さいとー・ま

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動物倫理読書会04

メモ

農業革命による人口増加には工場式畜産が関係しているのか?
農作物と人口増加は対応する。
農作物の増加によって、工場式畜産になるのか。
放牧は農作物を使えない。
農作物を飼料として与えるなら、放牧が禁止される。なぜなら、高い栄養価のものを食べなくなってしまう。
工場式畜産には農作物が必要。

ゲイリー・フランシオンの「殺戮」(24ページ)という言葉の元の言葉は何だろうか。killなら殺害、genocideなら虐殺だろうが…?

食肉企業による豊かさの発展段階のイメージは、鶏肉と卵、豚肉、乳製品、牛肉という順番になっている。
アメリカ合衆国の食肉牛の消費量は日本の4倍。

生産性と健康のバランスをとっているのか?→健康というと、寿命までというイメージがあるので、死なない程度のバランスと言えるのではないか?
ポストヒューマニズムによる擁護によると、畜産業にとっては、業者なりにケアをしている。それは産業を成り立たせるため。
現状の畜産の改善か、全廃か。
苦しみが中心になっている気がする記述であるので、健康との
本来の生活とは違う生活を送らされることは悪なのか。
運動機会の剥奪や食生活。→苦しみにも還元できるし、本来の生活とは違うという方向にも解釈できる。
苦しみが取り除かれても、元とは違うものでは悪という考え方。
一生麻酔状態で肉だけ取るときの悪さ。
福祉論者のヌスバウムの潜在能力アプローチから自然なあり方を考察して自然なあり方で分離する。
苦しみとしたときの、短い生のあり方。
苦しみは痛覚だけではない。
個体になっていると、種にとってのケイパビリティを考えられるけど、個体になってないと考えにくい。
ヌスバウムアリストテレス主義者)にとっては、種の本質を考えられる。花開く本質を考えている。馬なら走れる、集合をできる。安全な住居、衛生的な水、教育関係は、人間らしく花開くための客観的リストとして決まっている。満たされていない人がいることを問題視している。押しつけがましい、エイブリスト的。畜産を批判するときにらしさからの距離感をできる。
でんぷんが多くなると、phが変わる→第一の胃の微生物が減る→反芻ができなくなる。

https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/matsusakaushi/sodateru.html

肥育農家はそれぞれ独自に創意工夫して
その牛の状態や体調に合わせた管理を行っています。
牛が食欲がないときは、食欲増進のためにビールを飲ませたり、
肉質を柔らかくするために焼酎でマッサージを行ったりする農家もいます。

丹念にブラッシングや洗体といったスキンシップをすることで、
牛は人間を信頼し、ストレスを感じることなく、健康に育ちます。
牛のストレス解消と足腰を強くするため、散歩をさせる農家もいます。

これを業界側は大切にするといい、反対派は「無理矢理食べさせる」と解釈する。