さいとー・ま

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べっく どくしょかい02

20231225
ベック『危険社会』
だいにしょう
べっく、かがくしゃに むらを やかれたせつ

「貧困化」77→31「貧困化を示す数式」
じこが おきたら、 これぐらい やばい という すうしき
31:ちゅうりつてきな すうしきで、 しんじつかの ように やばさが せつめいされるけど、 じつは その すうしき じたいが せいじてきな いみが ある
貧困化=やばいことになる化=悲惨化

78
きけんの ないよう:
きけんを うみだしはくぐんできた しすてむとしての きんだいか:さんぎょうか。こうぎょうか。かがくぎじゅつの はってん。
副作用はなぞ
生産性を ついきゅうしたら、 きけんが あらわれる。
副作用は よきしていなかった はせいてき りすく。 きけんの せんぷくきは みえていない けど、 のちのち 副作用と なる。
Hier wie dort am Anfang die Latenz (»Nebenwirkungen«), die hier wie dort erst konfliktvoll durchbrochen werden muß.
せんぷきが ふくさよう。

しんかんせんの そうおんが あっても、 かがくてきな しょうめいが なければ つたわらない。

不安が あったら たちあがると あるけど、 にほんじんは?
すけーぷごーとでは?:きけんが ないと おもいこんでいる、 あいつの せいだと おもう。

ふあん→はんたいうんどう→きけんの ちしきが たかまる→きけんが にんちされる→きけんが げんじつの ものとなり→せいじてき いみが はつどうする。→否認(みなかったことにするか)、こんぽんてきな しくみの へんか
80現実の危険=認知された危険。いままでの危険は潜伏期で、リアルさがなかった。危険の政治的意味が発動している状態が現実の危険。

目標を定めた=適切なeine gezielte und massive »Politik der Gegeninterpretation«

83
けんきゅうしゃも ほんとうは かんぺきでは ないけど、 かがくしゃに たいする みかたが つよいので、 研究の余地が狭まる=間違えられない=挑戦しない。研究が 広がらない。=確認だけになる。


かがくが ないと きけんが にんしきできない→かがくしゃかいがくが だいじなのではなく、 ちしきしゃかいがくが だいじである。:かがくしゃが つくった ちしきを どう じゅようしているかが もんだいである。

88
なんでも きけんが ある から、 なんでも せいじに なって、 きぎょうも せいじに なる。 (はなしあいの たいしょうに なる)。→きんだいかの きそを あやうくする。

ふあんに よる れんたいも うまれる?


91
疑問は調査することができます:社会的リスク認識の基準地平線でのみ可視化される、科学的リスク認識に固有の誤りと間違いの体系的な原因は何ですか? そしてその逆もまた然りです。リスクに対する社会的認識は、組織的に科学的合理性を否定し批判し、文明化以前の宗教権力の復活に転じる恐れがある場合でも、どの程度まで科学的合理性に依存し続けているのでしょうか?

112
CO2が、 いっぱい だしながら つくっている。 しょりする きかいが ひつよう。 その おかねが ひつよう。 しょうひしゃから まきあげる。 ねあげ。 つくんなきゃいい。

114
きけんを にんしきする には かがくが ひつよう。 きけんを にんしきするには かがくが だめだと いわないと いけない。 かがくが だめなら、 おまえたちは きけんに されされていると いえないではないか! と なってしまう。

りせいに もとづく かんがえかた ぐらいの いみかな? 118

125
じかんが たてば、 ぞうだいする。
へんかする ことに なる。

129
近代化に伴う危険は、社会に取り込まれた自然についての危険という意味で、純粋な社会の第一の倫理に対して第二の倫理であり、これは、危険を科学的に測定するので、科学の形をとる。

132
しゃかいかがくに じゆうが ないから、 ほしい、 という はなし?
→りんりや せいじに かかわる てーまを えらべ、 とか

132
うるさい しゃかいがくしゃに なれ?→いや、 きはんと すいそくの ぜんちしが おなじ だから では?