さいとー・ま

さいとー・ま

さいとう・まの。おしごとは manoestasmanoあっとgmail.com (あっとを いれかえてください)まで。

しもーぬ・ヴぇいゆから うちむら・かんぞうへ

ついき1

これへとのことば、11しょう、 だい8せつ
「人が多くの年月を生きるなら/これらすべてを喜ぶがよい。/しかし、闇の日が多いことも思い起こすがよい。/やって来るものはすべて空である。」(https://www.bible.or.jp/read/titlechapter.html
”Si donc un homme vit beaucoup d'années, qu'il se réjouisse pendant toutes ces années, et qu'il pense aux jours de ténèbres qui seront nombreux; tout ce qui arrivera est vanité.” (https://www.info-bible.org/lsg/21.Ecclesiaste.html

これへとのことば、11しょう、 だい10せつ
「あなたの心から悩みを取り去り/あなたの体から痛みを取り除け。/若さも青春も空だからである。」(https://www.bible.or.jp/read/titlechapter.html
”(12:2) Bannis de ton coeur le chagrin, et éloigne le mal de ton corps; car la jeunesse et l'aurore sont vanité.”(https://www.info-bible.org/lsg/21.Ecclesiaste.html

これへとのことば、 すべての ための とき、13しょう?
”L’avorton est venu dans le vide, il s’en va dans les ténèbres ; son nom est recouvert à jamais par la nuit ; il n’a pas vu le soleil.”(https://fr.wikisource.org/wiki/L%E2%80%99Eccl%C3%A9siaste_:_un_temps_pour_tout/Texte_entier

vanité、しんくう、むなしい、くう、vacuum、le vide、vanity などなど。
こへれとのことばを うちむら・かんぞうも しもーぬ・ヴぇいゆも さんこうに した かのうせいが たかいと あとで わかりました。
なので、 ほんぶんの かせつは ただしくない かのうせいが たかい です。
ざんねん。
ただ、 こへれとのことばに ついて うちむら・かんぞうは 1915ねん ぐらい から かいている。(わたなべ・かずたか(渡部, 和隆)「内村鑑三のコヘレト書解釈」、http://hdl.handle.net/2433/185780
せいれき 2021ねん 2がつ 26にち

ついき 2

ぱすかるが ぱんせで、
「人の心は神によってしか満たされない空洞が空いていて、神以外の何者をもってしても満たすことができない。神によって空洞が満たされると人は生きる。」(http://www.mgf-jc.com/kyou-no-kotoba-1?tmpl=/system/app/templates/print/&showPrintDialog=1
と いっている かのうせいが ある。
もんてーにゅの えせーでも むなしさの はなしが ある らしい。
もし ぱすかるが この はなしを le videという ことばで はなしていたら、 あきらかに てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆと うちむら・かんぞうの ちょくせつの かんけいは ない かのうせいが たかい。
ぱすかるは ぶつりてきな いみでの しんくうに きょうみを もっていた ものだからだ。
せいれき 2021ねん 2がつ 26にち

ほんぶん

こまったことに、なにか きになると しらべたくなる、という ことが あると おもいます。
こんかいは、 しもーぬ・ヴぇいゆから うちむら・かんぞうへ という ぶんしょうを しらべて かきました。
シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil)と、 内村鑑三(うちむら・かんぞう)という ひとの つながりを しらべました。
せんもんかでは ないので、まちがっている かのうせいが たかいです。
せいれき 2021ねん 2がつ 24にちに こうかいしました。
ないようは あまり かえる よていは ありませんが、 みだしや もくじなどを あとで せいりする よていです。

ふたりの しもーぬ・ヴぇいゆと しんくう

しもーぬ・ヴぇいゆ

しもーぬ・ヴぇいゆは ふたり いる。

せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆ

ひとりは、 ふらんすの せいじか である。せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆは、 ふらんすごで、 Simone Veilと かく。
ふらんすでは せいれき 1975ねんに じんこう・にんしん・ちゅうぜつを はんざいでは ない ように する ほうりつが できた。
せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆは、 その ときの だいじんであり、 この ほうりつを つくる ことを たんとうした。
なので、この じんこう・にんしん・ちゅうぜつを はんざいでは ない ように する ほうりつは、ヴぇいゆほうと いわれることも ある。
ただし、 その はいけいには、 しょうせつかで てつがくしゃの しもーぬ・ど・ぼーぼわーる(Siomne de Beauvoir)などが せいれき 1971ねんに かいた 「343にんの まにふぇすと」 などが あった。
343にんの ゆうめいじんが じぶんが ちゅうぜつを した ことが あると かいたのだ。

ふらんすでは、ヴぇいゆほうが できる まえは、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつは はんざい だった。
つまり、 らんしと せいしが くっついた あとで、 じぶんから あらたに うまれないように すると、 つかまって とじこめらたのだ。
さらに、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつの しゅじゅつなどを した ものも つかまって とじこめられたのだ。
そして、 せいれき 1960ねんだい までは、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつや ひにんの じょうほうを ひろめたものも つかまって とじこめられたのだ。
ふらんすの れきしに ついては、「人工妊娠中絶の現状:フランスからの幾つかの考察」 http://hibino.w3.kanazawa-u.ac.jp/tech-health/data/20100417_resume_Levy.pdf を せいれき2021ねん 2がつ 20にちに さいごに みた。 だれが かいたか わからない ぶんしょうである。

さて、ひにん(避妊)とは、にんしんしないように する ことである。
たとえば、げっけい、せいりの ちょうせいする ことや、げっけいの いたみを よわくする ことにも つかう くすりを のむ という ひにんの ほうほうが ある。
その くすりは、けいこう・ひにんやく、または、 「ぴる」と いわれる。
ぴるは おおきく わけて ふたつの しゅるいが ある。
ていようりょう・ぴるは、 せっくすなどを する まえに のむと ひにんが できる。
ていようりょう・ぴるは、 ひにんにも つかわれるが、 せいりつうを なくす ために のむ ことが ある。
もーにんぐ・あふたー・ぴる、 または きんきゅう・ひにんやくは、 せっくすなどを した あと、 みっか いないに のむと ひにんが できる。
にほんでは せいれき 2021ねん げんざい、 きんきゅう・ひにんやくが やっきょくでは かえない。
いしゃが ゆるさないと、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつが できないのだ。
これは、 にんしんする ものを ちゃんとした りゆうなく くるしめる ことである。
さらに、 にんしんする ものを おんなと かんがえる ことと、 せいさべつが むすびついた けっかである。
せいさべつの けっかとして、 おとこと かんがえられた にんしんに かかわった ほかの ものは、 はんざいを したと かんがえられていない。
「おとこではない おんな」と 「おんなではない おとこ」という ふたつの せいべつ のみが あり、 その おんなと おとこに よって せいしょくが おこなわれ、 おんなが にんしんすると かんがえられている、 せいべつ にげんろんてきで せいさべつ てきな しゃかいでは、 おんなに せきにんが おしつけられる。
わるい。
ふぇみにすとの あつまりである そしれん(SOSHIREN)が、 だたいざいに ついて みじかく まとめているので、 かんじかなまじりの にほんごが よめる ものは、 よんでみて ほしい。(SOSHIREN / 堕胎罪とはhttp://www.soshiren.org/dataizai_toha.html


ただし、 ぴるでは せいかんせんしょうの かんせんは ふせげない。
せいかんせんしょうを ふせぎたい ときは、ゆびの こんどーむである ふぃんどむや、 ぺにすの こんどーむを つかう などの ほかの ほうほうを つかう ひつようが ある。
また、 せいかんせんしょうとして ゆうめいな えいちあいぶい(HIV)は、 くすりを のんで、 けんさで みつからなくなれば、 うつることは なくなる。

ヴぇいゆほうが できる まえの ふらんすでは、はんざいと かんがえられていた ため、じんこう・にんしん・ちゅうぜつは あんぜんに おこなわれなかった。
じんこう・にんしん・ちゅうぜつは、 つかまらない ように かくれて おこなわれた。
もし じんこう・にんしん・ちゅうぜつの しゅじゅつで わるいことを されても、 けいさつなどに いいにくい からである。
そして、 にんしんしてしまった ものたちは、まわりに いえないまま じぶんで あんぜんではない ちゅうぜつを しようと する ことも あった。

にほんでの ちゅうぜつ

ちなみに、 せいれき 2021ねんの にほんでは げんざい、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつは はんざいである。
だたいざい(堕胎罪)と いわれる。
にほんの けいほう、212じょうから 216じょうで きめられている。
つまり、 らんしと せいしが くっついた あとで、 じぶんから あらたに うまれないように すると、 つかまって とじこめらるのだ(じこ・だたいざい)。
さらに、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつの しゅじゅつなどを した ものも つかまって とじこめられるのだ(どうい・だたいざい)。
ただし、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつの じょうほうを ひろめたものは つかまらない。

また、おかねが たりない ばあいと、からだに あぶない ばあいと、れいぷされた ばあいには じんこう・にんしん・ちゅうぜつを して よいと、 むかしの ゆうせいほごほう、いまの ぼたいほごほうが きめている。
ただし、 むかしの ゆうせいほごほうと、 いまの ぼたいほごほうでは、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつが できる ばあいが ちがう。
ぼたいほごほうに ついては、 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC1000000156で せいれき 2021ねん 2がつ 20にちに さいごに みた。
しかし、 はいぐうしゃが いる ばあいは、 はいぐうしゃの どういが ひつように なる。
また、ほんにんが みせいねんの ばあいは、 ほごしゃの どういが ひつように なる ことも おおい。
そして、 れいぷや からだが りゆうでなければ、 おかねが たりない から じんこう・にんしん・ちゅうぜつ すると かかないと いけない(母体保護法第十四条一「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」)。

ゆうせいほごほうは、 だいにじせかいたいせんの あと、せいれき 1948ねんに つくられた。
ゆうせいほごほうは、 しょうがいしゃが あらたに こどもを うまれさせない ように むりやり しゅじゅつを して よいと きめた。
せいれき 2018ねんに むりやり きょうせい・ふにん・しゅじゅつを うけた ひとが うったえ はじめてから、 おおくの ひとが うったえ はじめている。

さらに、 ゆうせいほごほうで、 いちぶの じんこう・にんしん・ちゅうぜつを して よいと きまった はいけいには、しょくみんちしゅぎと てんのうせいが かんけいしている。
樋口恵子(ひぐち・けいこ)の 「第7章 引揚女性の「不法妊娠」と戦後日本の「中絶の自由」」という ぶんしょうを さんこうに する(上野千鶴子(うえの・ちづこ)編 , 蘭信三(あららぎ・そんぞう) 編 , 平井和子(ひらい・かずこ)編、2018、『戦争と性暴力の比較史へ向けて』、岩波書店、199-225ぺーじ)(ほんの くわしい ないようは、 https://www.iwanami.co.jp/book/b345698.htmlを よむ こと。 2021ねん 2がつ 20にちに さいごに みた)。
せいれき 1945ねんに にほんが だいにじせかいたいせん、たいへいようせんそう、にっちゅうせんそうに まけた あと、せんそう・せんりょうちと しょくみんちから、 ひとびとは にほんの ないちに ひきあげてきた。
この ひきあげてきた ひと たちに、 あんぜんではない、じんこう・にんしん・ちゅうぜつの しゅじゅつが おこなわれた。
はいけいには、ひきあげ してきた にんしん していたものの いちぶは、 れいぷされた という ことが あった(ひぐち・けいこ、202-206ぺーじ)。
しかし、せいふは もくてきとして、にほんが しはいしていた しょくみんちの ひとと にほんの しょくみんしゃの あいだから うまれる こどもを うまれなくさせる ためだったと いった、と かんがえられている(ひぐち・けいこ、207ぺーじ、「異民族の血に汚された児の出産のみならず家庭の崩壊を考えると」(天児都(あまこ・くに) 1998「引揚者の中の強姦妊娠および性病感染者の保護について」『九州大学医学部産婦人科教室同窓会誌』40. からの いんようを まごびき した。 ただし、 おなじ はつげんは、うぇじー(WEZZY)の、「「綾瀬はるか『戦争』を聞く」で明かされた、満州からの引き揚げ女性に強制された性接待」 https://wezz-y.com/archives/57557/2でも よむ ことが できる。2021ねん 2がつ 20にちに さいごに みた)。
また、 てんのうの かぞくが これらの しゅじゅつを たんとうする ための しせつに いって、 じんこう・にんしん・ちゅうぜつを する ことを みとめたと かんがえられている(ひぐち・けいこ、211ぺーじ、(せいれき 1946ねん 4がつ 23にちに、 たかまつみや のぶひと(高松宮宣仁)と のぶひとしんのうひ きくこ(宣仁親王妃 喜久子)が ふくおかけんの ふつかいちほいくじょ(二日市保育所)に いった。のびひとは、 しょうわてんのう ひろひとの おとうと である)。
この ことは、 てんのうせいが しょくみんちしゅぎ である ことが わかると、 わるい ことが はっきりと わかる。
てんのうせいは、 やまとみんぞくの てんのうの ちすじが えらいと かんがえる せいどである。
てんのうと てんのうの ちすじに ちかい やまとみんそくは えらい ので、 しょくみんちを しはいして よいと かんがえるように なったのだ。
だから、 てんのうが いちばん えらく、 てんのうが せきにんしゃであった せいふは、「いみんぞく」と やまと みんぞくの ちすじが まざらないように したかった のだ。
せいふが しょくみんちの ひとたちを さげすむ ことを いったと される、 せいれき 1945ねんの 8がつの ないかくは、 ひがしくに ないかく であった。
ひがしくにのみや なるひこは、 てんのうの かぞく、 こうぞくで あった。
てんのうの せいどを つづける ために、 さまざまな ことを していたに すぎない。
もし にんしんする ものたちの くるしみが わかるならば、 てんのうせいを なくしている はずだ。
てんのうせいは、 こどもを つくる ことが ぜんていと なっている せいさべつてき、 しょくみんちしゅぎてき、 みんぞくさべつてき みぶんせい だからである。
そして、とうじの こっかいぎいんの ふくだ・まさこ(福田昌子)は、この じんこう・にんしん・ちゅうぜつの あんぜんではない しゅじゅつを かえる ために、 ゆうせいほごほうを つくったの だった(ひぐち・けいこ、218ぺーじ)。

さらに、 せいれき 2021ねんの にほんの じんこう・にんしん・ちゅうぜつの しゅじゅつは あんぜんではない。
にほんで せいれき 2021ねん ごろ までに おこなわれている しょきの じんこう・にんしん・ちゅうぜつの しゅじゅつは、 かきだす ほうほうである。
かきだす ほうほうは、そうはほう(掻爬法)と いわれている。
しかし、 そうはほうは じこの かずも おおい(つかはら・くみ(塚原久美)、2013、「妊娠中絶の何が問題か」、https://www.jstage.jst.go.jp/article/itetsu/31/0/31_59/_article/-char/ja/、60ぺーじ)。
せかいほけんきかん、だぶりゅーえいちおー(WHO)という せんもん そしきは、 そうはほうは あんぜんではないと いっている(WHO(すぺーすアライズ訳)、2013、「安全な中絶、医療保健システムのための技術及び政策の手引き、第二版」、https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/70914/9789241548434_jpn.pdf?sequence=10、 49ぺーじ、「頸管拡張及び子宮内膜掻爬術(D&C)は、時代遅れの外科的中絶方法であり、かつ真空吸引法及び/または薬剤による中絶方法に切り替えるべきです」)。
しょきの じんこう・にんしん・ちゅうぜつは、 くちから のむ くすりが あんぜんである。
しゅじゅつ する にしても、 すいだす ほうほうである きゅういんほう(吸引法)に する べきである。
しかし、にほんでは、せいれき 2021ねん げんざい、ちゅうぜつの ための くすりは みとめられていない(国際セーフ・アボーション・デー Japan プロジェクト、「避妊・中絶にまつわるQ&A」、https://2020-japan.webnode.jp/qanda/。2021ねん 2がつ 20にちに さいごに みた)。
はいけいには、 かきだす ほうほうの しゅじゅつの ための どうぐで もうける ためだとも かんがえられている(つかはら・くみの せいれき 2019ねん 6がつ 16にちの にほん・じょせい・がっかいに おける はっぴょう、「「中絶」の脱スティグマ化とノーマライゼーション」に よる)。

ふたりめの ヴぇいゆ

はなしを しもーぬ・ヴぇいゆに もどそう。
もうひとりの しもーぬ・ヴぇいゆは、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆだ。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは、 Siomne Weilと かく。
せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆは ぶい(びー、V)だが、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは だぶりゅー(どぅぶるべ、W)である。
にほんごけんでは、 こちらの しもーぬ・ヴぇいゆの ほうが ゆうめいである。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは、 にほんの きりすときょうに かかわる ひとたちが よく よむ みたいだ。
また、『ぺすと』などを かいた しょうせつかの かみゅが しょうかいした ことで、 にほんでも ひろく しられている。

ここから、 うぃきぺでぃあで かくにんした ことを かいていく。
うぃきぺでぃあは だれでも かけるので、 まちがっている かのうせいが たかくなる。
だが、 きおくで かく よりは ましだ。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆ(Siomne Weil)は、 せいれき 1943ねんに しんだ。
そして、 せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆ(Siomne Veil)は、 せいれき 1946ねんに けっこんして、 ヴぇいゆという みょうじに なった。
つまり、 ふたりの しもーぬ・ヴぇいゆが おなじ なまえで おなじ ときに いた わけでは ないのである。
もちろん、せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆが せいれき 1943ねん までに ひこうしきに ヴぇいゆという なまえを なのっていた かのうせいも おもいつく。
しかし、 おそらく ありえない。
なぜなら、 せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆは せいれき 1945ねん まで きょうせいしゅうようじょに いたからだ。
なちす・どいつに しはいされた ふらんすの ヴぃしー せいふは、 せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆが ゆだやじんで あることを りゆうに、むりやり とじこめたのだった。
はいぐうしゃである あんとわーぬ・ヴぇいゆとは きょうせいしゅうようじょで であった わけではない ようだ。
がっこうで であった ようだ。
うぃきぺでぃあで かくにんした ことは ここまで だ。

しかし、にほんごで みる かぎり、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆと、 せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆも みわけが つかない。
じぶんが てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆと であったのも、 せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆと まちがいた から なのだ。
あるとき、 ほんやさんの いわなみ ぶんこを ながめていた。
いわなみ ぶんことは、 いわなみ しょてんという おおきな しゅっぱんしゃが つくっている ちいさな ほんの ことである。
いわなみ ぶんこは、 ふるくて ゆうめいな ほんを にほんごに やくした ものが たくさん ある。
つまり、 おとこの ほん ばかり なのである。
むかしから かきことばは おとこが しはいしてきている。
さらに、 おとこが かいた ぶんしょうは、 おとこが ほめたたえる ことで、 ゆうめいに なっていく。
せいさべつに よって、 おとこの ほうが けんりょくを もつ ように なる ので、 おとこが おとこの ぶんしょうを よんで、 ほめたたえるのだ。
おんなは かくことが きんしされているか、 かいたとしても ぶんしょうは おとこに ほめたたえられず のこされない。
そんな ことを かんがえながら、 たなを みていくと、 「しもーぬ・ヴぇいゆ」という なまえが みつかった。
おどろいた。
あの、 せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆが、 ほんを かいていて、 それが にほんごに やくされている なんて、 しらなかった。
じぶんが とった ほんの なまえは 『自由と社会的抑圧』(じゆうと しゃかいてき よくあつ)であった。
そう、てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆの ほんである。
しかし、 じぶんの なかで しもーぬ・ヴぇいゆは せいじかの しもーぬ・ヴぇいゆだけ しか いなかった。
ひょうしの てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆの しゃしんを みて、「しゃしんを はじめて みた」と おもった。
それは、 べつじんだ。
「行動と思索の人」(こうどうと しさくの ひと)という ことばを よんで、 「へー、せいじだけではなくて、 かんがえた ことを かいていたのか」と おもった。
それは、 べつじんだ。
あげくのはてには、 しんだ としが せいれき 1943ねんと かいているのに、 きがつかない。
ヴぇいゆほうは せいれき 1975ねん、 しんでから ほうりつを つくるのは むりだ。
それは、 べつじんだ。
なかみを ためしに よむことも しなかった。
そして、 かってしまった。
そこまでは おぼえているのだが、 じぶんが この ふたりが べつじんである ことに きがついた きっかけは わすれてしまった。
ほんを よんでいる うちに きがついたのか、 ほんを よまないで おいている うちに だれかから きいたのか。
しもーぬ・ヴぇいゆに ついて あまり しらない ものは しっていてほしい。
ゆうめいな しもーぬ・ヴぇいゆは ふたり いる。
それは、 べつじんだ。

てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆと しんくう

さて、ほんだいに はいろう。
さいきん、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆの 『重力と恩寵』(じゅうりょくと おんちょう)を よむ ことに なった。
じぶんが よんでいるのは、 とみはら・まゆみ(冨原真弓(とみはらの とみという かんじは うえの ぼうが ない。))が やくした、 いわなみ ぶんこの せいれき 2017ねんに つくられた ほんである。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが しんだ あと、せいれき 1947ねんに しもーぬ・ヴぇいゆが じぶんの ために かいた のーと、『雑記帳』(ざっきちょう)、または 『かいえ』を もとに して、 『じゅうりょくと おんちょう』という だいめいの ほんが べつの ひとに よって つくられた。
かいえとは、 ふらんすごでの Les Cahiersの よみかた である。
いみは、 のーと、 おぼえがき、けんきゅうのーと、 みたいな いみである。
そして、 とみはら・まゆみは せいれき 1947ねんに つくられた 『じゅうりょくと おんちょう』と おなじ じゅんばんで つくられた。
しかし、 とみはらは てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが かいた 『かいえ』を かくにんして、 やくした(とみはら、せいれき 2017ねん、「訳者あとがき」、444ぺーじ)。
なので、 ほかの やくとは ちがう ことが ある。
ちなみに、てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆの ぶんしょうは、 きらいな ところと すきな ところが ある。
きらいな ところは、 とくに どれいを みくだしている かきかたを している ところ である。
どれいの がわに たって かこうと しているの だが、 みくだしているのが ありありと つたわってくる。
つまり、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが、 じぶん じしんを みくだしている ことも げんいんの ひとつ だと おもう。
すきな ところは、 ほかのものを きずつけたくないと おもっている ことが わかる ところである。

「たとえこの身が泥の塊になりはてようと、なにひとつ穢〔るび:けが〕さずにいたい。」
(たとえ このみが どろの かたまりに なりはてようと、 なに ひとつ けがさすに いたい。さいとう やく。)
しもーぬ・ヴぇいゆ(とみはら・まゆみ やく)、せいれき 2017ねん、 『重力と恩寵』、「二 真空と代償作用」、2だんらくめ、18ぺーじ。

さて、 しもーぬ・ヴぇいゆ(とみはら・まゆみ やく)、せいれき 2017ねん、 『重力と恩寵』、「二 真空と代償作用」、6だんらくめ、20ぺーじに はじめて 「しんくう」という ことばが でてくる。

「だれかがわたしに悪をはたらくとき、守銭奴が財宝からなにかを期待するように、わたしは悪をはたらく相手からなにかを期待する(≪欲求充足≫または≪損失補塡≫)。逆に、他者に悪をはたらく、それは他者からなにかを受けとることだ。なにを。悪をはたらくとき、人間はなにを得るのか(いずれ代価を支払ねばならなぬにせよ)。自己を増幅させ、自己を拡張する。他者のうちに真空を穿〔るび:うが〕つことで、自己のうちなる真空を充たすのだ。」
(だれかが わたしに あくを はたらく とき、しゅせんどが ざいさんから なにかを きたいする ように、わたしは あくを はたらく あいてから なにかを きたいする(≪よっきゅう・じゅうそく≫ または ≪そんしつ・ほてん≫)。ぎゃくに、たしゃに あくを はたらく、それは たしゃから なにかを うけとる ことだ。なにを。あくを はたらく とき、にんげんは なにを える のか(いずれ だいかを しはらねばならなぬ にせよ)。じこを ぞうふくさせ、じこを かくちょうする。たしゃの うちに しんくうを うがつ ことで、じこの うちなる しんくうを みたすのだ。)
しもーぬ・ヴぇいゆ(とみはら・まゆみ やく)、せいれき 2017ねん、 『重力と恩寵』、「二 真空と代償作用」、6だんらくめ、20ぺーじ。

しゅせんどの はなしは、 ふらんすごで えんげきの きゃくほんを かいた もりえーるの 『しゅせんど』という はなしを かんがえているの だろう。
たとえば、 しもーぬ・ヴぇいゆ(とみはら・まゆみ やく)、せいれき 2017ねん、 『重力と恩寵』、「六 真空と代償作用」、2だんらくめ、43ぺーじ、「財産を盗まれた守銭奴」(ざいさんを ぬすまれた しゅせんど)などの ことばが ある からだ。
もりえーるの 『しゅせんど』という さくひんでは、 かねもちで しゅせんどは、 たいきんを にわに かくしていた。
そして、 その たいきんが ぬすまれ、 けっきょく こまる。
たいきんを にわに うめている こと から わかる ように、しゅせんどは その たいきんを なにかに つかう ために もっているのでは ない。
しゅせんどは、 おかねを もっている という ことで まんぞくする のである。

もんだいなのは、「しんくう」という ことばである。
ふらんすごでは、 le vide(る びっど)である。
この たんごは、 こくう、すきま、くうはく、ひま、むなしさ、きょむかん などの いみがある。
それなのに、 「しんくう」と ぶつりの ことばが えらばれている のには、 りゆうが ある。
なぜならば、しもーぬ・ヴぇいゆ(とみはら・まゆみ やく)、せいれき 2017ねん、 『重力と恩寵』、「三 真空を受けいれる」、2だんらくめ、28ぺーじ、には つぎの ような ぶんしょうが ある。

「気体と同じく魂にも、与えられた空間をくまなく充たそうとする傾向がある。みずなら収縮して真空を生みだすがごとき気体は、エントロピーの法則に反する。」
(きたいと おなじく たましいにも、 あたえられた くうかんを くまなく みたそうと する けいこうが ある。みずから しゅうしゅくして しんくうを うみだすが ごとき きたいは、 えんとろぴーの ほうそくに はんする。)
しもーぬ・ヴぇいゆ(とみはら・まゆみ やく)、せいれき 2017ねん、 『重力と恩寵』、「六 真空と代償作用」、2だんらくめ、28ぺーじ。

あきらかに、 ぶつりの はなしを かんがえている。
じっさいに、 しもーぬ・ヴぇいゆは しんくうに ついても かいている あいんしゅたいんの ほんなどを よんでいた らしい。(『シモーヌ・ヴェイユ《別冊水声通信》』、せいれき 2017ねん、水声社、「シモーヌ・ヴェイユの科学論 鈴木順子」、http://www.suiseisha.net/blog/?p=7892、せいれき 2021ねん 2がつ 24にちに さいごに みた。)
さらに、 ほんの だいめいにも なっている ように、 じゅうりょくの はなしも する。

しかし、 「しんくう」とは なにか、 よく わからない。
うめようと する もの。
くるしみと かんけいしている もの。
むきあわないと いけない もの。
かみと かんけいする もの。
ほかの ものへの ぼうりょくの げんいんで、 けっかである。
そんな かんじの なにか である。

しかし、 「しんくう」という ことばは めずらしい。
「しんくう」という ことばは、あまり きりすときょうと かんけいする ことばでは ないと おもう。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆは、きりすときょうに ついて かいている。
ちなみに、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆは、ゆだやじん である。
ただし、てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆは、きりすときょうの せんれいを うけなかった。
その びみょうな かんけいが 「しんくう」という ことばを えらんだ はいけいに あるの かもしれないと おもった。
しかし、 「しんくう」という ことばは、 しもーぬ・ゔぇいゆが はじめて つかった ことば なのだろうか?
それとも、 だれかの ことばから おもいついたのだろうか?
この ぎもんが この ぶんしょうの わだいである。

かくにん

それでは、 この ぎもんに とりくむ ための きほんてきな ことを かくにんしておく。
まず、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆが この ぶんしょうを かいたのは、 せいれき 19404ねんだい である(とみはら・まゆみ「ヴェイユ, シモーヌ, アドルフィーヌ」、356-359ぺーじ、こばやし・みちお ほか へんしゅう、せいれき 1999ねん『フランス哲学・思想事典』、359ぺーじ)。
そして、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆは ふらんすごで ぶんしょうを おもに かいていたが、 『かいえ』では、えいごも つかっていた(とみはら・まゆみ、「訳者あとがき」、443ぺーじ)。
さらに、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆは、ばんねんは あめりかがっしゅうこくや、いぎりすに いた。
あめりかがっしゅうこくや いぎりすでは えいごが つかわれている。
それだけではない。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆは、 すずき・だいせつ(鈴木大拙)の ぶんしょうを よんでいた。
すずき・だいせつは、にほんの しゅうきょうを えいごで しょうかいした ひととして ゆうめいである。
すずき・だいせつの ほんとして 『禅』(ぜん)という ほんが ゆうめいである。
さらに、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ゔぇいゆは、 さんくすりっとごで いんどの ひんどぅーきょうの せいてん(聖典)である、 『ばがゔぁっど・ぎーだー』なども よんでいた(とみはら・まゆみ、「訳者あとがき」、447ぺーじ)。

うちむら・かんぞうと しんくう

さて、 けつろんから かく。
うちむら・かんぞう(内村鑑三)が えいごで せいれき 1895ねんに かいた ほん、 ”How I Became a Christian; Out of My Diary ” から 「しんくう」という ことばを、 てつがくしゃと せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは おもいついたのだと かんがえる。
この ほんは、すずき・としろう(鈴木俊郎)が 『余は如何にして基督信徒となりし乎』(よは いかにして きりすと しんとと なりしか)という だいめいで せいれき 1958ねんに にほんごに やくしている。
さらに、 ふらんすごにも J.-H. Jeheberが La crise d'âme d'un japonais, ou, Comment je suis devenu chrétien? という だいめいで、 せいれき 1913ねんに やくしている。
ふらんすごの だいめいの いみは、にほんごで、「ある にほんじんの たましいの へんか、 すなわち わたしは いかに きりすときょうとに なったか?」 である。
うちむら・かんぞうは、この ほんで、 じぶんの じんせいに ついて かいている。
うちむら・かんぞうは、 にほんで かつやくした きりすときょうと である。
うちむら・かんぞうは む・きょうかい・しゅぎ という ものを となえた。

さらに、 うちむら・かんぞうは せいれき 1891ねんに だいいち・こうとう・ちゅうがっこう・ふけい・じけんで ゆうめいである。
せいれき 1890ねんに てんのうは きょういく・ちょくご という ぶんしょうを かいて がっこうに くばった。
だいいち・こうとう・ちゅうがく という えりーとの いまでいう だいがくに つとめていた うちむら・かんぞうは その きょういく・ちょくごえの おじぎが あさかった という りゆうで、 ふけい(不敬)と かんがえられて、 せめられた。
そして、 うちむら・かんぞうは やめさせられた。
てんのうせいが わるい ことが よく わかる じけんである。
ちなみに、 うちむら・かんぞうは きりすときょうを しんじていた のに、てんのうの ことが すきだった ようだ。
てんのうせいは わるいので、なくす べき である。

この じけんの はいけいには、 にほんは てんのうせいが こっかしんとう という しゅうきょうと かんけいしている ことが ある。
てんのうは かみと かんがえられていた。
だから、 にほんで こっかしんとう いがいは よくあつされていたし、よくあつされている。
とくに きりすときょうを しんじていた ものは だんあつされていた。
さらに、 にほん せいふは こっかしんとうは しゅうきょうでは ない から、 きりすときょうを しんじながら てんのうを かみと かんがえて うやまえとも いっていた。
しゅうきょうを だんあつ するな。


そして、 うちむら・かんぞうは せいれき 1882ねんの 12がつの にっきと せいれき 1883ねんの 4がつの にっきの あいだに つぎの ように かいている。
この とき、 うちむら・かんぞうは さっぽろ・のうがっこうを そつぎょうしていて、 あめりかがっしゅうこくに いく まえ だった。
じぶんが にほんごに やくした。

まえおき

いくつか よむ ための ぜんていと なる ちしきを かいておく。
まず、 さいしょに いんようされる ほせあしょは、 ゆだやきょう、 きりすときょう、いすらむきょうの せいてん(聖典)である、きゅうやくせいしょの いちぶ である。
きげんぜん はっせいきの はなし である。
こだい いすらえるじんは、 えじぷとで どれいとして はたらかせれていたが、 かみに みちびかれて えじぷとを でて、 かなんに はいってきた。
しかし、こだいの いすらえるじんは、 かみとの やくそくを うらぎっていると、 ほせあは いう。
こだい いすらえるじんは、 かみを 「ばある」という べつの かみと かんがえて、 だいじに していた。
「ばある」とは、 ちゅうとうの かなんで しんじられていた あらしと あめの かみである。
かなんは、よるだんがわから しかいと、 ちちゅうかいとの あいだの ちいきである。
かみは かみの すがたを にせたと いって つくられた ものを だいじに あつかっては いけないと いった からだ。
ぐうぞう・すうはい(偶像崇拝)の きんしと いわれる。
ここでは、 あらしや あめを かみの べつの すがた として かんがえた ために、 こだい いすらえるじんは やくそくを やぶっていると いわれるのだ。
また、 じぶん いがいを かみと かんがえては いけないと かみが いった からだ。
ゆいいつしん(唯一神)と いう。
ここでは、 「ばある」という べつの かみを たいせつに したので、 こだい いすらえるじんは やくそくを やぶっていると いわれるのだ。
ほせあしょの ないようは、 聖書プロジェクト BibleProject - Japaneseが せいれき 2020ねんに つくった「ホセア書 Hosea【概観】」(https://youtu.be/3UZl9h52fSc)という どうがを せいれき 2021ねん 2がつ 23にちに さいごに みた。

うちむら・かんぞうが いんようした ぶぶんは、 かみの ことば である。
つまり、いんように おける「わたし」とは、 かみの ことである。
かのじょとは、ごめる という ひと である。
ごめるは、 ほせあの はいぐうしゃ である・
ごめるは、 せい(性)てきに みだらな ことを していたと いわれる。
せい(性)てきに みだらな こととは、 せいに ついての きはんとは あわない ことを する こと である。
こだい いすらえるじんは、 かみとの やくそくで、 せい(性)てきに みだらな ことを しない ことと やくそくしたと いわれる。
ぐたいてきには、 せい(性)てきに みだらな こととは、 おんなが けっこんの まえに おとこと せっくすすること、 けっこんした もの いがいの いせい(異性)と せっくすする こと、おとこが おとこと せっくす する こと、 おかねを もらって せっくす する こと などが かんがえられている(たとえば、 https://www.wlpm.or.jp/inokoto/2016/04/26/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%80%A7%E3%80%8D%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%86%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%80%8E%E7%94%9F%E3%81%A8%E6%80%A7%E3%80%8F%E3%81%95%E3%82%8F%E3%82%8A/や、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A6%E6%B7%ABを みよ)。
つまり、 せいさべつ てきな きはん、 いせいあい ちゅうしん しゅぎ てきな きはん、 ものがみー ちゅうしん しゅぎ てきな きはん、 せいろうどうを さべつする きはんに あわない せいこういを すると、 せめられた のである。
その ような きはんは わるい。
とくに、 ここで おんなが おんなと せっくす する ことを むし している ことと、 おんなが せい(性)てきに みだら である として せめられやすい ことに ちゅういする ひつようが ある。
ざいさん(財産) おとこが きほん てきに もっていて、 おんなは ざいさん(財産)として かんがえられているの である。
せいさべつ で、 わるい。
ともかく、 ごめるは けっこん していない ものと せっくすを していた ので、 せめられていた の である。
かみは、 ごめるに ばつを あたえる。
その あと、かみは、 ごめるを ゆるす ことに なる。
この はなしを する ことで、 おとこを かみと、おとこより えらくないと かんがえられていた おんなを こだい いすらえるじんと ひゆとして くらべるている のだ。
つまり、 おんなが けっこん している おとこに したがう ように、 こだい いすらえるじんは かみに したがえ と いっているのである。*1
せいさべつ てき であり、 わるい。
あれのは、まえに こだい いすらえるじんが かみと であった ばしょ であり、
あこるの たに というのは、 しかいに つながる ふかい たに である(http://www.chiba-church.org/recent-sermons/%E8%8B%A6%E6%82%A9%E3%81%AE%E8%B0%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%9C%9B%E3%81%BF/)。

つぎに、にほんごに やくした ときに かんがえた ことを かく。
うちむら・かんぞうが えいごで "home"(ほーむ)と かいた ところは、 いえや こきょうという いみ だが、「すまう ところ」と やくした。

さいごに、 わかりにくい ところの かいせつを する。
「しぜんは しんんくう(vacuum)を きらい」という ぶんが ある。
これは、 こだい・ぎりしあの てつがくしゃである ありすとてれすの とき から あった、 にんきが あった かんがえかた である。
しぜんには ものが つまっていると かんがえられていた。
なぜなら、 もし しんくうの ような すきまが あると かんがえると、 こまかい もの どうし(げんし)が べつべつに くうかんに あると かんがえる ように なり、 いまの せかいが あるのは ぐうぜんで、 かみは いないと かんがえる ように なった から である。

ここから「温故知新「真空」、「真空」の神髄に迫る」 https://www.shimadzu.co.jp/boomerang/24/05.htmlという ぶんしょうを せいれき 2021ねん 2がつ 23にちに よんで かく。
しかし、 せいれき 1643ねんに いたりあの かがくしゃ、 とりちぇりが しんくうに ついての じっけんを して から しんくうが あると おおくの ものが かんがえ はじめた。
そして、せいれき 1670ねんに どいつの げーりえが しんくうを つくる ぽんぷを つくった。
せいれき 1700ねん いこうに、きんぞくなどを ほる やまなどで しんくうを つくる ぎじゅつが つかわれる ように なった。
さらに、 せいれき 1879ねんに、 あめりかがっしゅうこくの はつめいか、 えじそんが でんきを ひかりに うまく する やりかたを つくった。
しんくうの なかで でんきを ながせば、 でんきが とおる そざいが もえない ので、 ながく ひかり つづける ように なるのだ。
いじょうが、 うえの ぶんしょう(https://www.shimadzu.co.jp/boomerang/24/05.html)を よんで かいた ぶぶん である。

この ような じだいの ながれが あった ので、 うちむら・かんぞうは せいれき 1882ねんごろに、 しんくうは せつめい しにくいが、 しんくうは ある という かんがえを もっていたのだろう。

せいりがくしゃの はなし

さらに、「せいりがくしゃが めすで だいのう(大脳)を うばわれた はとの ように、 うごきはじめたが、 どこへ いくのか、そして なにゆえ いく のか しらなかったが、とどまれなかった から なのだ」という いまだ よく わかっていない ぶんが ある。
これは、 おそらく、 ふらんすの せいりがくしゃ、まりえ・じゃん・ぴえーる・ふるーらんす(Marie-Jean-Pierre Flourens (1794–1867))の どうぶつ・じっけんの ことを かんがえているの だろう。
せいりがくしゃとは、 せいぶつの はたらきを ぶつりがく てきに かんがえる もの である。
ふるーらんすは、 せいれき 1825ねんに はとを つかった じっけんを した(Pearce J, M, S、せいれき 2009ねん、 Marie-Jean-Pierre Flourens (1794–1867) and Cortical Localization. Eur Neurol 2009;61:311-314. https://doi.org/10.1159/000206858、せいれき 2021ねん 2がつ 23にちに さいごに みた。)。
Marie Jean Pierre FLOURENS、 せいれき 1842、Recherches Expérimentales Sur Les Propriétés Et Les Fonctions Du Système Nerveux Dans Les Animaux Vertébrés. 、J. B. Baillière. 、454ぺーじ から 468ぺーじ までを みてみる。https://books.google.co.jp/books?id=yfI-AAAAcAAJ&dq=Recherches+exp%C3%A9rimentales+sur+les+propri%C3%A9t%C3%A9s+et+les+fonctions+du+syst%C3%A8me+nerveux,+dans+les+animaux+vert%C3%A9br%C3%A9s+(ed+2).&hl=ja&source=gbs_navlinks_s
ふるーらんすは、はとの ばらんす かんかくを とる ための さんはんきかんを きって かんさつ した。

ここ から いんよう おわり までの ぶんしょうは、 ぼうりょくの はなしを します。
とても ざんこく なので、むり しないでください。
はとの さんはんきかんは みっつの ぶぶんに わけられる。
ぜんはん きかん(前半規管)と、 こうはん きかん(後半規管)と、 すいへい はんきかん(水平半規管) である。(454ぺーじ)
ぜんはん きかんが たてむきに うしろから まえに ななめに ある。(454ぺーじ)
こうはん きかんが たえむきに まえから うしろに あり、 すいへい はんきかんと まじわっている。(454ぺーじ)
すいへい はんきかんが よこむきに ある。(454ぺーじ)
この みっつの ほうこうに たいおうして うえ、した、みぎ、ひだり、まえ、うしろの ばらんすを とっている。
そして、 みみが みぎと ひがりの ふたつ あり、 のうが みぎと ひだりの ふたつ ある ように、 さんはんきかんも みぎと ひだりの ふたつ ある。
ふるーらんすは、 さゆうの すいへい きかんを きると、 すぐに あたまが みぎから ひだりに とつぜん うごいたり、 ひだりから みぎに とつぜん うごく ことを かんさつ していた。(454-455ぺーじ)
ふるーらんすは、 つづけて さまざまな くみあわせで はとの さんはんきかんを きって、 かんさつ する。
しかし、 たとえば、 ひだりの すいへい きかんだけを きると、 みぎから ひだりに あたまは かるく うごくが、 ながくは うごかない。(455ぺーじ)
すぐに きる まえの うごきを とりもどす ことに なる。(455-456ぺーじ)
さらに、 ほかの はとの ひだりの こうはん きかんだけを きると、 うえから したに、 したから うえに あたまが かるく すばやく うごくが、 これも いっしゅん しか うごかない。(457-458ぺーじ)
ばらんすを とり、 きる まえと おなじ ように あるいたり とんだり する のだ。(458ぺーじ)
しかし、 じょじょに ゆれはじめ、 とつぜん うごきだし、あたまを まえから うしろに うごかす ように なる。(458ぺーじ)
せなかから おち、 しばらく すると、 この うごきは なくなり、 もはや ときどき しか この うごきは あらわれなくなる。(458ぺーじ)
Marie Jean Pierre FLOURENS、 せいれき 1842、Recherches Expérimentales Sur Les Propriétés Et Les Fonctions Du Système Nerveux Dans Les Animaux Vertébrés. 、J. B. Baillière. 、454ぺーじ から 468ぺーじ までを みてみる。https://books.google.co.jp/books?id=yfI-AAAAcAAJ&dq=Recherches+exp%C3%A9rimentales+sur+les+propri%C3%A9t%C3%A9s+et+les+fonctions+du+syst%C3%A8me+nerveux,+dans+les+animaux+vert%C3%A9br%C3%A9s+(ed+2).&hl=ja&source=gbs_navlinks_s

この ように、 さんはんきかんを きっても はとは とびつづける ことが ある という はなしを うちむら・かんぞうは している。
しかし じっさいは、だいのう(cerebrum)を こわしたのではなく、きほん てきに さんはん きかんを こわしている。
もしかして、 じぶんが よみとばしている だけ かもしれないが、 うちむら・かんぞうが まちがって おぼえていたり、 うちむら・かんぞうに つたえた ものが まちがっていた かのうせいも ある。

ちなみに、 ふるーらんすは、 さんはん きかんを きると はとが いたがる ことを かいている。(456ぺーじ)
しかし、 じっけんを やめず、 はとを くるしませつづける。
わるい。
じぶんは、くるしみを あたえる どうぶつ・じっけんに はんたいする。

うちむら・かんぞうの ほんやく

「だい ご しょう
せかいに とびこむ。 おなみだ ちょうだいの きりすときょう。〔えいご では おおもじ。〕

「それゆえ、見よ、わたしは彼女をいざなって、荒野に導いて行き、ねんごろに彼女に語ろう。その所でわたしは彼女にそのぶどう畑を与え、アコルの谷を望みの門として与える。その所で彼女は若かった日のように、エジプトの国からのぼって来た時のように、答えるであろう。主は言われる、その日には、あなたはわたしを『わが夫』と呼び、もはや『わがバアル』とは呼ばない。」
(それゆえ、みよ、わたしは かのじょを いざなって、あらのに みちびいて いき、ねんごろに かのじょに かたろう。その ところで わたしは かのじょに その ぶどうばたけを あたえ、あこるの たにを のぞみの もんとして あたえる。その ところで かのじょは わかかった ひの ように、えじぷとの くにから のぼって きた ときの ように、こたえる であろう。しゅは いわれる、その ひには、あなたは わたしを 『わが おっと』と よび、もはや 『わが ばある』とは よばない。)
ほせあしょ、だい に しょう、 14だんらく、 15だんらく、 16だんらく
日本聖書協会、『口語訳聖書』、せいれき 1955ねん、https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3) から いんようした。*2
だから、 いつ すまう ところで あった おだやかな きょうかい から、わたしを おいたてられるか、 わが しゅ(主)、 わが おっとは おんみ じしんで かんがえられたのだ。わたしの こころに しんくう(vacuum)を つくる ことで そう された のだ。 あのかたの すまう ところに ある、 あのかたの すべては いかなる ものも さばくには いかない。 しぜんは しんんくう(vacuum)を きらい、 ひとの こころは しんらばんしょうに おける ほかの なにもの よりも しんくう(vacuum)を きらう。 しゅうきょうの さくひんの なかでの かつどうも、 かがくてき じっけんの なかでの せいかも、 みたす ことが できない じぶんじしんの なかの あきち(empty space)を ひょうげんした。この からっぽ(emptiness)の まさに それ じしんの ほんせいに きがつく ことは できなかった。おそらく あるのだろう。 けんこうは どんどん まずくなっていって、 きゅうけいと ひかくてき かんたんな かだいに あこがれた*3。いや、きゅうそくに おとならしく〔おとこらしく、にんげんらしく*4〕なり ながら、ゆうこう(友好)への あの うちかてない せいりてき ようきゅう(call of nature)〔しぜんの よびかけ〕に よって、かなり やつれた かんじと、 からっぽ(empty)の かんじを うけさせられたの だろう。とにかく、 しんくう(vacuum)が あり、 なんとかして なにかで みたさないと いけない。 なにかは この ぼやけた ところに あり、 その せいで しあわせで まんぞくする ように かんじを する ことに なれた のだ と おもった。しかし、 その なにかが なにで あるかに ついて なにも わからなかった*5。せいりがくしゃが めすで だいのう(大脳)を うばわれた はとの ように、 うごきはじめたが、 どこへ いくのか、そして なにゆえ いく のか しらなかったが、とどまれなかった から なのだ*6。それ いらい、この しんくうを みたし つくす という この ひとつの かだいに すべての えねるぎーを そそいだ。」
Kanzō Uchimura, A heathen convert(うちむら・かんぞう、ある かいしんした いほうじん)、せいれき 1895ねん、How I Became a Christian: Out of My Diary、Keiseisha(けいせいしゃ、警醒社)、76-77ぺーじ。(https://books.google.co.jp/books?id=tdMYAAAAYAAJ&dq=uchimura+kanzo+how+I+became&hl=ja&source=gbs_navlinks_s

「しんくう」に にている ことばは、 "vacuum"(しんくう)、 ”empty space”(あきち)、”emptiness”(からっぽ)、 ”empty”(からっぽ)など である。
ほかの ぶぶんでは、 ”vacuum” ’(しんくう) という ことばは ない ようだ。
うちむら・かんぞうも ぶつりがくと きりすときょうの はなしとして 「しんくう」という ことばを つかっている。
しんくうは なにかで みたされる。
えねるぎーと しんくうは かんけいしている。
しんくうは くるしみと かんけいする。
きたいと おなじように こころにも しんくうが ある。
このような かきかたは、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆと にている かんがえかたを している。

しんくうは だれから?

ないようの はなしは ここまでに する。
つぎに、 ぎろん したい のは、では、 うちむら・かんぞうが しんくうという ことばの この ような つかいかたを した はじめての もの なのだろうか? という ぎもん である。
うちむら・かんぞうは、 とくに だれかを さんこうに したとは かいていない。
そこで、 まわりの じょうほうを あつめた。
うちむら・かんぞうは、 この ぶんしょうを かいたと かんがえられる せいれき 1882ねんには さっぽろ・のうがっこうを そつぎょうしていた。
のうがくの べんきょうを していたのである。
かなりの えりーとで あったので、 とうじの ぶつりがくの しんくうの はなしは もちろん しっていた だろう。
しかし、 ほんとうに しんくうの はなしを しっていたかは まだ わからない。
たとえば、 ぶつりがくしゃの ながおか・はんたろうたちが せいれき 1888ねんに しんくうという やくごを つくったと かんがえられている (林主税(はやし・ちから)、せいれき 2009ねん、「日本の真空ことはじめ」、Journal of the Vacuum Society of Japan, 2009, 52 巻, 6 号, p. 303-312, 公開日 2009/07/15, Online ISSN 1882-4749, Print ISSN 1882-2398, https://doi.org/10.3131/jvsj2.52.303, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jvsj2/52/6/52_6_303/_article/-char/ja/)。
うちむら・かんぞうは えいごで きょういくを うけていた ため、 にほんごで しんくうという ことばが つかわれてなかった ことは、 うちむら・かんぞうが 1882ねんに しんくう という ことばを かいていなかった しょうこには ならない。
おそらく、 えいごで にっきを かいていた かのうせいも たかい からだ。
えいごで にっきを かいていたのか、 にほんごで にっきを かいていたのかは しらべられていない。
しかし、 ともかく、 うちむら・かんぞうは しんくうを しっていたに ちがいない とは いえない ことが わかった。

そこで、 さっぽろ・のうがっこうで ぶつりを おしえていた ものを しらべた。
「北大の英語教育、札幌農学校の記録でたどる札幌留学の時代」(せいれき 2015ねん)(https://www2.lib.hokudai.ac.jp/archive/node/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E8%BE%B2%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2/%E8%BE%B2%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%A0/ )に よると、 Peabody という なまえの ものが ぶつりを おしえていたと わかる。
Peabodyは、 Cecil Hobart Peabody(セシル・ホバート・ピーボディ(1855ねん から1934ねん))である。
ぴーぼでぃーは あめりかがっしゅうこくから きた せんせいで、 すうがくや ぶつりを おしえたらしい。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3、 せいれき 2021ねん 2がつ 24にちに さいごに よんだ。)
さて、 この ぴーぼでぃーの ほんを ちょくせつ よむ ことは できなかった。
しかし、 この ぴーぼでぃーは、 ふねの こうがくや ぼいらーなどの ねつこうがくが せんもんである らしい。(http://rklab.mit.edu/peabody.html、 せいれき 2021ねん 2がつ 24にちに さいごに よんだ。)
まず、 ふねでは、 ふねから みずを だす はいすいの ぎじゅうが たいせつだ。
そして、 はいすい ぎじゅうは、 しんくう ぽんぷの ぎじゅつに つながる。
さらに、 ぼいらー では、 しんくう ぎじゅつを つかうのだ。
ぼいらーとは そもそも、 みずを あつくして じょうきに する ことで、 だんぼうに つかったり、 じょうききかんとして なにかを うごかしたり する ための きかいである。
くうきの あつりょくが ひくい ほうが ひくい おんどで みずは きたいに なる。
つまり、 しんくうに する ための ぎじゅつが かなり たいせつ なのだ。
とうじ、 じっさいに しんくう ぎじゅつが どれだけ つかわれていたかは わからないが、 うちむら・かんぞうが ぴーぼでぃーから しんくうの はなしを ならっていた かのうせいは とても たかい。
かった。
だいさんぶ、かん。

うちむら・かんぞうと てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆ

では、 おわりに むかおう。
うちむら・かんぞうの この ほん、「よは いかにして きりすと しんとと なりしか 」は、 えいごで とても ゆうめいであり、 ふらんすごにも はやく から ほんやくされていた という ことを おもいだそう。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは ふらんすごも えいごも つかっていた。
さらに、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは にほんの すずき・たいぜんの ぶんしょうを よんでいた ことも おもいだそう。
この ような じょうきょうで、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが うちむら・かんぞうの この ほん、「よは いかにして きりすと しんとと なりしか」を よんでいた かのうせいは とても たかい だろう。
なにせ、 うちむら・かんぞうは とうじの にほんの きりすときょうとで、せいようで いちばん ゆうめいと いっても いいよう じんぶつである。
さらに、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆも きりすときょうに ついて かんがえた しそうか でも ある。

しかし、 それ ならば、 なぜ うちむら・かんぞうを さんこうに したと かかなかった ので あろうか?
その りゆうは いろいろと かんがえられる。
まず、 『かいえ』は じぶんの ための おぼえがきである。
おぼえがきには、 あたりまえの ことを かかない ものだ。
もし、じぶんで こうかいするなら、 うちむら・かんぞうを さんこうに した ことを かいた かのうせいは あった かもしれない。
しかし、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが しんだ あとに、 『かいえ』は いちぶ こうかい された。
この ような ばあいには、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが じっさいには うちむら・かんぞうを さんこうに していても、 その ことを かかない ことは じゅうぶんに かんがえられる。

つぎに、てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは、 こだい ぎりしあの ぶんかが すきであった ことが りゆうに なると おもわれる。
いまの がくもんの せかいでは、 だれが いったのか、 だれの はなしを さんこうに したのかは、 あきらかに しないと ぬすまれたと かんがえられる。
しかし、 こだい ぎりしあから、 かなり ながい こと、 だれの はなしを さんこうに したのか などの はなしは べつに いわなくても よかった のである。
がくもんを している ものが すくない という ことも あったのだろう。
だれが いったかは いわなくても わかる ことも おおかった だろうし、 もんだいなのは だれが いったか では なく、 どう おもしろく せっとくりょくが ある しかたで ぎろんを くみたてられるか という ところで あったの だろう。
それに、 いんさつの ぎじゅつも なかった ころには、 きおくで かく ことが おおかった だろう。
ほんを てにいれるには、 かきうつす しかない じだいも あった。
ただしく いんようするのは、 むずかしかった じだいも あった。
その ような でんとうに はまっていた てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが、 だれが いったかを もんだいに しなかった かのうせいも かんがえられる だろう。

さいごに、 そもそも てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが うちむら・かんぞうの ぶんしょうを よんでいなかった かのうせいさえ ある。
そもそも、 じぶんが かいた はなしは じじつと ぜんぜん ちがって、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆも うちむら・かんぞうも ふたりとも それぞれ じりきで おもいついたの かもしれない。
きりすときょうの きょうかいで ほかの ものが うちむら・かんぞうに えいきょうされて つかった ことばを さんこうに した の かもしれない。
せいじうんどうの あつまりで、 ほかの ものが うちむら・かんぞうに えいきょうされて つかった ことばを さんこうに した の かもしれない。
そして、 うちむら・かんぞうも てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆも おなじ ひとの はなしを さんこうに しているが、どちらも だれを さんこうに したか かいていない という かのうせいも かんがえられる。
とくに、 きりすときょう かんけいの ひとを さんこうに している ばあい、 じぶんには わからない。
そして、 この かのうせいは かなり ありえると おもう。
とくに てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが さんこうに している、 じゅうじかの よはねという ひとが じゅうりょくという ことばを つかっている かのうせいも あると じぶんは よそうしている。

てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが うちむら・かんぞうに ついて かいていたり、 うちむら・かんぞうの ぶんしょうを いんようしているのが みつかれば、 じぶんの せつも かのうせいが たかまると おもう。
じぶんの せつとは つまり、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが うちむら・かんぞうを よんで、 または その えいきょうで じゅうりょく という ことばを つかいはじめた という よそう である。
もちろん、 だれの えいきょうで かいたかは あまり たいせつ ではなく、 どのように かいているかが もんだい である。
しかし、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆが あまり はっきりと かいていないので、 ほかの ものが どのように かいているかを さんこうに するのは、けっこう うまい ほうほう かもしれないと おもって、 この ぶんしょうを かきはじめた。
さいごに、 うちむら・かんぞうの しんくうに ついて かんがえる ことで、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆの しんくうを かんがえる てだすけに したいと おもう。

うちむら・かんぞうから てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆへ

うちむら・かんぞうの 「しんくう」という ことばは、 いろんな ものに よって よまれてきた みたい である。
むん・じょんほ(文禎顥)「名古屋学院大学建学の精神「敬神愛人」の源流を辿る―内村鑑三の「真空(vacuum)」概念を手掛かりに―」、名古屋学院大学論集 社会科学篇 第 55 巻 第 2 号 pp. 287―314も その ひとつ である。
むん・じょんほは、 307ぺーじで つぎの ように かく。

「再婚への欲求や不健康や罪意識など個人的な問題が内村の真空問題の背後にあると推測されるが,彼の内面にできた真空の直接的な原因は,例えば愛と友愛のない排他的な教派主義,すなわち礼拝堂建築過程においてメソジスト教会から脱会しようとする内村らに対して建築支援金の返納を求める教団の措置などが挙げられる。このような冷たい仕打ちを経験することで,キリスト教への懐疑を持つようになる。さらにそれは自分のキリスト者としてのアイデンティティに対する懐疑になって彼を苦しめるのである。そうして彼の内面に発生したのが何もない空っぽの状態,真空の状態である。」
(さいこんへの よっきゅうや ふけんこうや つみいしきなど こじんてきな もんだいが うちむらの しんくう・もんだいの はいごに あると すいそくされるが,かれの ないめんに できた しんくうの ちょくせつてきな げんいんは,たとえば あいと ゆうあいの ない はいたてきな きょうはしゅぎ,すなわち れいはいどう けんちく かていに おいて めそじすと・きょうかいから だっかい(脱会)しようと する うちむららに たいして けんちく しえんきんの へんのう(返納)を もとめる きょうだん(教団)の そちなどが あげられる。このような つめたい しうちを けいけんする ことで,きりすときょうへの かいぎを もつ ように なる。さらに それは じぶんの きりすとしゃとしての あいでんてぃてぃに たいする かいぎに なってかれを くるしめる のである。そうして かれの ないめんに はっせいした のが なにもない からっぽの じょうたい,しんくうの じょうたいである。)
むん・じょんほ(文禎顥)「名古屋学院大学建学の精神「敬神愛人」の源流を辿る―内村鑑三の「真空(vacuum)」概念を手掛かりに―」、307ぺーじ、名古屋学院大学論集 社会科学篇 第 55 巻 第 2 号 pp. 287―314.

この はなしは しんくうが くるしみを あたえられた けいけんから でてくる という はなしが てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆと にている。
さらに、 うちむら・かんぞうは、 くるしみが あたえられる ことを あいが ない こと、 かみの あいや かみへの あいに きがついている きりすときょうとが あくを なす こと だと かんがえていた ことが わかる。
これは、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆでも おなじ ぎろんに なる かのうせいが たかい。
もちろん、 あいが だいきらいな じぶんに とっては、 ぎろんに おいて てきの いけんに なり、 まったく せっとくりょくを かんじられない。
しかし、 りかいする ための てだすけには なる。
さらに、 うちむら・かんぞうに とって、 しんくうを みたす ためには、 じっせんてきな あい、 つまり じぜんが だいじで あった ことを してきできる(とくに、むん・じょんほ(文禎顥)「名古屋学院大学建学の精神「敬神愛人」の源流を辿る―内村鑑三の「真空(vacuum)」概念を手掛かりに―」、 305ぺーじ から 306ぺーじ、名古屋学院大学論集 社会科学篇 第 55 巻 第 2 号 pp. 287―314.)。
このような ことを かんがえると、 うちむら・かんぞうは にほんという くにに あいちゃくが あり、 にほんの ために ぎろん したに せよ、 にほんの しんりゃく せんそうに はんたいした もの であり、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは すぺいん せんそうで ふぁしすとに よる しんりゃくに たいして たたかった もの であり、 ろうどうしゃへの よくあつに はんたいして、 ふらんすでは ぜねらる・すとらいきに さんかしたり しらべたり した もの であり、 なちす・どいつの ふらんす せんりょうに はんたいした じゆう・ふらんすで かつどうした もの でも あった。
さらに いえば、 てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは、 ふけいじけんの うちむら・かんぞうと おなじように あまり せきにんが ない ことで せめられ、 がっこうで おしえる ことを やめなければ いけなかった。
る・ぴゅいじけんと いわれる らしいが、 ちゃんとした ぶんしょうを みつけられなかった。
てつがくしゃで せいじうんどうかの しもーぬ・ヴぇいゆは、 せいじうんどうか であった。
くみあいうんどうを していた。
こうじょうで はたらいた ことも ある(とみはら・まゆみ、せいれき 2017ねん、「訳者あとがき」、『重力と恩寵』440ぺーじ)。
のうぎょうを していた ことも ある(とみはら・まゆみ、せいれき 2005ねん、「解説」、シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』、岩波書店、178ぺーじ)。

さいごに。

ぜねらる・すとらいき!
おんなの ものと みなされる かじろうどうも ふくめて、 すべて とめよう。
あらたに くるしむ ものを うまれさせるのを やめよう。
「創造の放棄」(そうぞうの ほうき)(しもーぬ・ヴぇいゆ(とみはら・まゆみ やく)『重力と恩寵』、「二 真空と代償作用」、20だんらく、27ぺーじ。)

いたい。
さいとう・まの

*1:ただし、 ここの かいしゃくは べつの かいしゃくも ありえる ようだ。 たとえば、 ほせあしょ、 だい にしょう 25せつを「あなたは長くわたしの所にとどまって淫行をなさず、また他人のものとなってはならない。わたしもまたあなたにそうしよう」(https://tatebayashi-kk.org/kyuyaku/hosea.html#Idx-06)と やくすのか、 「わたしはわたしのために彼を地にまき、あわれまれぬ者をあわれみ、わたしの民でない者に向かって、『あなたはわたしの民である』と言い、彼は『あなたはわたしの神である』と言う」」(https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3))と やくすのか、「私は彼女を地に蒔き/ロ・ルハマを憐れみ/ロ・アンミに向かって/「あなたはわが民」と言う。/彼もまた言う。「わが神よ。」」(https://www.bible.or.jp/read/titlechapter.html) とやくすのかで おおきく いみが ちがう。すべて せいれき 2021ねん 2がつ 23にちに さいごに みた。

*2:せいれき 2018ねんの 日本聖書協会の 聖書協会共同訳の ホセア書 二章 16節、17節、18節 では、 つぎのように やくされている。 「16:ホセア書/ 02章 16節 それゆえ、私は彼女をいざない/荒れ野に導いて、彼女に優しく語りかける。 17:ホセア書/ 02章 17節 私はそこで、ぶどう畑を彼女に与え/アコルの谷を希望の門として与えよう。/彼女はそこで、おとめであった日々のように/またエジプトの地から上って来た時のように/私に答える。 18:ホセア書/ 02章 18節 その日になると/あなたは私を「わが夫」と呼び/もはや再び私を「わがバアル」と呼ぶことは/なくなる――主の仰せ。」 https://www.bible.or.jp/read/titlechapter.htmlで けんさく できる。 ちょくせつの りんくは つくれなかった。せいれき 2021ねん 2がつ 23にちに さいごに みた。

*3:"What the exact nature of that emptiness was, I was not able to discern. May be, my health was getting poor, and I yearned after repose and easier tasks."

*4:manhoodは、 おとならしい こと、 おとこらしい こと、 にんげんで あること などの いみが ある ほか、おとこの せいてき のうりょく、 おとこの ぺにすの いみが ある。これは、 おとこという いみが ある man(まん)という ことばが にんげんや おとなという いみが ある。

*5:I had no idea whatever of what that something was.

*6:Like a pigeon that was deprived of its cerebrum by the knife of a physiologist, I started, not knowing whither and wherefore, but because stay I could not.