らかん、 むいしき の けいせいぶつ げ、 XIV(14)
ファルスのシニフィアンス
XIV 欲望と享楽 (p. 3-30)
さん ぺーじ
じょせい の かめん
あんどれ・じっど の とーさく
じがりそー と とーさく
じゃん・じゅね の ばるこにー
きげき と ふぁるす
3-2
ふろいと わ 「欲望と呼ばれる特権的な要素を前面に出しています」
3-3
ふろいと まで わ、 よくぼー お しゅくげん、 とーぎょ する こと が もんだい だった。
ぶんせき で わ、 よくぼー の さまざまな こーか お もんだい に する
よん ぺーじ
4-2
「シニフィアンに対する欲望の関係」
「欲望がシニフィアンによって本質的に、壊乱されているsubversionとは言わないまでも、下へと追いやられているsubductionということです」
4-3
よくぼー と きょーらく お くべつ する べき。
4-4
「シニフィアンにおける欲望の迂回あるいは疎外」
「人間主体が、世界のなかで自分に課されている諸条件そのものを、あたかも自分のためにできていたかのように我がものとすることができ、またそれらの条件に満足する、という事実」 が なに お いみしている か
4-5
「喜劇の本性」
ご ぺーじ
5-1
「欲望は、シニフィアン連鎖とのある関係のなかに据えられており、人間主体のたどる変遷のなかでまず要求として措定され、提示されます。」
「フロイトにおける欲求不満〔フリュストラシオン〕とは「Versagung」、つまり拒絶refus、より正確には、前言の翻しdébitです。」
5-2
くらいん しゅぎ
しんけいしょー しゃ わ「サディズムー口唇的満足」 に みちびかれる。
「この満足が幻想のうちで生じていること、そしてただちに、幻想された満足への報復のうちで生じている」
5-3
くらいん しゅぎ: かむ とゆー こーげきてき な よっきゅー
らかん:かみつく こと わ げんそー であり、 「お返しに噛みつかれるという恐れこそが」 もんだい である。
5-4
げんそー の せつめい
「主体間の想像的関係に基づいた何らかの演繹」 で わ だめ
むいしきてきげんそー わ しにふぃあん で の しょじょーけん で こーぞーかされている
「無意識的幻想を、想像力の働きという形態の創造活動から妥当なやり方で区別する」(6)
6
6-2
始原的対象は、「等価性を約束されたさまざまな代替項のいくつかの系列が描き出されています。」(6)
6-3
「もっとも原初的な対象、つまり母性的対象との関係から生じてくるものは、ただちにさまざまな記号に基いて機能するようになります。」
ふろいと の こども が ぶたれる から
交換貨幣のように こーせいされた きごー と、 「それによって価値の創造が確かなものとなるような記号」 (げんじつてき な なにか お きごー に する 「弾丸」)に わけられる
6-4
うつため の もの として の こーせいする きごー
しゅたい の くべつ、 よーきゅー の しょーにん の かんけい
らいばる お けしさる しゅだん→しゅたい が しょーにん、 ひしょーにん(「無へと投げ出されたりする」(7)) の ありえる なにか である と する とき の よりどころ→
したがって、主体は、あとになって与えられることのあり得るすべてのものが書き込まれるこ
とのできる表面として、 あるいはこう言ってよければ、 どんな贈年でも可能にするょうな、 白紙で振り出された小
切手のようなものとして、姿を現します。そして、どんな贈与も可能なのですから、何が与えられることができ何が
できないのかは問題ではありません。なぜなら、問題なのは愛の関係だからです。これについて私が申し上げている
のは、この関係は、主体が本質的に自分の持っていないものを与えることから成り立っている、ということです。愛
の次元への導入において起こり得ることはすべて、主体にとって根本的な記号、すなわち、主体がそれによって消し
去られたりそれ自体として承認されたりするような記号を前提としています
7
7-2
ジョーンズ の だんこんき
じょせい の そーき の せくしゅありてぃ の はったつ
7-3
ますからーど として の じょせいせい
7-4
「これは、ある特定の症例についての分析です――女性性一般の機能の分析ではありません――ジョアン・リヴィエールはこれを、女性性へ到達するにあたってそのいずれもが可能な経路であるような、いくつかに枝分かれした道との関連で位置づけています。」
8
8-1
だんせい てき やくわり お ひきうけていた(どくりつ、じゆーな しょくぎょーせいかつ) のに、 あらゆる めん で(いえ、はいぐーしゃ と の かんけい) じょせい てき やくわり お ひきうけていた。せいてきな すいじゅん でも だんせい と の かんけい わ、 きょーらく とゆー てん に かんして まんぞく していた。
「あらゆる社会状態と同じく我々の社会状態においても必ず女性が担っている事柄に属する資質が優れていることを、あらゆる点で示していました。」
8-2
じょせい として の ぽじしょん の した から うかびあがってくる かくされている もの が ある
「限りなく些細な不調和によって初めて気づかれる」
8-3
ペニス羨望=ペニスの権利要求 と わ ぎゃく の 「両親に対する優位〔ルビ:スュプレマシー〕という隠された満足」(8-9) が げんせん である。
「自由と充実という女性のセクシュアリティの進展においてはあまり確固としていないので注目されない性格が現れてきます。」(9)
ぶんせき が りょーしん に たいする ゆーい お してき した こと で、 せいこーい が うまく いかなく なった こと お りヴぃえーる わ しょーこ としている。→5ぺーじ「分析のあいだ、夫に対する敵対的去勢衝動が明るみに出る途上の一方で、性交への欲望は非常に減少し、彼女は一定期間のあいだ、比較的に不感症になった。女性性のマスクが剥ぎ落され、彼女は去勢された(命無く、楽しみが不可能な)ものであることが明らかになり、去勢しようと望む(それゆえペニスを受け取ったり、満足によってペニスを迎い入れたりする)ものであることが明らかになった。」
9
9-2
「自分がこっそり行っている男性たちの力の源泉と象徴そのものの窃取を理由に男性たちから報復されること、これを避けたいという欲求」
9-3
ゆーわく、ぎせいてきてつづき、じょせいてき けんしん、けんきょ→こび お うる こと で あざむく
「区切り」(9)
「彼女は特に、男性たちと職業的なやりとりをする際に、自分を仮面で覆い隠していました」(9)
「このことは、彼女において根本的に攻撃として、優位〔ルビ:スュプレマシー〕それ自体の欲求と享楽として姿を現しているもの、最初は母との、次に父との競争〔ルビ:ライヴァル〕関係という歴史によって構造化されたもの」(10)☆
10
10-2
「ある承認の過程それ自体に巻き込まれている主体を我々に示してくるような何か」(10)が だいじ。
10-3
「この承認の欲求について、主体は無意識的です。だからこそ我々には、それを、フロイトまでは知られていなかった一つの性質をもった他者性のうちに据えることが、どうしても必要になるのです。この他者性はシニフィアンという純然たる場所に由来しており、これによって、存在はおのれ自身の実存〔ルビ:エグジスタンス〕と分割されています。」
10-4
「人間主体の命運は本質的に、彼とその存在の記号との関係に結び付いています。この記号は、あらゆる種類の情念[=受苦]〔ルビ:パッシオン〕の対象であり、その過程において死を現前化します。この記号との結びつきのなかで、主体は、実際におのれ自身から離脱させられて、おのれ自身の実存〔ルビ:エグジスタンス〕との間に、創造物のなかで唯一無二であると思われる関係を持つことが可能になります――この関係は、我々が分析においてマゾヒズムと呼んでいるもの、つまり、主体が実存することの苦しむ la douleur d'exister をそれによって把握するようなものの、最終的な形態です。」
10-5
「実存〔ルビ:エグジスタンス〕として、主体は初めから分割として構成されています。なぜでしょうか。それは、主体の存在は別のところ
で、記号のなかで表象されなければならないからであり、また記号自身は第三の場所にあるからです。主体を主体自
身の分解のうちで構造化しているのは記号です。そしてこの分解なしでは、我々は、無意識と呼ばれているものを有
効な仕方で基礎づけることはできません。」(10-11)
11-2
ゆめ に おける むいしき わ ぶんせつかされた しにふぃあん に おいて ぐげんか されない
「同性愛の若い女性についての分析」(11)
むいしき の げんどーりょく わ 「主体の承認の欲望」(11) として のみ ぶんせつかされる
11-3
たんじゅん な けいしき お さいごに もってくる