さいとー・ま

さいとー・ま

さいとう・まの。おしごとは manoestasmanoあっとgmail.com (あっとを いれかえてください)まで。

フェミニズム基礎文献研究会レジュメ、熊本理抄(くまもと・りさ)『被差別部落女性の主体性形成に関する研究』

熊本理抄(くまもと・りさ), 2020, 『被差別部落女性の主体性形成に関する研究』解放出版社(かいほう・しゅっぱんしゃ).
www.kaihou-s.com


レジュメを さいとうが つくった。

はじめに

被差別部落女性(ひさべつ・ぶらく・じょせい)を ぶらく・じょせいと みじかく かきます。
こんかいの レジュメは、 もじとしての かんじを あまり つかいません。りゆうは ふたつ あります。

  1. じぶんは、 もじとしての かんじに よって、 いろいろな ひとが じょうほうを しれなくなる ことが さべつだと おもう から です。
  2. こんかい とりあげる ぶんけんの てーまが、 ぶらくじょせいで、 ぶらくじょせいは もじが よめない ことを りゆうに さべつされてきた から です。

まとめる なかで、 レジュメを つくった さいとうの ことばに いいかえている ところが おおい です。 ちゅうい してください。

なぜ この ぶんけんを えらんだのか?

  • にほんに おける インターセクショナリティと フェミニズムの かんけいの きそ ぶんけん だから。
  • じぶんの けんきゅうの といに かんけいしている から。
  1. せいべつを めぐって ひとびとは どんな ぎろんを してきかたか?
  2. とくに「性別二元論」(せいべつにげんろん) という ことばを つかって、ひとびとが なにを してきたか?
  • じぶんの たいけん(ひみつ)。

くまもと・りさに ついて

  • せいれき 2002ねん まで こくさい じんけん NGOで かつどう していた。
  • 2017ねんの はくしろんぶんを、 2020ねんに しゅっぱんした。 この ぶんけんを こんかい よむ。
  • そのたの ぶんけんは、 したの ぺーじに かいている。

hunihunisaito.hatenablog.com

ぶんけんの ないようの まとめ

もんだい

とい①。

ぶらく じょせいは どのように、 しゅたいせいけいせいをして、 へんかを ひきおこす ひとに なるか?

こたえ①。
  • 自己教育運動(じこ・きょういく・うんどう)や、 ぶらくかいほううんどうを つうじて、ぼうがい されながらも、 じぶんが しゃかいこうぞうの なかで どのような たちばに あるのかを じかくして、 むかしの ひとたちや いまの ひとたち との つながりを いしきする ことで、 じぶんで きめて、 へんかを ひきおこせる ように なる。
とい②。

ぶらく じょせいは、どのように うんどう する べきか?

こたえ②。
  • 「部落女性の思想や経験により、フェミニズムの諸概念や諸定義を再構築していくとともに、部落解放運動が掲げてきた差別論と主体性論を問い直していくことが必要であり、「複合差別」概念をその闘いに導入する」(392)べきである。

ぜんていと いち 問題の所在

はいけい
  • ぶらく・かいほう・うんどう でも、 ふぇみにずむ でも ぶらく・じょせいの ことを しっかりと かんがえられていない。
もくてき
  • 「本研究は、日本の被差別部落女性(以下、部落女性)の主体性形成に焦点をあて、その形成過程を明らかにするなかで、部落女性が直面する諸問題を考察し、部落女性による運動の今後の課題と展望を提示することを目的とする」(9)

【こめんと】どのように なっているか、 という じじつ ではなく、どのように するべきか、 という じっせんを もんだいにしている。じっせんてきな ろんぶん といえる。

ほうほう。
  • ききとり(に、さん)
  • ぶんしょうの よみとり(よん)
  • りろんてき けんとう(ご)。
してん。
  • 複合差別(ふくごうさべつ)

ふくごうさべつ とは、 あめりかがっしゅうこくの ぶらっく・ふぇみにずむ から、 こくれん(国連)を つうじて、 ぶらく・じょせいの うんどうに 1990ねんだい から もちこまれた ことば である。
ちょしゃの くまもと・りさが 1999ねんに ふくごうさべつと やくした。
ぶらく・じょせいは、 それまでは 「二重三重の差別抑圧」(371など)という ことばを つかっていた。
ふくごうさべつ という がいねんが つかえるか どうかを この ほんで かんがえている。

  • 主体性(しゅたいせい)

しゅたいせいとは 、しゃかいてき、 れきしてきな かんきょうの なかで いきる ひとの、「変化のために能動的に社会に働きかける力や、自己の行動を選択しその行動に責任を取る力」(23)をもつ ことで ある。

  1. のうどうせい(たにんが きめる のでは なく、 じぶんで きめる)
  2. せきにんを とる、
  3. へんかさせる ちからを もつ。

しゅたいせいが できる ことを さまたげる のは、 さべつ(50)や、 うんどうの なかの じぇんだーたいせい である。
「差別と他者規定によって、自らの尊厳を貶めることを被差別者自身が行っていく主体性形成阻害の過程と、一方では人間としての尊厳にめざめ新たな規範の創造や転換を図り、自らのなかに蓄えていく主体性形成追求の過程がある。」(150)、255など
かんけいせいや しゃかいさんか から しゅたいせいが けいせいされ、 しゅたいせいから かんけいせいを つくったり しゃかいさんかが できる (67)。
うんどう から しゅたいせいが けいせい され、 しゅたいせいから うんどうが けいせいされる(92)。
しゅたいせいが けいせいされる ことを よいことと ひょうかしている。
【こめんと】のうどうてきか じゅどうてきかは どうしたらわかるのか?
じぶんで きめた じぶんの いめーじは よい もので ある はずである という ぜんていが ある。だから、 じぶん じしんに わるい いめーじを もっていると、 それは たにんが きめたと かんがえられる。 いろいろな さべつに はんたいしたい ので ふまんが ある。くらい ひと よりも あかるい ひとの ほうが よい という さべつに はんたいする ときに、 この ぜんていは こまる。 ただし、 じょうしきてきには これで よい。

部落民であることー被差別部落女性の聞き取りから

ふくおかけんの 90にんの ぶらく・じょせいから はなしを ききとって、 まとめている。ただし、 ぶらくかいほううんどうに かかわっていた ひとに おおく はなしを きいているので、 かたよっている。
ぶらく・じょせいの しゅたいせいは どのように けいせい されるか? さべつで ぼうがいされた しゅたいせいは、 うんどうを つうじて、 ひととの つながり から けいせいされる。

たにんが きめる じぶんの いめーじ

たにんから じぶんが ぶらくみん である ことを しらされる ので、 じぶんの ありかたの いめーじを たにんが きめてしまう。だから さいしょは、 さべつを うける ぶらくみん より、 さべつを する ひ・ぶらくみんが さべつてきな いめーじに ついて おおくの ことを しっている(35、39、41)。

いめーじを うけいれてしまう

さべつを する りゆうは、 ぶらくみんが わるい からである という さべつを する がわの かんがえかたを うけいれてしまって、 ぶらくじょせい じしんが わるいと おもってしまう。たにんが きめた いめーじを うけいれてしまって、 じぶんを せめる ように なる。こうして、 さべつが しゅたいせい・けいせいを さまたげる(50)。

ひとと かんけいする ことを さける

けっこんの ときや、 かいわを している ときに ぶらく・さべつが わかりやすく なる ので、わかりやすい さべつに あわない ように ひ・ぶらくみん との れんあいや けっこん、さらには ひ・ぶらくみんとの にんげんかんけいを さける。
【こめんと】ただし、 ききとりを した ときは けっこんは こせきじょうの いせいとの ふたりぐみで しか できなかった ことに ちゅういが ひつよう である。また、 いせいあい かんけいしか きじゅつが ない ことは くまもとが ききとりの ぎじゅつが たりなかった ところ であろう。

さべつされたことが ないと かたる

ぶらくみんで ある こと では なくて、 ひんこんの もんだいと かたったり、 さべつだと ふりかえる ほどの よゆうが ないと かたったり、にんげんかんけいを さけさせられている ので ひていてきな ことを いわれる ような さべつを うけた ことが ない という いみで さべつが ないと かたったり、よく ある さべつ たいけんと ちがう から さべつが ないと かたったり、 ひ・ぶらくみんと かんけいした ことが ない から さべつを うけたことが ないと かたったり する(59-63)。さべつである ことを まなぶ ばめんが あると、さべつを さべつだと わかる。

自己教育運動(じこきょういくうんどう)を つうじて、 さべつが さべつだと わかり、 うんどうに さんかする ことに なる。

1950ねんだい までに うまれた ひとたちが さんかした もじを べんきょうする ばめんを つくる 識字運動(しきじ・うんどう)や、 1960ねんだい から あとに うまれた こども たちが さんかする こどもかいを つうじて、 さべつの れきしを しり、 ぶらく・じょせいが じぶんの けいけんを さべつと わかって、 うんどうに さんかする ように なる(68-72)。せんせい などの しんらいできる ひ・ぶらくみん との かんけいも つくれる。

自己教育運動(じこきょういくうんどう)を つうじて、 じぶんが さべつされる れきしてきな、 しゃかいてきな いみが わかって、じぶんは わるくないと おもう ように なる。

たほうで、 すべての けいけんを ぶらくさべつに むすびつけてしまう ことに ふまんを もつ ぶらく・じょせいも いた。 これは じぶんで きめようと うながす ときに、 ぶらくの なかの ちがいを ちゃんと とりあつかわない ことで たにんが きめる ことに なる こと である(90-91)。

しゅたいせいけいせいの よっつの ばめん。
  1. ぶらくかいほううんどうの なかで じぶんの けいけんを かたって きょうゆう する。共同性(きょうどうせい)
  2. せんじんの ちえを まなぶ ことで れきしを きょうゆうする。歴史性(れきしせい)
  3. ぶらく こみゅにてぃの こどもに けいけんを つたえる ために まなぶ。
  4. こみゅにてぃの なかで たがいに たすけあい、 ひ・ぶらくでの はいじょ から たすける 。

しかし、こみゅにてぃの なかでの かいきゅうの ちがい などが ない ものと かんがえられて、 みんな おなじと かんがえられる。 さらに、 ぶらく・じょせいが にんげんかんけいや かんじょうの けあを する ことで ふたんを せおってきた(126-7)。

ぶらくかいほう うんどうを ひきついでいる(128-133)。
  1. かんがえかた
  2. ほうほう
  3. かちとった けんり

そして、 わるい ところを ひはんする。そして、 うんどうの ひはんへ すすむ。

ひびの せいかつの なかで、 さべつに はんたいする じっせんを する。

じこきょういくうんどうで えた ちしきを、 にちじょうせいかつで じっせんして、 しゃかいを かえる ことで、 しゅたいせい・けいせいに つながる(139)。

こみゅにてぃの うち だけ でなく そととも かんけいを つくる。

ひはんする だけでなく、 ひ・ぶらくみんの はなしを きいたり、たすけあう かんけいを つくる(143)。

さん 女性であることー被差別部落女性の聞き取りから

ぶらく・じょせいは じょせいで ある ことで、 どのような たちばを もつ ことに なるのか? じぶんの たいけんを じょせいさべつだとは かんがえずに、 しゅたいけいせいが さまたげられる。

ぶらくかいほううんどうに おける せいべつの ありかた。

ぶらくかいほううんどうの なかで じょせいさべつが おきている。

  • 意思決定過程(いし・けってい・かてい)からの はいじょを うけた。
  • うんどうに さんかする ことを はんたいする おっととの たたかいが ある(167)。
  • ぶらく・じょせいが うんどうに さんかすると、 だんせいが さんかする ばあいと ちがって こみゅにてぃ から せめられる(168)。

ぶらくじょせいが じょせいさべつを うけいれてしまっている、と ぶらくじょせいが してきする。
ぶらくじょせいが ちいきかつどうや しきじきょういくを になっていると じかくして、うんどうの なかで しゅたいせいけいせいを めざす。
しごと、かじ、うんどうの さんじゅうの やくわりを になう ことが じょせいの ぶらくかいほううんどうと みなされて、 さんじゅうの やくわりを かえようと しない。

ぶらくじょせいにも じょせいさべつが あると わからない りゆう。
  1. りろんは だんせい、 せいかつの じっせんは じょせい という やくわりぶんたんの かんがえかた。
  2. はたらいて かぞくを ささえてきた ので、 はたらくことを もとめる ひ・ぶらく ふぇみにずむの はなしと あわなく、しごとでの じょせいさべつを ぶらくさべつと かんがえていた。
  3. ぶらく・じょせいも じょせいさべつの かんがえかたを うけいれていた。
  4. しごと、かじと こそだて、うんどうの さんじゅうの やくわりを になう ことを とうぜんと かんがえる。だから、 それぞれの やくわりの あいだの かっとうが おこる(165)。
  5. かぞくに かかわらない だんせいの はいぐうしゃを、 ぶらくさべつの けっかとして あきらめて ぶらく・じょせいは ゆるす(167)。
かぞくの なかの せいべつの ありかた。

けっこんの あとの くろう、とくに おっととの ふびょうどうは うんめいとして かたられるが、 じょせいさべつとして かたられない(173-8)。
りゆうは よっつ。

  1. うんどうで ひょうかされる ぶらく・だんせいの かぞくの なかでの さべつは、こみゅにてぃで いいにくい(180-1)。
  2. ぶらくさべつの けっかと かんがえられる ことで じょせいさべつが ゆるされる(182) 。
  3. ほかの こみゅにてぃの ありかたを しらない(182)。
  4. かぞくを だいじに かんがえる かんがえかたを もっている。
ぶらく・じょせいの なみかぜを たてたくない という おもいが ある。

1920ねんだい から 1940ねん だい うまれは、 じょせいさべつを よいと かんがえる ことが あたりまえとして そだてられてきたと かたり、
1960ねんだい から 1970ねんだい うまれは、だんじょの けっていてきな ちがい として かんがえる。
ぶらくかいほううんどうの りろんが ふじゅうぶんなので ぶらく・じょせいが じょせいかいほうを となえられなかった(188)。

うまれさられた かぞく での せいべつの ありかた。
  1. ははが はたらくばかりで くろうしていた。
  2. ははが けいざいてきに じりつする ためにと しごとを おしえてくれた。
  3. ははを せめる きもち。
  4. うんどうに とりくむ ちちを そんけいしている。
  5. かぞくを りふじんに あつかう ちちに おこるが、 ぶらくさべつが げんいんだったと なっとくする。

じょせいさべつの けいけんは、きょうゆうされず、 からだの いたみに なる。

けっこん

けっこんに おける ぶらくさべつを さける ために ぶらく・じょせいは ぶらく・だんせいと けっこん する ことが おおい。
【こめんと】けっこんせいどが いせい かんけい だけに げんてい されていた ため。
1950ねんだい いぜんの ぶらく・じょせいは、 りこんの あとの こんなんを かんがえながら、 けっこん せいかつを つづけないと いけなかった ことを ひていてきに かたる ことが おおい。
けっこんに よって、 ぶらく・じょせいは べつの ぶらく こみゅにてぃに いどうする ことが おおい(199-)。じょせいが いどうして、 だんせいは もらう という けいしきを とる(208)。
けっこんに よって、 ひ・ぶらくに いどうした ため、ぶらく・じょせいが ぶらくみんである ことを かくさなければ いけない ことが おおく、 しゅたいせいけいせいの ための きょうゆうが むずかしい。
「女性にとって結婚が「家」および共同体への従属であることを語りは示すが、語り手は「部落民であること」が部落女性の位置を決定づけ、「女性であること」が部落差別の様態と程度を部落男性と異なるものにすると見なす。」(214)
けっこんが ぶらくと ひ・ぶらくを つなげると かたる ぶらく・じょせいも いるが、 くまもとは けっこんが むしろ それらの きょうかいせんを つよくして、 こまっている という げんじつを しらない ままに する かのうせいが あると してきする(209)。
ひ・ぶらくの じょせいが ぶらく・だんせいと けっこんすると、 こみゅにてぃの なかで ぶらく・じょせいと かんけいせいが できる ことが おおいが、 ちがいが きょうちょうされる ことも ある(210-2)。
ひ・ぶらくの だんせいと けっこんした ぶらくじょせいは、 とらぶるの げんいんを ぶらくみんである ことだと かんがえられて、 りこんされやすい。

まとめ

ぶらく・じょせいは じぶんの たいけんを なぜ じょせいさべつだと おもわない のか?

  1. ひんこん、ぶらくみん、じょせい である ことで、 けいざいてきに おっとを たよるしか なく、 あきらめる から。
  2. ぶらく こみゅにてぃの せいべつの ありかたを うけいれている から。
  3. たがいに たすけあう ために かぞくを だいじにしようと おもう から(215-6)。
  4. 「じょせいさべつは ぶらくさべつの けっかだ」と いう ぶらくかいほううんどうの かんがえかたを している から。さらに、 その かんがえかたを つくる ぷろせすから ぶらく・じょせいが はいじょされてきた から。
  5. けっこんに おける ぶらくさべつへの ふあん から、 げんじょうの けっこんを つづける ために じょせいさべつを そのままに してしまう から。
  6. かぞくの あいだ、 こみゅにてぃ、 うんどうに おいて ぶらく・じょせいは けあの やくわりを ひきうける から(217)。
  7. ふぇみにずむが ぶらくじょせいを いない ものとして あつかった から。

ぶらく・じょせいが しゅたいせいを けいせいする ときに ひつような ことは なにか?

  1. ぶらく・じょせいを ちゅうしんとした りろんを つくる こと。 ①じぶんが うんどうを になっていると きがつき、 ②だんせいの りろんでは たりないと きがつくと、 ”しゅたいせいけいせいを うながす ぶらくかいほううんどうに おける せいべつの ありかたが しゅたいせいけいせいを さまたげる こと”に きがつき、 かえようと おもう。
  2. さまざまな しゃかいの せいどや きはんを ぶらくじょせいの しゅたいせいけいせいを さまたげる という てんから とらえなおす こと。
  3. いっぽうで しゅたいせいけいせいを うながす ような、 つながりに ある よくあつ てきな ところを なくす こと。
  4. ぶらく・じょせいに とっての じまえの ふぇみにずむを つくる こと。ぶらくかいほううんどうと ふぇみにずむの がったい では なく、 ぶらくじょせいが じまえで つくる ひつようが ある。
  5. さべつの こうさせい(いんたーせくしょなりてぃ)を あきらかにする こと。 これは だいごしょうで くわしく のべる。

よん 被差別部落女性の主体性形成における運動の役割ー部落解放全国婦人/女性集会の資料分析から

ぶらくかいほううんどうを つうじて、 ぶらく・じょせいは どのように しゅたいせいけいせいを めざしたのか? じぶんの そんざい すべてを かけられる うんどうを つくりあげていった。
部落解放全国婦人集会(ぶらく・かいほう・ぜんこく・ふじん・しゅうかい、1956ねん から)(ぜんぷと よぶ)、 のちの 部落解放全国女性集会(ぶらく・かいほう・ぜんこく・じょせい・しゅうかい)(ぜんじょと よぶ)の しりょうを ぶんせきしている。

1950-60ねんだい。 うんどうに かかわり、 ひはんし、 じょせいうんどうから はなれる
  • ぶらくかいほううんどうが、そしきを おおきくする ために、 じょせいを とりこんでいく。

うんどうの とくちょう

  1. じょせいの きょういくと けいもう
  2. じょせいの にちじょうせいかつで もとめている ことを しる こと。
  3. すでに おこなわれていた じょせいの うんどうを あつめて 指導(しどう)する こと(227)。

1960ねんだいに、ぜんぷ(部落解放全国婦人集会(ぶらく・かいほう・ぜんこく・ふじん・しゅうかい))は ぶらくかいほうの だんたい であると はっきりさせる。

さべつの とらえかたの とくちょう

  1. じょせいさべつも ぶらくさべつと おなじ ように、 かいきゅうしはいの もんだいと かんがえられる。
  2. 1950ねんだい から 「にじゅう さんじゅうの さべつ」 という ひょうげんが でてくる。ぶらく、じょせい、ろうどうしゃの さんじゅうの さべつ という こと である(229)。

この ひょうげん(にじゅう さんじゅうの さべつ)で、 ぶらく・じょせいが うんどうの しゅたい である にないてに なる ことが うながされた。
この ひょうげん(にじゅう さんじゅうの さべつ)で、 ぶらくさべつと じょせいさべつに きょうつうする ぶぶんが あると おもう ように なった。 ただし、 はじめは かぞくぐるみで ぶらくかいほううんどうに さんかする よう うながす ために つかわれた。

ぜんぷを しはいする だんせいの じょげんしゃが いっている ように、 ぶらく・じょせいの じょうきょうは、 たんに ぶらくさべつとして しか とらえられない。

  • そしきが じょせいの しゅたいせいけいせいを じゃますることを ぶらく・じょせいが ひはんする。

1951ねんに けんりが なく ひんこんの じょうたいを ぶらくさべつと かんがえ、 その せきにんは ぎょうせいに あると せめる ことで、 せいかつほしょうを もとめる ように なり、 ぶらく・じょせいが さんかする ように なる(232)。
みんなが かいほうへの おなじ おもいを もっていると わかり、 ちからを あわせて かえられると おもうように なる。 そのための はなしあいの ばを もとめた。
うんどうに さんかすることで、 自信(じしん)を もつように なった。
にちじょうせいかつの くるしみに こたえない そしきを ぶらく・じょせいが ひはんする ように なる。ぶらく・じょせいの 意思決定過程(いし・けってい・かてい)からの はいじょに はんたいする など。
ぶらく・じょせいは はなしあいを したい、 そしきは 指導(しどう)したい と たいりつする(235)。
もりた・ますこ(森田益子)は、 1968ねんに ぶらく・じょせいは りろんが よわい という ひはんに たいして、 かつどうの ばを よこせと うったえた。

  • にほん・ははおや・たいかいでは うまく いかない ので、 ぶらくかいほううんどうに さんかする ように なる。

さまざまな じょせい うんどうが あり、 ぜんぷに じょせいうんどうから はいってくる ひとも いた。
ぶらくじょせいの しゅたいせいが うんどうを つうじて けいせいされる ことで、 ぶらくかいほううんどうにも じょせいうんどうにも よい えいきょうが あると のべられていたと くまもとは よみこんでいる。
1960ねんだい には 共闘(きょうとう)が めざされ、 ぶらく いがいの ひととの はなしあいで さべつの ことが より よく わかる。
しかし、 1970ねんだいには にほん・ははおや・たいかいと はなれていく。その りゆうの ひとつ として、 ぶらく・じょせいが にほん・ははおや・たいかいで はつげん させられない などの あつかいを うけた ことが ある(240-3)。(ほかにも ぶらくかいほううんどうの もりあがりなどが かんけいしているが)

1970ねんだい。じょせいさべつを ひはんしながら けんりほしょうを すすめ、 かたりが ふえていく。
  • そしきの じょせいさべつを ひはんする。

もじが つかえる ように なる ための しきじうんどうや、 こどもの きょういくの もんだいを つうじて、 ははやくわりが きょうちょう されながら、 ぶらく・じょせいが うんどうに さんかしていく。
じょせいの かつどうを ぼうがいする かぞくや、 うんどうに おける じょせいさべつを ひはんする。
森田益子(もりた・ますこ)が 1979ねんに やくいんを つとめる まで、 おおくの じょせいが 意思決定過程(いし・けってい・かてい)から はいじょされてきた。
そしきは、 じょせいの かつどうを ひくく ひょうかして、 じょせい じしんの もんだいと いっていた。

  • じょせいの けんりほしょうを もとめる。

にんさんぷ・たいさくや ほいく うんどうに より、 りぷろだくてぃぶ・じゃすてぃす(とくに こどもを うまれさせる けんり、 こどもを あんぜんに そだてる けんりを じつげんさせる こと)を もとめた。 そして、 ひ・ぶらくにも けんりが ひろがった。
はなしあいを つうじて、 ぶらくさべつ という わくぐみで かんがえる ことで、 ようきゅうに つなげる ことで、 じょせいの けんりが あると わかる ように なっていった。
にじゅう さんじゅうの さべつ という かんがえかたに よって、 うんどうと しゅたいせいけいせいの じゅんかんが できる ように なった(255)。

  • こくさいじょせいねん から じょせいうんどうと かかわり、 じょせいの けんり という どうぐを てにいれたが、 ずれも あった。

1975ねんの こくさいじょせいねんと、 ろうどううんどうに とりくむ じょせい との きょうとうが きっかけで、 ぶらくさべつと おもっていた ものを じょせいさべつと かんがえる ように なる。
にじゅう さんじゅうの さべつとの たたかいでは ともに たたかう ことが だいじ(259)。
しかし、 ずれも あった。

  1. ぶらく・じょせいは せいかつから かんがえるが、 じょせいかいほううんどうは りろんを まなぶ。
  2. ぶらく・じょせいは じぶんの たたかいを はじめているが、 じょせいかいほううんどうは できていない。
  3. ぶらく・じょせいに とって むかしからの つながりと、 ぶらくの つながりが だいじ だが、 じょせいかいほううんどうは いまの こじんが だいじ(261)。
  4. ぶらく・じょせいは ぶらく・じょせいの こゆうの もんだいを かんがえるが、 じょせいかいほううんどうは じょせいさべつと ぶらくさべつの たしざんと かんがえてしまう(264)。

こくさいじょせいねん からの せいさくが ちゅうりゅうかいきゅう むけで、 ろうどうしゃかいきゅうに ついて とりくまれていないと ひはんする ように なった。
ぶらく・じょせい としての かいほうを はっきりと いう ように なった。

れきしがくしゃの もろさわ・ようこは ぶらく・じょせいの うんどうを ひょうかしていた じょせいうんどうか であり、 ぶらくさべつ からの せいかつもんだいや、 ぶらくかいほううんどうの じょせいさべつの ことを わかっていた。 しかし、 いまの こじんを ちゅうしんに かんがえていて、 ぶらく・じょせいの じっかんと かいきゅう てきに ずれていた。

  • ぶらくさべつが ゆうせんだ という かたりかたが きまってきた。

1970ねんだい から あさだ・ぜんのすけ(朝田善之助)が、 にじゅうさんじゅうの さべつ では なく、 ぶらくさべつだと いう ように なり、 そのような かたりかたが おおくなる。
かたりの かたの おかげで、 ぶらく・じょせいが じぶんの けいけんを ことばに する ことが できる ように なって いった(272)。
かたりかたが ふえた ことで、 べつの かたりも でてきくる ように なっていった(273)。
【こめんと】 1970ねんだいの べつの かたりに ついて もっと よみたかった。

1980ねん から あと。 じったいちょうさと こくさいてき うんどう。
  • ぶらくかいほううんどうの じょせいさべつへの ひはんが つづく。

意思決定過程(いし・けってい・かてい) からの じょせいの はいじょが より つよくなる(275)。
じったいちょうさと こくさいじんけんきじゅんに よって、 ぎろんする ように なる(277)。
うんどうで かちとった ことに よって、 うんどうが よわまった ことで、 1980 ねんだいに しゅたいの かくりつが もんだいに なる(277)。
なまえが ふじんたいさくぶ から じょせいうんどうぶに かわって、 しゅたいが きょうちょうされた(278)。

  • ぶらく・じょせいに よる じょせい きょうとう
  1. ぶらく・じょせいが じょせい きょうとうで、 けいざいてき じりつが だいじと はっきりと かんがえるように なる。
  2. ぶらく・じょせいが じょせいうんどうに、 ぶらくさべつと たたかった けいけんを いかして こうけんする。
  3. ぶらく・じょせいが じょせいうんどう から ぶらく・じょせいを はいじょする ことを ひはんする ように なる。 男女雇用均等法(だんじょこようきんとうほう)などへの ひはん。
  4. じょせいの いめーじが ことなり、 じょせいきょうとうは むずかしいと かんじるように なる。

  • えんぱわめんと

1985ねんの じょせいさべつ・てっぱい・じょうやくと 1995ねんの ぺきんかいぎ
こくさいてきな うんどうに さんかする ように なる。うんどうの どうぐに なると どうじに、 これまでの うんどうが まちがっていない ことを おしえてくれた。
エンパワメントに よって、 あじあの じょせいと つながり、 せいじさんかが ひつようだと わかった。
きたやま・としの(北山俊乃)に よると エンパワメントとは、 「政策決定の場に参加すること、生活者としてたくましく生きてきた力の存在を発見し育てること、知識を得て社会とつながること、知識により自分の尊厳と出会うこと、奪われたものを奪い返す力をつけること」 である(289)。*1
2000ねんだいの、 ぶらくじょせいに よる ぶらくじょせいの じったい ちょうさ。
じちたいが まいのりてぃ じょせいの してんが ない ことへの ひはんを する(290)。

  • ふくごうさべつ

こくれんで ふくごうさべつが ちゅうもく されていると 2002ねんに うんどうほうしんに かかれる。
ぶらくさべつ とだけ とらえる のでは なく、 ふくごうさべつと とらえる ことで、 さべつの からみあいを きょうちょうして、 ほかの さべつが ないと おもわせない ようにした。
ぶらくかいほううんどう では ふくごうさべつを じょせいさべつの いいかえとして つかっているが、 ぶらく・じょせいは ひとり ひとりの にんげんを かいほうする ために ひつような かんがえかたとして ふくごうさべつ という ことばを つかう(295)。
にじゅうさべつ という ことば だと ふくすう ある ことが きょうちょうされる けれど、 ひとつの けいけん である ことを きょうちょうする のに、 ふくごうさべつ という ことばが べんり だった。

  • ふくごうさべつ という ことばに よる うんどうの ほうこうせい
  1. ふくすうの さべつの からみあいを ぶんせきする ひつようが ある。
  2. まいのりてぃ じょせいと ともに たたかう という あたらしい れんたいを めざす。

ご 国際人権言説とブラック・フェミニズムの「交差性」概念

いんたーせくしょなりてぃや ふくごうさべつ という ことばは ぶらく・じょせいに とって どう つかえるか? まじょりてぃの ふぇみにずむの ひはんと、 こうぞうとして さべつを とらえ、 たいこうじくを つくるのに つかえる。
ただし、 くまもとは 「交差性」と かいているが、 さいとうは ひらがなで かく ので、 いんたーせくしょなりてぃと かく。

こくさい てきに いんたーせくしょなりてぃ という ことばが つかわれる ように なった ながれ。
  • こくれんに よる はんじんしゅしゅぎせかいかいぎ

2000ねんだいに こくれんは いんたーせくしょなりてぃ という ことばを つかうように なる。
2001ねんの 「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連の不寛容に反対する世界会議」(はんじんしゅしゅぎかいぎ)
きんばりー・くれんしょうが いんたーせくしょなりてぃ という ことばを つくった。
【こめんと】いんたーせくしょなりてぃとは、 ことなる しゅうだんの じょせいが おなじ さべつを たしざん てきに うけていると かんがえる のでは なく、それぞれ こゆうの さべつの うけかたを する という かんがえかた である。

はんじんしゅしゅぎかいぎの さんぶんるい(307-8)

  1. ひょうてきと される さべつ。 ちょくせつてきな こうげき。
  2. ふくごう さべつ。 じょせいわく では こくじん だから えらばれず、 こくじんわく では じょせい だから えらばれない という ひがい。
  3. こうぞうてき さべつ。さべつてき こうぞうに よって、 ふりえきが ふえる こと。

ことばを かんがえた くれんしょーの してき(308-9)

  1. ふくみ すぎ。 まいのりてぃ じょせいの けいけんが じょせいの もんだい として のみと かんがえられ、 じんしゅ などが かんけいないと かんがえれる。
  2. ふくまなすぎ。 じんしゅの もんだいを かんがえる ときに、 じょせいの けいけんが ふくまれない。
  3. きんきゅうの もの だけ でなく、 こうぞうを かんがえる ことが だいじ である。
  • こくれんの うごき

こくれんは それまで じんけんもんだいと じょせいもんだいを わけて たいおうしてきた。
1990ねんだいは、 じぇんだーしゅりゅうかに よって、 すべての かつどうで せいべつを かんがえる ように してきた。
2000ねんには、 それぞれの くにに まいのりてぃの してんからの じょせいさべつに ついて ほうこくを もとめた。
2001ねんの かいぎでの ていげんの くまもとの まとめ。

女性の経験および社会的、経済的、政治的位置の違いに関心を払わず「すべての女性」とひとくくりにすることは、男女二元論を前提とした男女平等を求める主張になりかねない。現実社会での女性の経験と位置は個別具体的である。それらはジェンダーのみで決定されるのではなく、人種、言語、民族、文化、宗教、障害、または社会的経済的階級等との相互作用によって決定される。(311)

2006ねんの じんけんりじかい では、 いんたーせくしょなりてぃが きょうちょうされる。

  • じぇんだーしゅりゅうかの もんだい

せんじゅうみんじょせいは、 じぇんだーしゅりゅうかに よって、 ぎゃくさつなどの もんだいを はなさない ように いわれる(314)。
2001ねんの はんじんしゅしゅぎせかいかいぎでも、 まいのりてぃ じょせいの けいけんは ちゅうしんから はいじょされた(316)。
「一人の人間がする被抑圧経験を「複数の」カテゴリーに分割して「加算」するアプローチは、「交差性」概念が本来めざす構造分析を不可能にするだけでなく社会運動の連帯を困難にすることをNGO間連絡会議は明らかにした。」(316)
いんたーせくしょなりてぃも じぇんだーしゅりゅうかの いいかえに すぎなく なる ときが ある ので、 もんだいが ある。

ぶらっく・ふぇみにずむ が いんたーせくしょなりてぃ という ことばを つくった。

1980ねんだい いこう、 じょせいがくは だんせいちゅうしんしゅぎを ひはんして、 ひ・はくじんの じょせいや ひ・せいようの じょせいは じょせいがくの はくじんちゅうしんしゅぎを ひはんした。

  • ぶらっく・ふぇみにずむの ながれ。

ぱとりしあ・ひる・こりんずに よれば、 いんたーせくしょなりてぃは、 ひはんてきな じっせんと しゃかいこうぞうを きょうちょうしていた(318)。
1970ねんだいには ぶらっく・ふぇみにずむが、 1980ねんだいには くりてぃかる・れいす・ふぇみにずむが はっきりと あらわれる。
1960ねんだい から、 にじゅうの 危機(きき) などの ことばが いろいろと つかわれていく。
1980ねんだいに 「じんしゅ、かいきゅう、じぇんだー」 けんきゅうが でてくる。

  • たしざん てきな ぶんせきは だめ。

ちがい、 たようせい という ことばや たしざん てきな ぶんせき だと、 はくじん じょせいを きはんとして、 そこからの いつだつと かんがえられてしまう。
たしざん では きはんや さべつに へんかが ないと かんがえられ、さべつを ひかく しだして、 ひがいの ていどの おおきさくらべに なってしまう。
あふりかん・あめりかん じょせいの けいけんは、 ほんしつや きほん では ないと かんがえられてしまう(321)。
ほんしつや きほんと せいようの はくじん、ちゅうさんかいきゅうの きりすときょうの じょせいの けいけんを かんがえて、よくあつを べつべつと かんがえてしまっている。

  • さべつは こうぞうだ。

いんたーせくしょなりてぃ という ことばを かんがえた くれんしょうは、 ほうりつに あふりかんあめりかんの じょせいを あつかう わくぐみが ない ことを ひはんしている。
こりんずの 「けつごうする よくあつ」 という ことばは、 おおきい こうぞうの はなしに つかい、 いんたーせくしょなりてぃは その こうぞうを ひとりが うける ことの はなしに つかう。
1980ねんだい から れきしけんきゅうでも じょせいどれいの けんきゅうが ふえる。

じょせい という あいでんてぃてぃを かんがえなおすために、 そして さべつの こうかを ぶんせきする ために いんたーせくしょなりてぃ という ことばが ぶらっく・ふぇみにずむ から こくれんに どうにゅうされた。

  • ぶらっく・ふぇみにずむと しゅたいせいけいせい

こりんずは ふへんを といなおし、 べる・ふっくすは おるたなてぃぶを つくる しゅうへんを きょうちょうする。
いんたーせくしょなりてぃ では、 あふりかん・あめりかん じょせいの あいでんてぃてぃが みんな おなじ である かのように なってしまう という ひはんが ある。
しゅたいせいが ぶらっく・ふぇみにずむに とって だいじ である。
べる・ふっくすは じぶんで きめる ことを だいじに している。
はくじんじょせいの じこにんしきの ために あふりかん・あめりかんの じょせいが たしゃとして かんがえられると しゅたいせいが ひていされるから、 あふりかん・あめりかんの じょせいが じぶんで じぶんを きめる ことが だいじに なってくる。
ぶらっく・ふぇみにずむに とっての ちゅうしんてき かだいは どれいせいの けいけん であり、その けいけんから さべつを かんがえて、 はくじん・ふぇみにずむが ちゅうしんに いる ことを ひはんする ことを いんたーせくしょなりてぃと よぶ。

ぶらく・じょせいの けいけんを ふくごうさべつ という ことばで かんがえる。
  • ふくごうさべつ としての ぶらくさべつを かんがえる ことが かだい。

1980ねんだい から しゃかいがくで ぶらくじょせいの けいけんが ぶんせきされてきた。

  1. ぶらくさべつの けっかとして ぶらく こみゅにてぃの じぇんだーを ろんじる。
  2. 2000ねんだいには けっこん かんけいで ふくごうさべつという ことばを つかっている。
  3. ぶらく うんどうへの ひはんは あるが、 じょせいうんどう への ひはんが ない。

れきしけんきゅうでは もろさわ・ようこが ぶらくうんどうも じょせいさべつも ひはんしていた*2
こばやし・はつえ(小林初枝)は ぶらく・じょせい として、 じょせいさべつを ぶらく・じょせいが ささえてきている ところも あると かんがえる。そのなかで、 にちじょうせいかつが さべつ だから、 さべつ こうぞうが わからないと いっている(335-6)*3
ただ・えみこ(多田恵美子)は ひ・ぶらくの じょせい として、 ぶらくじょせい から うたを ききとりながら、みずからの たちいちに むきあいつづけている*4

  • かていないぼうりょくに おける せいじてき いんたーせくしょなりてぃ

ふくおか・ともみ(福岡ともみ)は かていないぼうりょくが もんだいと かんがえられずに、 ぶらくさべつの けっか として かんがえる ことを ひはんして、 ぶらくかいほううんどうが ほもそーしゃるな しゅうだんに なっていると せつめいした*5
けんりを しゅちょうすると、 こみゅにてぃ から うらぎりもの あつかいされて、 こみゅにてぃの そと からは その こみゅにてぃを さべつする りゆうに つかわれる。とくに かていないぼうりょくの ステレオタイプが けんりの しゅちょうを じゃまする(339)。

  • ぶらく・じょせいが ふくごうさべつ という ことばを つかう。

1970ねんだい から、 ぶらくじょせいの ききがきや しきじがっきゅうの ぶんしょうが こうかいされている。
1920ねんだいに 「二重三重の差別と圧迫」、1950ねんだいに 「二重三重の差別圧迫」、 1990ねんだい こうはんに 「複合差別」という ことばが つかわれた。
ちょしゃの くまもと・りさ(熊本理抄)が うえの・ちづこ(上野千鶴子)から ことばを かりて、 ふくごうさべつ という ことばを えらんで ほんやくに つかった ことが きっかけである(345)。
はんさべつこくさいうんどう(IMADR)や 「マイノリティ女性に対する複合ネットワーク」が ふくごうさべつ という ことばを つかって、さべつを こうぞうで とらえて、 まじょりてぃじょせいに よる まいのりてぃじょせいの はいじょを ひはんした(347-8)。
くまもと・りさは いんたーせくしょなりてぃと ふくごうさべつを とくに くべつしないで つかってしまった。
ふくごうさべつ という ことばで、ぶらくさべつと じょせいさべつの どっちかと して かたる ことは へっていった(349)。

  • ふくごうさべつ という ことばの もんだい
  1. ふくすうの さべつと ふくごうさべつが くべつ されていなかった。つまり、 たんに ふくすうの さべつが たしざん みたいに くわわると かんがえる ことの ひはんを ふくごうさべつ という ことばでは あきらかに できなかった。
  2. ふくごうさべつ という ことばに よって、 ふぇみにずむ ひはんが おこなわれなかった。

うえの・ちづこ(上野千鶴子)は、 1996ねんに ふくごうさべつろんに ついて かいて、 くまもと・りさが それを かりて ほんやくに つかった。しかし、うえのの つかいかたの もんだいてんを くまもと じしんが ひはんしてこなかった*6
うえの・ちづこ(上野千鶴子)は、 ふくすうの さべつが ふくごうして、 どくじの さべつに なる ことを きょうちょうできず、 たんに さべつを ならべる だけに なってしまっていた。
うえの・ちづこ(上野千鶴子)は、 ぶらくじょせいの にじゅうさんじゅうの さべつ という ことばや、 ぎろん などを とりあげず、 ひとりで かんがえてしまった。
うえの・ちづこ(上野千鶴子)は、 にほんじん ちゅうさんかいきゅう ふぇみにずむの かいきゅうさべつと みんぞくさべつを ぎろんせず、 ひはんも しなかった(357)。

  • 1990ねんだいの にほんで、 せいべつのみに ちゅうもくする ふぇみにずむへの ひはんてき ぎろんが あった。

アイヌ民族女性として*7

「マジョリティとしてアイヌ民族を抑圧していることには触れず、マイノリティ・コミュニティ内部の性差別を問題にする日本人女性に対してチカップは、日本に住むマジョリティとしての責任を果たし、アイヌ民族先住民族と位置づけるという課題の共有がなければ連帯はできないとしている(チカップ 1994b: 48, 52)。」(361)

部落女性として*8

「高橋は、「女性の人権」「女性差別」を語るフェミニズムが、マイノリティ・コミュニティ内部の女性差別を指摘はするが、マジョリティとして振るう自身のヘゲモニーを問わないことを批判している。こうしたマイノリティからの批判に学ばないなら、「複合差別」という日本語概念を使ったところで抑圧を招きかねない。」(362-3)

在日朝鮮人女性として。

「「複合差別」概念が日本に流通する前から在日朝鮮人女性は、他者化ー普遍化、支配、抑圧、権力関係、主体性の否定と言った視点からフェミニズムを指摘していた。」(363、もとの ぶんしょうの まま いんようした)

  • ぶらくじょせいの かいほうしそうと ふぇみにずむの あいだに きょりが ある りゆう
  1. しゅりゅうの ふぇみにずむも じょせいしも、 ぶらくじょせいを いないものとして あつかうので、 ぶらくじょせいが じょせいとして しゅたいせいけいせいを めざし、じぶんの けいけんを じょせいさべつとして かんがえにくい。
  2. ぶらくかいほううんどうが ちがいを めだたせず、 おなじ ことを きょうちょうしてきた ので、 しゅりゅうの ふぇみにずむを ひはんする ために つかう たいこうじくが はっきりと きまらない。 しょくぎょうや がくれきも かかわるが、 されだけではない ぶらくとは なにかを かんがえる ひつようがある。
  3. ぶらくさべつとは なにかを はっきりと きめる ための ことばが まだ たりない。
  4. しゃかいがくの けんきゅうは あるが、 れきしけんきゅうや ほうがく(法学) からの ぎろんが たりない。
にほんに おける ふくごうさべつ という ことばの もんだいてん。
  1. ぶらくじょせいと ふぇみにずむが きょうりょく できなかった。
  2. たんに さべつが ふくすう ある ことや たしざんてきな ぶんせきに なって、 まいのりてぃ じょせいに からみあった こゆうの さべつが ある ことを きょうちょうできなかった。
  3. れんたい ばかりが きょうちょうされて、 ふぇみにずむによる よくあつを ひはんを できなかった。
  4. さべつを こうぞうとして かんがえられていなかった。
  5. たいこうじくが はっきりせず、 ひがいしゃである ことばかりが きょうちょうされてしまった。
  6. りろんと じっせんが れんけいできていなかった。 ぶらくじょせいが じっせん として ろうどうと きょういくを あげているが、 りろん けんきゅうは ぶらくかいほううんどうの じょせいさべつと けっこんの もんだい ばかりを とりあげてきた。

ろく 被差別部落女性の主体性形成における「複合差別」概念の有用性と課題

これまでの ぎろんの ながれは しょうりゃくする。

まとめ
  1. うんどうの なかで しゅたいせいが けいせいされ、 その しゅたいせいで うんどうが すすむ。うんどうに さんかする ことで、 ひはんを して、 うんどうや しゃかいを かえられる ように なった。 ただし、 うんどうに さんかする ことで、 けあ やくわりを ひきうけて、 じょせいさべつが かわらず、しゅたいせいけいせいが じゃまされる ことも ある。これを わけるのは 「従属的主体性の変容を部落女性が自覚する」か しないか である(382)。

【こめんと】「従属的主体性の変容を部落女性が自覚する」とは なにか?

  1. じゅうぞくを けいけんする ことで、 ていこうに うつる ことが できる。 その ていこうも あらたな じゅうぞくに なるが、 つぎなる ていこうに つながる。 ぶらくかいほううんどうでは、 このように なっていったが、 じょせいかいほううんどうでは このように ならなかった。
  2. ふくごうさべつ という かんがえかたを つかわないと、 ぶらくかいほううんどうの ように、いっぽうで ぶらくじょせいに とっての しゅたいせいけいせいの ばめんと なるが、 しゅたいせいせいの じゃまをする ことにも なる。たしざんでは むり。なぜなら しゅたいは ひとり だから。
  3. ことばや かんがえかたや ちしきが しゅたいせいけいせいに だいじである。 じこきょういくうんどうが だいじ。ふくごうさべつ という ことばで、 ぶらくかいほううんどうと ふぇみにずむに よる よくあつを ひはんする ひつようが ある。すでに おこなわれている ぶらくじょせいの うんどうを ふくごうさべつ という ことばで おしすすめる ことが できる。
  4. こうぞうに ちゅういした さべつに ついての かんがえかたを つくる ひつようが ある。よくあつの からみあいを ぶらくじょせいの 「二重三重の差別と圧迫」という てんから とらえなおす ひつようが ある(388-9)。
けつろん
とい①。

ぶらく じょせいは どのように、 しゅたいせいけいせいをして、 へんかを ひきおこす ひとに なるか?

こたえ①。
  • 自己教育運動(じこ・きょういく・うんどう)や、 ぶらくかいほううんどうを つうじて、ぼうがい されながらも、じぶんが しゃかいこうぞうの なかで どのような たちばに あるのかを じかくして、 むかしの ひとたちや いまの ひとたち との つながりを いしきする ことで、 じぶんで きめて、 へんかを ひきおこせる ように なる。
とい②。

ぶらく じょせいは、どのように うんどう する べきか?

こたえ②。
  • 「部落女性の思想や経験により、フェミニズムの諸概念や諸定義を再構築していくとともに、部落解放運動が掲げてきた差別論と主体性論を問い直していくことが必要であり、「複合差別」概念をその闘いに導入する」(392)べきである。

「部落女性の経験は、女性というだけでは記述できない、部落民というだけでも記述できない、つまり女性というだけでない、部落民というだけでない、という否定形を重ねることで、その人が諸要素のアマルガムとして存在することを理解する。これが「複合差別」概念である。その「複合差別」概念で差別の絡み合いを分析しようとすると、個別差別という賛同したくない前提を受け入れる矛盾を犯すことになり、一人の人間丸ごとを生身で腑分けすることにもなりかねない。この限界を克服するために求められることは、日々の他者化、周縁化、不在化の言説への対抗的な言説を生み出していくことである。」(391)

けんとう

1. おもしろかった。
とくに ごが いちばん おもしろかった。 にほんの これまでの ふぇみにずむの しゅりゅうを ひはんしている ところが とても おもしろかった。
ぶらく・じょせいの ことばを ききとって、かんがえている ところが すてき だった。
ぶらく・じょせいが ぐたいてきに どのように うんどうに かかわってきたかを ぐたいれいを だしながら、 それでいて しっかりと まとめていて よみやすかった。
ぶらく・じょせいの うんどうに ついて もっと しりたいと おもう ぐらいに たのしめた。
2. じぶんの けんきゅうに やくだつ。
せいべつにげんろんという ことばを つかっていた ぶぶんが あるので、 そこは ぶんせきの しりょうに なる。
にほん での さべつの ふくざつな ありかたを けんきゅうしている ので、 おてほんと なる。
3. まじめな ところが よい ところ である。
しなければ いけないと いっている ことを しっかりと やっており、 やっている ことは しっかりと やらばねければ いけないと いっている。 たとえば、ぶらく・じょせいの けいけんから かんがえる ひつようが あると いいながら、 しっかりと ぶらく・じょせいの けいけんを ききとっている。また、 ぶらく・じょせいが どのように うんどうを するかを しめす ひつようが あると いいながら、 しっかりと ふくごうさべつ という ことばを つかって ふぇみにずむと ぶらくかいほううんどうを ひはんするべきだと しめしている。
4. ながれが ゆっくりな ところが すこし わるい ところ である。また、 しょうがいや せくしゅありてぃの さべつに ついては かけていない ところは わるい。
ながれが ゆっくりで、 ながれを ものがたりに していない ので、 よんでいくのが たいへん だった。
ぎゃくに ながれが ゆっくり である ことは、 ていねいに かんがえている こと なので よい ところ でもある。
また、しょうがいしゃや せくしゅありてぃに かんする まいのりてぃは ぶらく・じょせいの なかにも いるにも かかわらず、 その けいけんは あまり あきらかに なっていない ところは わるい。ふくごうさべつと いう ときに、けんじょうで しすへてろの ぶらくじょせいが うける たんじゅんな さべつの もんだいに なってしまっていないか、 さらに しらべる ひつようが ある だろう。しかし、 それを やる べきは、 この ほんを かいた くまもと ではなく、 わたくし さいとうの かだいである きがする。
5. しゅりゅうの ふぇみにずむへの ひはんを ちゃんと している ところが ほかの ぶんけんには ない とくちょう である。
くまもと・りさの ほかの ろんぶん では、 うえの・ちずこの ぎろんを そこまで ひはんしていなかったが、 こんかいの ほんでは きっちりと ひはんしていて、 とても よかった。
いんたびゅーで つかわれた ふくおかの ほうげんを そのまま かいているのは めずらしい。とても よい。ふくおかの ほうげんを べんきょうしたいと おもった。

こじんてきに きょうみぶかいと おもった ぶぶん

「自分がいないところで自分を名指し意味づけし忌避するという行為を、他者が日常的に行っている現実を突きつけられる。」(39)
「右に引用したF10さんは職場で、字が読めないから教えてほしいと頼むことを「ちょっとしたこと」と自分に言い聞かせながら、その勇気がなかった、言えなくて悔しかった、だから職場を辞めたと語る。」(47)
「F17さんは、差別を受ける関係性そのものを避けていたため、好きな人との別離に伴う悲しみも経験しなかったと語る。傷つかないためのあらかじめの自己防衛は人間の感情さえ奪う。主体性は関係性のなかで成立する。その関係性を自ら回避していくのである。主体性を否定し人間性を損傷する差別の実態を指摘できる。」(53)→いっている ことは ただしい のに、 この かきかたは わるい。 にんげんなら すきな ひとが できる はず という おもいこみが かんじられる。 それぞれの ひとが、 れんあいしたかったのに、 と かたっていないと このような ことは いえない。ただし、 したかった という きもちは さべつに よって なくされる ことも おおい ことは じゅうようである。 さべつが なくても ない ことは ある。 ここらへんは ていねいに かんがえる ひつようが ある。
「差別の存在は、主体性形成を阻害し自己実現の欲求を否定する。それが自責と自己否定をもたらす。その結果、関係性構築を回避する。つまり関係性構築のために必要な自らの主体形成を差別によって阻害される。」(56)
「選挙の際には、厚めの紙に候補者の名前を書いてもらい、線に沿って線香で穴を開けたものを持っていき、それをなぞった。字を知らないことの歯がゆさが生み出した知恵だった。」(107)
「部落女性の主体性が遂行的に形成されることを確認できる。」(146)
「農業、失対、土木、運送、行商、廃品回収、炭鉱といった重労働で長時間労働の仕事に従事した。」(191)
「差別は自分の責任ではないという差別認識を獲得した部落女性は、生育家族の女性差別を部落差別の結果だとして納得することで、差別する者への理解と差別する者との関係性構築の糸口を探ろうとしていると言えるだろう。」(197)
「まず組織を整備すると共に、主体性を確立しなければならない」(226
「一九六五年の同対審答申と一九六九年の同和対策事業特別措置法を受けて、一九七〇年代の部落解放運動はこれらを理論的かつ政策的根拠とした行政闘争を活発化させていく。」(245)
「このように、部落差別認識の優先を言表する語りの型に沿った語りと部落差別解決を優先する運動への参与の過程で部落女性の主体性が形成され、それが次の語りと運動を形成していく主体性形成の遂行性(パフォーマティヴィティ、performativity)を確認できる。」(274)
「1981年の全婦資料に興味深い記述がある。「部落差別に女性差別が拍車をかえ」、制度や政策に「ワクからしめ出されている現実」を部落女性の実態と表現する。部落女性が経験するのは、いくつもの差別を足し算した合計のようなものとしてあるのではなく、一つの社会制度であることを実感していたことを表す記述である。こうした実感を表現するには「二重差別」概念では不十分だったのだろう。」(295)
「この時期に重要なのは、女性であるがゆえに直面する苦悩を解決するために、女性視点で独自の要求運動を展開していく点である。つまり運動への関与の過程で遂行的に(パフォーマティヴに、performatively)主体性が形成され、それが次には女性視点の新たな運動を形成していくという、主体性形成と運動との往還を確認できる。」(298-9)
「部落差別の認識と部落民としての社会的立場の自覚を徹底する朝田の理論は、分割され得ない全的な存在としての部落民を、自己という一つの存在に引き受けることを可能にした。これが部落女性の闘いの原点である。」(300)
「第一回世界女性会議に参加したボリビアの労働運動のリーダー、ドミティーラ・バリオス・デ・チュンガラ(Domitila Barrios de Chungara)に対し、男に操られ政治のことだけ考えて女の問題を無視している、虐殺のことは忘れて女たちのことを話すべき、そう言ったのは、世界的に著名なフェミニスト、ベティ・フリーダン(Betty Fridan)だった。フリーダンに対してバリオスは、女たちの間に共通点もなければ話し合うべき平等もないと返したという(バリオス/ヴィーゼル 1984: 294-300)。」*9(314)
アフリカン・アメリカン女性は、アフリカン・アメリカン男性と「同じ」人種差別を経験し「さらに」女性差別を経験する、のではない。白人女性と「同じ」性差別を経験し「さらに」人種差別を経験する、のでもない。アフリカン・アメリカン女性の経験はそれ自体として分析される必要がある。」(322)
「部落女性は「差別」を次のような経験として語る。(1)人間として認められない、侮辱されるといった非人間化と侮辱の行為、(2)部落民であることに対する否定的発言、(3)部落民であることを理由とする忌避と排除、(4)部落民であることによる結婚や職業選択の自由の剥奪、(5)出生地や居住地の秘匿、(6)女性であることによる人格の否定と教育権の剥奪、(7)性別分業の負担、(8)運動体内、家庭内の女性差別と男女間の不平等、(9)非識字、不就学、貧困、リプロダクティブ・ヘルスの侵害、労働市場における搾取と排除である。部落民であり、女性であり、不就学低学歴であり、低賃金不安定非熟練労働者である、といったいくつもの条件の絡み合いのなかに逃れがたく位置づけられている自身の社会的位置、それを成立させる社会構造、そしてその社会的位置と社会構造が引き起こす日常の経験、それらを「差別」と彼女らは語る。」(345)
「部落女性は生活のなかから生きるために必要な声を挙げる権利を自分たちで獲得してきた。それらをフェミニズムと呼ばずに周縁化する政治学をこそ問う必要がある。」(357)
「「男性」と二項対立的に「女性」をひとくくりに配置し、「『女性』というカテゴリーの同一主義的(identitarian)で普遍主義的な理解」(米山 2003: 64-5)を前提にしたフェミニズムへの批判が、これらフェミニズムによって展開された。」(358)米山リサ(よねやま・りさ), 2003, 「批判的フェミニズムの系譜からみる日本占領――日本人女性のメディア表象と『解放とリハビリ』の米国神話」『思想』955: 60-84.
「主体性形成の遂行性(パフォーマティヴィティ、performativity)」378

さいごに

この ほんは 日本のフェミニズムに関心がある人なら、持っておいた方が絶対にいい著作である。
この ほんの いいところは、 こまかい きじゅつに ある から、 むずかしめの かんじかなまじりの にほんごの ぶんしょうが よめて ほんが かえる ひとは この レジュメで まんぞくしては いけない。
すぐに かいたい ひとは したの ぺーじ から。
www.kinokuniya.co.jp

*1:岸田章子(きしだ・あきこ)・北山俊乃(きたやま・としの)・塚本和子(つかもと・かずこ), 1997, 「女性の力集めて座談会 No. 1 エンパワメントーー自分の力に気づき育てる」『解放新聞』1830(1997.7.28): 4-5.

*2:もろさわ・ようこ, 1974, 『おんな・部落・沖縄――女性史をとおして』未来社(みらいしゃ).

*3:小林初枝(こばやし・はつえ), 1984, 『どこへまことを照らすやら――差別の中の女たち』筑摩書房(ちくましょうぼう).

*4:多田恵美子(ただ・えみこ), 2009, 『被差別部落の聴き書き――女たちの証言(上)』. ほか

*5:福岡ともみ(ふくおか・ともみ), 2010, 「フェミニストカウンセリングの現場④ CRグループーー部落解放運動に関わってきた女性たちの事例から」井上摩耶子(いのうえ・まやこ)編『フェミニストカウンセリングの実践』世界思想社(せかいしそうしゃ), 245-62.

*6:上野千鶴子(うえの・ちづこ), 1996, 「複合差別論」井上俊(いのうえ・しゅん)・上野千鶴子(うえの・ちづこ)・大澤真幸(おおさわ・まさち)・見田宗助(みた・そうすけ)・吉見俊哉(よしみ・しゅんや)編『岩波講座 現代社会学 第15巻 差別と共生の社会学岩波書店(いわなみしょてん), 203-32.

*7:チカップ美恵子(ちかっぷ・えみこ), 1994b, 「先住民族として女性として」マイノリティ・先住民族女性のつどいインおおさか実行委員会『響けこの声世界に――日本の被差別女性と北京女性会議』解放出版社(かいほうしゅっぱんしゃ), 44-53.

*8:高橋くら子(たかはし・くらこ), 1994, 「部落差別体験を通してフェミニストに伝えたい」『くらしと教育をつなぐWe』3(5): 19-25.

*9:さんこうぶんけんに みつからない