへんすうに たいする じゅうぞくへんすう である。
じゅういち(38-45):どうぞくだんとは いえの けいふかんけいに よる、 ほんけと ばっけと いった、 いえ の あつまり である。
ひけつえんと ぼうけいは ぶんけする。
けいふかんけい には、 よその むらから きた ばあいや、 ほんけの ぼつらくの あとに ほんけに なってもらう ことを ふくむ。
けいふかんけいが、 どういつの うじがみの さいしに よって かくにんされる。 そのため、 にちじょうてきに せいかつかんけいが あり、 ちえんかんけいも ある。
「この場合、系譜的出自とは、同族者個々人の血統的出自を意味するものというよりは、家々の創設の由来を、従ってまた、ただちに家々の存立の根拠如何をこそさすものであると考えられる。少なくとも系譜の本来の意義は、それが家々の政治的・経済的な存立の根拠を表現し確認するものであったところに存するといってよいであろう。」(39-40)
「家はそれ自体の系譜的連続において特徴づけられ、これによって家の成員には直系・傍系(非血縁を含む)の別が生じる。この傍系成員において家の系譜的連続がその家(本家)の枠を超出して展開したときに生ずる家々(分家・別家)のあいだの系譜関係、それこそが同族団をつくりだす。血縁も非血縁も、かかる系譜的連続にかかわることにおいてひとしく家の成員であり、またかかる系譜関係にかかわる家々であることにおいて、ひとしく同族団の構成戸なのである」(40-41)
なかの・たかし【中野卓】による あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】ひはん:どうぞくだんと しんぞくかんけいと いって いえと いえの かんけいを かんがえたのは いいが、 「しんぞく」は こじんの かんけいを いう から、 「しんるいかんけい」と いおう(41)。
かだい:けいふかんけいとは なにか?
としの どうぞくだん
よねばやし・とみお【米林富夫】, 1936(しょうわ11ねん), 「別家について――擬制的血縁関係の一考察」
あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】, 1938(しょうわ13ねん), 『農村社会の研究』 →のれんわけは ほうこうにんぶんけ である。
あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】, 1940(しょうわ15ねん)→1941(しょうわ16ねん), 「家族制度と労働組織」 のうそんにも としにも ほうこうにんぶんけが ある ろうどうそしきが ある。
どっかいの ための ちゅういてん
・ろんぶんの ちゅうしんかだいは のれんうち(暖簾内) である(5)。
・のれんうち とは、 としに おける しょうかどうぞくだん である(5)。
・どうぞくだんりろんは にほんしゃかいがくの じゅうような せいか であると なかの・たかし(中野卓)は ひょうかしている(5)。
・どうぞくだんりろんは にほんしゃかいがくの じゅうような せいか であると なかの・たかし(中野卓)は ひょうかしている(5)。
・「いかなる研究領域にあっても、特定の研究にとりその起点となりえた緒論考には、しばしばその領域の研究のもつ本質と課題を、当初の展開のなかに最も鮮烈に示している。研究が進捗し分化するに従って、ややもすれば枝葉末節にとらわれ、かえって問題の核心が見失われているおそれがある。」(6)
・あるが・きざえもん(有賀喜左衛門)(1897-1979)
ながのけんの じぬしの しゅっしん。びじゅつし、やなぎ・むねよし(柳宗悦)の えいきょうで ちょうせんびじゅつし、やなぎた・くにお(柳田國男)の もとで みんぞくがくを おこない、 のちに とだ・ていぞう(戸田貞三)の えいきょうで しゃかいがくを けんきゅうする。
あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は、 『日本家族制度と小作制度』(1943)に おいて、にほんの のうそんに おける いえと いえの かんけいを じゅうようと かんがえ、 じょうげかんけいが ちゅうしんと なる みんぞくてき とくしつを してきした。そして うえが おおやけ、 したが わたくしと なると している(cf. たかはし【高橋】 2016:3)。
たかはし(高橋)(2016:3)は、なかの・ちえ【中野千枝】が この りろんを うけて、 「タテ社会の人間関係」を かいた ことを してきしている。
たかはし【高橋】(2016:9)に よれば、 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は、 ほうげんなどを たんに ひかくする やなぎた・くにお【柳田國男】とは ことなり、 それぞれの ちいきの せいかつそしきの なかで りかいしようと した。やなぎた・くにお【柳田國男】が もじによらない しりょうを きほんてきに つかった みんぞくがく(民俗学)を おこなったのに たいして、 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は もじ しりょうを つかう しゃかいがくに うつった。
あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は 『農村社会の研究』(1938)で、 1937ねんの とだ・ていぞう【戸田貞三】による 「家族構成」が、 けつぞく いがいの どうきょにんを はいじょしている てんを ひはんした(たかはし【高橋】2016:13-14)。 これが きっかけで、 とだ・ていぞう【戸田貞三】に せわを される ように なる(たかはし【高橋】2016:14)。そして、みんぞくがくしゃ(民俗学者) から、 民族論を ろんじる しゃかいがくしゃに なっていく(たかはし【高橋】2016:14)。
高橋明善【たかはし・あきよし】, 2016, 「有賀喜左衛門の民族的性格論と家・村論」『21世紀東アジア社会学』8:1-35, https://doi.org/10.20790/easoc.2016.8_1
・とだ・ていぞう(戸田貞三)(1887-1955)
ひょうごけん しゅっしん。てんのうせい らいさんの たけべ・とんご【建部遯吾】を しどうきょうかん として、 すぺんさーの ばんにん である とやま・まさかず【外山正一】の えいきょうを うけた。しかごだいがくの ぱーくの こうぎも うけた。 1932ねんには こくすいしゅぎけいの 「帝大満蒙研究会」の せきにんしゃと なる。また、「国体の大義」の せいさくに きょうりょくしていると されている(たかはし【高橋】2016:13)。
とだ・ていぞう【戸田貞三】は、 1924ねんに けんいしゅぎてきな にほんしゃかいがくいんを ひはんし、 にほんしゃかいがっかいを つくる(たかはし【高橋】2016:13)。
・ぶんけかんこうちょうさ(分家慣行調査):
1935ねんに はじまった とうきょうだいがく しゃかいがく けんきゅうしつの けんきゅう ぷろじぇくと。
りーだーは とだ・ていぞう(戸田貞三)だった。 ちょうさを ていげんした のうそんけんきゅうの すずき・えいたろう(鈴木栄太郎)、ほうせいし(法制史)の たきかわ・せいじろう(滝川政次郎)も さんかしていた。 じっしつてきな せわやくは、 よねばやし・とみお(米林富夫)である。(三浦【みうら】, 2019: 2)。そのた:「喜多野清一、渡辺万寿太郎、及川宏、北山正邦、野久尾 徳美、関清秀、関敬吾、竹内利美」(三浦【みうら】, 2019: 2)
みうら(三浦)(2019:2)に よれば、しょうわきょうこうに よる のうそんの ふきょうに たいする たいさく であり、 はいけいには かじょうじんこうの しょくみんちしはいに よる まんしゅうへの おくりだす こくさくが あった。
なかの・たかし【中野卓】(1978[1964] :16)によれば、 よねばやし・とみお(米林富夫)を つうじて、たきかわ・せいじろう(滝川政次郎)が とだ・ていぞう(戸田貞三)と すずき・えいたろう(鈴木栄太郎)を ひきあわせ、 さんにんで もんぶしょう がくじゅつしんこうかい から けんきゅうひを かくとくした。
三浦典子【みうら・のりこ】, 2019, 「内藤莞爾の社会学 その2 ――村落調査から末子相続研究へ――」『やまぐち地域社会研究』16:1-12, https://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/27814/files/158995 )
・すずき・えいたろう(鈴木栄太郎)
すずき・えいたろう(鈴木栄太郎)は、『都市社会学原理』(1957)において、 「正常人口の正常生活」を けんきゅうする べきであり、 「異常人口の異常生活」は まちとしての としに とって ひほんしつてき であると しゅちょうしている。ここでいう 「正常」とは、 そのままで しゃかいせいかつを くりかえし おこなう ことが できる ぱたーんを いみし、 「異常」 とは、 みんなが すると、 しゃかいが ほうかいする ぱたーんを さす(山本【やまもと】 1982:29)。
山本剛郎【やまもと・たけお】, 1982, 「地域社会に関する覚え書」『関西学院大学社会学部紀要』45:29-41, https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/45_jp.htm。
・よねばやし・とみお(米林富夫)
中野【なかの】(1968)に よると、 ぶんけかんこうちょうさの うらの せわやく であり、おおさかの のれんわけである べっけ(別家)の ちょうさを している。
中野卓【なかの・たかし】, 1968ねん08がつ, 「故米林富男会員を悼む」日本村落研究学会『研究通信』63:18 https://sonken.adam.ne.jp/pdf/063/063_09.pdf
・「当時の所謂封建論争」(7):にほんしほんしゅぎろんそう(1927-37))
のうそんの じぬし・こさく かんけいは ほうけんてきか どうか、ほうけんてきな ありかたが ほんしつてきか たんに のこっているのか どうか という ろんそう。ろうのうは(労農派)と きょうさんとうけいの こうざは(講座派)の たいりつに なった。ろうのうはは、じぬし・こさく かんけいは ほうけんてき では なく きょうそうてき であり、 ほうけんてきな ありかたは のこっている だけ である、 したがって、 いちだんかいの かくめいを おこすと しゅちょうする。それにたいして、 こうざはは、 じぬし・こさく かんけいは ほうけんてき であり、 ほうけんてきな ありかたは にほん しほんしゅぎに とって ほんしつてきである、 したがって、 ぶるじょわみんしゅしゅぎ かくめいと ぷろれたりあ かくめいの にだんかいかくめいせんりゃくを しゅちょうした。 (日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本資本主義論争」)
じぬし・こさく かんけいが ほうけんてき というのは、 けいざい いがいの ぼうりょくや けんりょくで、 りじゅん そのものを うばい とる ような ばあいの ことを いう(日本大百科全書(ニッポニカ) 「封建地代」)。
それにたいして、 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は、 じぬし・こさく かんけいは ほうけんてきな もの では ないが、 しほんしゅぎてきな きょうそうに よる もの でも なく、 じょうげかんけいに よる ものだと しゅちょうした。
・名子(なご)
れいぞく こさく。めいしゅの ために ろうどうを おさめる。
「名子(なご) 「みょうし」とも。中世~近世の隷属農民の身分呼称。中世,名主のもとで家内労働を担い,名田の一部を耕作し,自身が売買の対象にされた。中世末期,名田経営の解体にともなって経営の自立化が進んだが,近世にも多くの名子が残存した。近世では,中世から同様に隷属状態におかれていた被官百姓と併称され,名子・被官とよばれた。世襲的な借家・小作関係にもとづく強い隷属性が特徴で,村内での地位は水呑百姓以下であった。作子(つくりご)・門屋・譜代・内者・下人など地方により多様な呼称がある。近世を通して名子抜けして自立した者も少なくないが,一部には近代以降,第2次大戦後の農地改革まで存在した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社) 」(https://www.historist.jp/word_j_na/entry/035984/ まごびき)
・賦役(ふえき):しなければ ならない ろうどう。
・「〈大家族〉と、〈村〉の構造」(7)
「大家族」とは、 いえの あつまりの こと。この 大家族で ひとびとが つながっていると あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は かんがえる。 高橋【たかはし】(2016:)に よると、鈴木栄太郎【すずき・えいたろう】は、「村」が まとまりを なすので あって、 こじんと むらの あいだに いえの あつまりを そうていしないが、 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】 は、 いえの あつまり である 大家族を きょうちょうした。あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】に とって、 村は 大家族だけの ことも あるが、 大家族 いがいの めんばーも ふくめた 村も ある。
高橋明善【たかはし・あきよし】, 2016, 「有賀喜左衛門の民族的性格論と家・村論」『21世紀東アジア社会学』8:1-35, https://doi.org/10.20790/easoc.2016.8_1
・「有賀の理論はエミール・デュルケームの集合表象説からの強い影響と共に、ラドクリフ・ブラウンやブレスラウ・マリノフスキーの機能主義における、文化ないし社会の全体連関性の主張の採用によって裏付けられていた」(8)
こさくかんこう という ようそ だけを ひかくする のでは なく、 しゃかい ぜんたいの なかでの ようその いちづけを かくにんするべき という かんがえかた。
・「そのさい集団的威圧の内容は、有賀の場合、新しい生活条件が現れた場合にも、これを受け入れる村の、また大家族の、生活組織が、前段階におけるそれらからの連続としてあり、そこに生活意識の統合が、全体連関的に働く点を重視するものであった」(8)
きはんの ないようは、 まえの じだいの しゃかい ぜんたいの せいかつの ぐるーぷと、 せいかつの ぐるーぷ ぜんたいと かかわる せいかつの とらえかたと かんけいしている。
「威圧」(8):でゅるけーむにおいて、 しゃかいてきじじつ としての しゅうごういしきに ほんしつてきな こうそくせい(拘束性、contrainte)で はたらく ちからの こと(中【なか】 1967: 1267-1268)。 つまり、 いわゆる きはん。
中久郎(なか・ひさお), 1967, 「社会的事実と行為――デュルケム理論の問題」京都哲學會『哲學研究』43(12):1255-1287. https://doi.org/10.14989/JPS_43_12_1255
「生活意識」(8):せいかつに たいする かんがえかた(42)。 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】において、それぞれの ようそを ぜんたいとして とらえる ための がいねんで あった。高橋【たかはし】(2016:8)は、 けいざいなどの きゃっかんてきじょうけん だけ では なく、 生活意識 という しゅたいてきじょうけんに ちゅういを はらっている ことを たかく ひょうかしている。 また、高橋【たかはし】(2016:12-16)は、 生活意識 という がいねんが やなぎだ・くにお【柳田國男】の がいねんでも ある ことを してきして、 この がいねんを あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】が つかわなくなる りゆうを、 やなぎだ・くにお【柳田國男】との がくもんてき たいりつに もとめている。
米地実【よねじ・みのる】, 1973, 「生活意識論――有賀喜左衛門の学説の覚書」日本女子大学社会福祉学科『社会福祉』22:42-45. https://jwu.repo.nii.ac.jp/records/2252
高橋明善【たかはし・あきよし】, 2016, 「有賀喜左衛門の民族的性格論と家・村論」『21世紀東アジア社会学』8:1-35, https://doi.org/10.20790/easoc.2016.8_1
「生活組織」(8):おそらく、 せいかつを いとなむ ための ぐるーぷと かんがえると よさそう。「既存の〈生活条件〉の下で〈生活の全体を表象するもの〉である〈生活意識〉においてその統合を示すものである〈生活組織〉こそが、新たに現れる生活条件に適応してゆく」(8)という ように、かんきょうの もとで いしきに よって まとまる しすてむ こそが かんきょうに あわせて へんかすると かんがえられている。 つまり、 ひとびとの ぐるーぷが しすてむ として へんかしていくのであって、 こじんが へんかしている のでは ない。
平野【ひらの】(2000:78-79)は、 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】が いえを しんぞくしゅうだん では なく せいかつしゅうだん=せいかつそしき である という ことを きょうちょうした ことを してきしている。
平野敏政【ひらの・としまさ】, 2000, 「生活組織と全体的相互給付関係――有賀「家」理論の基礎概念」『三田社会学』5:76-81. https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AA11358103-20000000-0076
・「一般には〈小作慣行の現在における性質の中に、その最も顕著なる要素〔近代法的また資本制的な小作契約観念――引用者註。以下、引用中の〔〕は同様〕を基礎として、小作慣行の歴史的過程をまで説明しようとする態度〉がとられていることを批判し」(8)
[あなくろにずむひはん] れきししゃかいがくに おいて、 げんだいの へんけんによって かこの できごとを かんがえる ことを いましめている。あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】を なかの・すぐる【中野卓】が する ことで つながっている。そして、これは さとう・けんじ【佐藤健二】にも うけつがれる。
・「有賀は、この方法によって特殊小作慣行の社会的意味を解明することを通して、却って日本の現実における小作制度の本質を解こうとしたのである」(9「特殊」「却って日本の現実における」に ぼうてんきょうちょう)
げんていされた ようそを しらべるの だが、 その ために せいかついしき という しゃかい ぜんたいに よる とらえかたを あきらかにする ほうほうを とる ので、 にほんしゃかい ぜんたいに ついて わかる。
さらに、 いちぶの ようそ(名子の賦役)を あきらかに する ことで、 それが ふくまれる ようそ(小作制度)を あきらかにする ことが できる。しかし、 「さらに」 から いった ことは ろんりてきには いえない のでは ないかと ぎもんが うかぶ。しゃかいぜんたいと ようそぜんたいは ことなる からである。
・「この場合に限らず、とりわけ有賀の主張は、常に何らか既存の有力な理論へのアンチテーゼとして提出され続けてきた。」(9)
けいざいの ろうのうは:こさくりょうは、 しほんしゅぎてきな きょうそうで きまる。 けいざいてきな けいやく なのだ。
ぶりょくの こうざは:こさくりょうは、 ほうけんてきな ぶりょくに よって きまる。
しゃかいみぶんの あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】:こさくりょうは、 おやこ という みぶんに よって きまる。なぜなら、
①こさくの いちぶの 名子(なご)の 賦役(ふえき) という ろうどうは、 じぬしの ひつように よって きまるので あって、 けいやくで きまっておらず、(けいざいの ろうのうは への はんろん)
②こさくの ねんきが むねんき であり、 ぶりょくが なくなれば おわり とか では ない から(ぶりょくの こうざは への はんろん)(9)。
・「名子の賦役」(1933)における 名子(なご)の分類(10)
(1)血縁分家によるもの
大家族
同居大家族
↓
分居大家族
親方本家→保護→←賦役←分家
(2)主従関係によるもの
(イ)家来をひきつれた武士の土着
(ロ)奉公人分家(養子奉公人分家を含む)(おやこ かんけい)
(ハ)地主と主従関係を結ぶに至った移住入村者(おやこ かんけい)
(3)土地家屋の質流れによるもの(おやこ かんけい)
「名子の賦役」の じゃくてん: けつえんと ひけつえんを わけて べつの せつめいを あたえている。(1)けつえんと(3)しちながれを(2)の しゅじゅうかんけいに とうごう できていない。
それにたいして、 のちの あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は どうぞくだんりろんに おいて、 けいふかんけいに よる しゅじゅうかんけいが、 けつえんと ひけつえんに かんけいなく ちゅうしんに あると しゅちょうする。 (11)
「名子の賦役」の すぐれているてん:しゅじゅうかんけいの もでるを、 ぶしと けらい(イ) では なく、 のうかの ほうこうにんぶんけの 地主と名子の かんけい(ロ)に もとめている(11)。
・「入百姓の名子」(11)
いりびゃくしょう(入百姓)は、 ろうどうりょくぶそくの とちを たがやさせる ために よびこんだ のうみんの こと。
・あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】に たいする ごかい(11-12)
①しゅじゅうかんけいを ぶしと けらいの ほうけんてき かんけいと かんがえてしまう。
②だいかぞくや かぞくを けつえん、しんぞくしゅうだんと かんがえてしまう。
③おやこかんけいを うみのおやと うみのこの かんけいと かんがえてしまう。
・「しかしながら、この時期にはまだ、有賀自身〈大家族〉なる術語の使用のもとに、それを本家と共に構成する血縁分家・非血縁分家を、〈血縁分家〉と〈主従関係〔の家〕〉とにわかち、これらをその〈大家族〉へ統合している原理を、まだ〈系譜関係〉であるとも〈主従関係〉であるとも明示するに至ってはいなかった」(11-12)
あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は のちに、 けいふかんけいによる しゅじゅうかんけいが どうぞくだんの ちゅうしんに あると かんがえる ように なった。
・「すなわち、(2)の〈主従関係による名子〉について説く際に、とりわけ、奉公人(住込奉公人)ないし奉公人分家について、地主親方(主家)が彼らを奉公入りさせる時に〈子分として主家に養取〉し、以後、オヤとして奉公人に臨む親方の意識、またコとして親方に依存する奉公人の意識を重視し、かかる意味の〈オヤコ関係〉が、労働組織であるとともに、身分関係(の組織)である点を指摘し」(12)
いしきに ついては いちぶは ほうげんを しょうこに している(名子の賦役上 721-727)。
・あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】の ぶんしょう
「主從閥係なら何れにせよ 元奉公人であつた事は疑ひない」(名子の賦役上 725)
「斯様な生活意識の生する根據は何處にあるかといふに, 之は奉公人を取容れるに際し, それを子方として主家に養 取する事にあるのである。 年季奉公などを見るに, 通例年季を勤めた上にお禮奉公といふのが二三年あつて,そこで 田地を分けて貰つて村に居着くのが多かつた。 年季の間は何の報酬もないのであるが, これは年季明け後に主人の充 分なる保護が豫定されてゐるから,契約に賞つて奉公入の實父はその親權を主人に渡し、 以後主人はその奉公人の親 として臨むのである。 併し之は言ひ換れば最も强い支配關係に入ることに外ならないのであつて. 之が我が國の主從 關係を成立せしめる基本的觀念であつた」(名子の賦役上 726、したせんは れじゅめ たんとうしゃ である さいとうに よる)
おやこ という なまえが ぜんてきしはいを あらわす(名子の賦役上 726-727)
cf. 「この慣習の根據となるものは氏竢紐織に依つて深められた…家的感情であつて。 それは同時に氏神を異にする者に 對する強い排他的感情ともなるりであるから, 氏紳を異にす者をその氏族内に取容れるにはそれを絶鞠的に支配する 手段に俟たねばならなかつたのである。 即ちそれはその者の生命乃至魂を支醜することでなけれぱならないから’それを子として養取する事であつて, 實父からの親襟移轉の意思表示に於て行はれたのであつで、 この場合證文を取る といふ様な事は始めはなかつたらうと思はれる。 之は要するに身元慥かでなければ奉公人にする事を欲しなかつたか らであるo後に證丈がある場合には實父の外に身元請人を立てたのであるが、 之は恐らく親權の授受に不安な纂情が いろ−ー, 生じたからであらうと思はれるが. 普通の年季奉公にいくらも見らる蕊所である。 何れにせよ奉公人となゆ 鍛暮の節季に・王人から盃を受けるとか、 仕着せを貰ふとかいふ事は家の子としての主人に鬢する關係の衷象である が, 次に奉公人が養予として取容れらる例を擧げて脯ての習俗に潜む麹念を明かにして兄たい」(名子の賦役上 728-729、こぴぺのみで へんしゅうしていない。)
・ほまち
「帆待ち」 とも かき、へそくりの こと。 ふなのりが けいやく いがいで ひみつの しゅうにゅうを える こと。
・いしがみぶらく(石神部落)
いわてけん、にとぐん、あらさわむら、いしがみ
・『農村社会の研究』(1936)の分類(13-14)
大家族制
同居
血族的
非血族的:血族的な家と非血族的な家
分居
血族的
非血族的:血族的な家と非血族的な家
・『農村社会の研究』(1936)の じゃくてん(14-15)
だいかぞくは ほんらい けつぞく という じょうしきが まだ ある。だいかぞく という あいまいな がいねんを つかっている。
・「他の人々の考えるように血族的オヤコ関係を本来のものとみて、非血族的なそれを擬制とみる見解は、〈大家族制〉が解体した結果、血族に偏するに至った、むしろ、後の形態にすぎない姿から、逆にこの原型とその本質を類推した〈合理的解釈〉にすぎないとした。歴史上の一時点である現在の型をジャスティファイする立場をもとにして、原型を、非歴史的に説明するのはまちがいであって、現在置かれている歴史的条件のもとで社会的現実の示している姿やその本質をわれわれが現在の型としてとらえるように、その原型としての、過去の形態やその本質は、その属した歴史的社会的現実のなかで、把握されなければならないという主張である。」(14)
[あなくろにずむひはん]
・きたの・せいいち【喜多野清一】
・きたの・せいいち【喜多野清一】の ちょうさち1
ながまさ(にいがたけん、かなおむら、ながまさ) (1936-1937、しょうわ11-12)
→1947ねん(しょうわ 22ねん) 「町人請負新田に於ける小作関係」『社会学研究』か?(cf. 19)(斉藤史朗, 2016,「日本社会学における家理論の形成と展開―その社会像と政治観」博士論文より )
→1949ねん(しょうわ 24ねん)「新田開発村の同族組織」『戸田貞三博士㑏暦祝賀記念論文集 現代社会学の諸 問題』 か?(cf. 19)(斉藤史朗, 2016, 「日本社会学における家理論の形成と展開―その社会像と政治観」博士論文より )
・きたの・せいいち【喜多野清一】の ちょうさち2
わかみや (ながのけん、さらしなむら、わかみや) (1937、しょうわ12)
→1937ねん(しょうわ12ねん)日本社会学会における ほうこく(19)
→1937ねん(しょうわ12ねん) 「信州更科郡若宮の同族団」『民族学研究』
・おいかわ・ひろし【及川宏】
・ますざわむら(増沢村) きゅうせんだいはん(いわてけん)
・まき という どうぞくだん
「まき同じ村内の本家分家仲間(同族団)の呼び名。エドウシ、イッケ、ウチワ、イットウ、カブウチ、ジルイなど同姓・同系の家仲間の方言の代表名として、現在はなかば学術語にもなっている。しかしマキを広く血筋につながる親族の範囲に用いる地方もあって、かならずしも実際の用例は「同族(本家分家仲間)」に限られてはいない。東日本一帯に広く分布する親族関係用語で、おそらくは「まとまり」を意味する古語に源流するところであろうが、広く血筋、血統、血縁による仲間を意味したり、あるいは同一村内の同系出自の家々(同族)の仲間だけに限定するのは、それぞれの地方の実態に即して、のちに分化したのであろう。マケ、マギ、マゲともいうが、その語源は明確ではない。[竹内利美]」(日本大百科全書(ニッポニカ) )
・とだ・ていぞう【戸田貞三】の 1937ねん(しょうわ12ねん) 「村に於ける『まき』の機能」(18)
(こじん)
いえ
ちゅうかんしょうしゅうだん: まき、いんせきかんけい、おやぶんこぶん など
むら
まきを けつえんだんたいと かんがえている。
なかまに けつえん だんたいの はたらきなかまと ほうこうにんぶんけ である そへなかまが ある。
なかまは まき であると かんがえる ことで、 けつえんだんたいと かいてしまっている。
・すずき・えいたろう【鈴木栄太郎】の 1935ねん(しょうわ 10ねん)の 「血縁に関する二つの方面」(18)
まき への げんきゅう
・すずき・えいたろう【鈴木栄太郎】の 1939ねん(しょうわ 15ねん)の 「我が国における農村社会集団の地域性に就いて」
しぜんそんの なかの 「〈血縁的集団〉」=「〈血族的集団〉」が どうぞくだん である(18)。
「〈同一の血族との意識のもとに〉ある〈父系による同族〉たる〈家の集団〉」(18)
家系としての父系↔父系血統
けいふかんけいが おなじか、 おやが だれか。
・しぜんそん(自然村)↔ぎょうせいそん(行政村)
・おいかわ・ひろし【及川宏】と そうだんした きたの・せいいち【喜多野清一】が 1937ねん(しょうわ12ねん) 「信州更科郡若宮の同族団」で、 どうぞくだん という ことばを つかう。(19)
・ゆずりはらむら おおがいと(棡原村大垣外) やまなしけん きたつるぐん
・きたの・せいいち【喜多野清一】は、 わかみや での ちょうさでは、 どうぞくだんを けつぞくと かんがえていたが、 ぎせい(擬制)として ほうこうにんぶんけを どうぞくだんに ふくめて、 〈家系〉に かかわる ものと かんがえる ように なった(22-23)。
・おいかわ・ひろし【及川宏】 ものぐらふ
おいかわ・ひろし【及川宏】, 1938(しょうわ13), 「分家と耕地の分與―舊仙臺領增澤村に於ける慣行について―」『民俗学年報』1
「えどうしまけ」 という どうぞくそしきに ついて。
おわらない どうぞくだんと、 けっこんしているひとが しぬと おわる しんぞくかんけいを たいひてきに とらえる。(26)
しんぞくだん では なく、 しんぞくかんけいと かいた。(26)
おそらく、 けつぞく だからと いって せいかつを ともに する ぐるーぷを つくるとは かぎらない ことを ひょうげんしたの だろう。
おいかわ・ひろし【及川宏】, 1940(しょうわ15), 「同族組織と婚姻及び葬送の儀礼――旧仙台領増沢村に於ける慣行に就いて」『民俗学年報』2
1939ねん8がつの ちょうさ
きたの・せいいち【喜多野清一】や あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】によって たかく ひょうか されている(25-26)。 なかの・たかし【中野卓】も たかく ひょうかしている(26)。
ぶんしょうしりょうが つかえなかった ため、 しゅうぞく(mores) から ちょうさ した。
どうぞくだんと かぞくの ていぎ
あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】の だいかぞくせい りろん ひはん(27)
どうぞくだんは ふくすうの いえの あつまり である ことも ある。 しかし、 あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】は どうぞくだんを だいかぞくせいという ことばを つかっている ので、 ひとつの いえと まちがえられやすい(27-28)。
とだ・ていぞう【戸田貞三】の しょうかぞく りろん ひはん(27)
かぞくは けつえん だが、 とだ・ていぞう【戸田貞三】は れきしを むしする ことで、 いみや きのうを むしする から、 どうぞくだん けんきゅうが ひつようである(28)。
「〈家〉」 という どうぞくだん とは、 「〈公的承認〉」と「〈経済的自立性〉」が ある ぶんりつする どうきょたんい である(29)。
ひきんだいてきな どうきょの しようにん、 すみこみ ほうこうにんを いえ という どうぞくだんに ふくめた(29)。
なかの・たかし【中野卓】による ひはん1:「準家族員」と いってしまったが、ぎせい(擬制)は つかわないと いっているのだから、 かぞくいん とは べつの いえの せいいんと とらえる べきである(29)。
なかの・たかし【中野卓】による ひはん2:ようしを かんがえていない。
いえの せいいん としての こ
▼せいぶつがくてきな うらづけのない しんぞくかんけいしゃ
▼ようし ほうこうにん
▼いっぱんの すみこみほうこうにん
(おいかわ・ひろし【及川宏】, 1940(しょうわ15), 「所謂「まいりのほとけ」の俗信に就いて舊仙臺領增澤村慣行調査報告(三)―」『民俗学年報』3)
・家付娘(いえつきむすめ):じっかで むこを とる むすめ(30)
なかの・たかし【中野卓】による ひはん3:どうぞくだんの しゅつじの きょうつうせいを しゃかいせいど として とらえる べきと かいているのに、 けつごうげんりを けつえんてきたんけいせい(血縁的単系性)、 とくに ちちがたの それと かんがえてしまった ので、 ようしを せつめい できない(30-31)。
・なかの・たかし【中野卓】の しゅちょう
「それが〈殆ど恒に父方の血縁を単系的に辿る〉のも、またときとしてそうでないのも、条件如何によっていずれをも示しながら、しかも、そこにこの双方の場合を一貫している原理として、家の系譜、そして、家々のあいだの系譜関係があってのことであり、これこそが同族団を他の集団と本質的に区別し特徴づけるとわれわれは考える。」(31、「殆ど恒に」「ときとして」「家の」「家々のあいだの系譜関係」に ぼうてんきょうちょう)
・おいかわ・ひろし【及川宏】の りろん
〈姻戚と同族とはその成立において同時的観念〉(31)
どうぞくだんは ぞくがいこんの きんしを ともなわない(31)
・おいかわ・ひろし【及川宏】の りろん(つづき)
どうぞくだんA ↔たて↔ どうぞくだんA
かぞくα げまいんしゃふと かぞくγ
こじん「あい」(きたの・せいいち【喜多野清一】) こじん「おか」
↔よこ↔ げぜるしゃふと(きたの・せいいち【喜多野清一】)
どうぞくだんB
かぞくβ
こじん「うえ」
こじん「あい」と こじん「うえ」が けっこん して、
こじん「あい」が かぞくαから どうぞくだんBの かぞくβに うつる。
→かぞくαと かぞくβは かんせつてきに ちかくなる。
→どうぞくだんAと どうぞくだんBは かんせつてきに ちかくなる。
こじん「あい」が しぬ。
→かぞくαと かぞくβは とおくなる。
→どうぞくだんAと どうぞくだんBは とおくなる。
どうぞくだんAの かぞくαと かぞくγは こじん「あい」が しのうが、 ちかいまま。
・おいかわ・ひろし【及川宏】の りろん
きんせいの のうぎょうけいえいの はってん だけでは、 どうぞくの せいりつを せつめい できない(32-33)。
なぜなら、
①きんせいの まえに どうぞくが ないと いって、
②どうやって のうぎょうけいえいの へんか から どうぞくが できるのかを せつめいしないと いけない から。
・あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】が こだい、 ちゅうせいいの どうぞくだんを しらべて、 1943ねん(しょうわ18ねん)の あと りろんかした。(33)
・のうか、しょうか、ぎょか、ぶけ それぞれを けんきゅうしないと いけない。
・あるが・きざえもん【有賀喜左衛門】, 1943(しょうわ18), 『日本家族制度と小作制度』
『農村社会の研究』(1938)の かいていばん としての しゅちょ。
おいかわ・ひろし【及川宏】の ひはんを うけいれて、 だいかぞくせい という がいねん から どうぞくだんたい という がいねんを つかう。(33-34)
さいしゅうてきには だいかぞく という がいねんを つかわなくなる。(34)
どうきょだいかぞくせい→いちじてきな ぶんきょだいかぞくせい→どうぞくだんたい(35)
どうぞくだんたいは、 [ぶんきょだいかぞくせい=ぶんきょしている ふくごうの いえ=ぶんきょ している はいぐうしゃを ともなう ぼうけいや ひけつえんも ふくんだ いえ](34)と くべつされる(35)
・寄留(きりゅう):いそうろう(35)
・ワラジヌギ:ほかの むらから きた ひと(長谷川【はせがわ】 1987:19)
はせがわ・ぜんけい【長谷川善計】, 1987, 「社会学における家と家父長制――戸田・喜多野理論を中心にして」『比較家族史研究』2 :9-27. http://jscfh.org/2020/03/14/%E3%80%8E%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%80%8F%E7%AC%AC2%E5%8F%B7/
・タノミホンケ:「落したり絶家したりした本家の代りに,他家系の有力な本家に自家の本家になってもらう」世界大百科事典(旧版)「親分・子分」
・よその むらから きた ひとを どうぞくだんに いれる ことが ある ので、 父系血統(ふけいけっとう) という せつめいは できない。(35)
・とだ・ていぞう【戸田貞三】への あなくろにずむひはん から、 どうぞくだんの こうせいたんい としての いえ では なく、 けつえんに よる ものを きほんの かたちと かんがえた ことの ひはんに へんかする(36)。
・どうぞくだんの こうせいたんい である いえ(37)
たんいつの いえ:はいぐうしゃが いる ぼうけいや ひけつえんが いない。はいぐうしゃの いない ぼうけいや ひけつえんは いるかもしれない。
ふくごうの いえ:はいぐうしゃが いる ぼうけいや ひけつえんが いる。
↑
ひけつえん とは、 ひけつえんの ようしも ふくむ。
←なかの・たかし【中野卓】の ひはん:しんぞくかんけいしゃ(ちょっけい、ぼうけい、ようし)と ひしんぞくかんけいしゃ(すみこみほうこうにん)に わける べき(37)
おそらく、 けつぞくであるかは いえに とって どうでも いい という こと であると かんがえられる。
・いえの めんばー である ことは、 ぶんかてきに きまる。 けつえんは かんけいない。(37-38)
・それぞれの ぶんるいは、 じょうけんに よって たがいに うつり かわる。(38)
・末家(ばっけ):ほんけ から わかれた いえ。(38)
・聟(むこ)
・どうぞくだんたいと しんぞくかんけい(41-42)
どうぞくだんたい
↓ ほんけと ひけつぞくぶんけの かんけい
↓↑ ほんけと けつえんぶんけの かんけい
↑ いんせきかんけい
しんぞくかんけい