さいとー・ま

さいとー・ま

さいとう・まの。おしごとは manoestasmanoあっとgmail.com (あっとを いれかえてください)まで。

らかん、ろーまこーえん24


http://ecole-lacanienne.net/bibliolacan/seminaires-versions-critiques/
Rapport-de-Rome-3-versions-I-1.pdf http://ecole-lacanienne.net/wp-content/uploads/2016/04/Rapport-de-Rome-3-versions-I-1.pdf
p. 21(22/38) 5だんらくめ-p. 22(23/38) 1だんらくめ

http://aejcpp.free.fr/lacan/1953-09-26b.htm
1, 2, 3

Les jeunes analystes qui s’en laisseraient pourtant imposer par ce que ce recours implique de dons impénétrables, ne trouveront pas mieux pour en rabattre qu’à se référer au succès des contrôles mêmes qu’ils subissent. Du point de vue du contact avec le réel, la possibilité même de ces contrôles deviendrait un problème. Bien au contraire, le contrôleur y manifeste une seconde vue, c’est le cas de le dire, qui rend pour lui l’expérience au moins aussi instructive que pour le contrôlé. Et ceci presque d’autant plus que ce dernier y montre moins de ces dons, que certains tiennent pour d’autant plus incommunicables qu’ils font eux-mêmes plus d’embarras de leurs secrets techniques.

わかい ぶんせきかたち わ、 この たのみ の つな わ ふかかいな てんさい お ぜんてい と している とゆー こと に よって、 それでも それ お 真に受けさせられている わかい ぶんせきかたち わ、 かんがえなおすため に わ、 うけている かんとく(すーぱーびじょん) の せいこー お さんこー に できる こと より も よく できる こと わ ない。げんじつ と の せっしょく とゆー かんてん から、その かんとく(すーぱーびじょん) の かのーせい そのもの が ひとつ の もんだい と なる だろう。むしろ はんたい に、 かんとくしゃ(すーぱーびじょんする ひと) が そこ で しめす の わ、 にこめ の してん(せんりがん) であり、こーゆー の が ただしい の ですが、この にこめ の してん(せんりがん) わ かんとく お うける ひと(すーぱーびじょん お うける ひと) に とって も かんとくしゃ(すーぱーびじょんする ひと) に とって も、 たいけん が すくなくとも きょーいくてき である よー に する の である。そして、 この こと わ こーしゃ(かんとくされる ひと) が そこ で しめす もの が この さいのー が より すくない とゆー こと である だけ ますます ほとんど そー である。その さいのー お その ひと たち じしん が ぎじゅつてき な ひみつ お もったいぶる いじょー の こと お する だけ ますます より つたえなられない もの である と かんがえる ひとたち も いる だけ ますます。



〔分析主体との現実的接触という到底不可能な〕この頼みの綱が予想させる不可解な天賦の才を真に受けさせられている若い分析家たちは、彼ら自身が受けるスーパービジョン[controle]の成功を目指すのがせいぜいであって、それ以上のことは考えられないでしょう。


「このような呪文を使う者が振りまく不可解な才能のように見えるものに、若い分析家たちはつい引き込まれやすいものだ。そんな時、彼らによっては、自分が受けてきた監督分析を振り返ってみること以上に、正気に戻る良い手立てはないであろう。」

Les jeunes analystes qui s’en laisseraient pourtant imposer par ce que ce recours implique de dons impénétrables, ne trouveront pas mieux pour en rabattre qu’à se référer au succès des contrôles mêmes qu’ils subissent.

わかい ぶんせきかたち わ、 この たのみ の つな わ ふかかいな てんさい お ぜんてい と している とゆー こと に よって、 それでも それ お 真に受けさせられている わかい ぶんせきかたち わ、 かんがえなおすため に わ、 うけている かんとく(すーぱーびじょん) の せいこー お さんこー に できる こと より も よく できる こと わ ない。

s’en laisseraient pourtant imposer

それでも それ お 真に受けさせられている

par ce que ce recours implique de dons impénétrables

この たのみ の つな わ ふかかいな てんさい お ぜんてい と している とゆー こと に よって

un don

さいのー、おくりもの

impénétrable

はいりこめない、かんつーできない
ふかかいな、ふかちの、うかがいしれない

ne trouveront pas mieux pour ... qu’à

たんじゅんみらい
trouver mieux qu’à
…することにせいこーする こと よりも よく できる
ne trouveront pas mieux pour ... qu’à
…するためには、~することよりも よく できる こと わ ない。
→…するためには、~すること が もっとも よく できる。

en rabattre (pourため)

1野望、主張などを捨てる、抑える、幻想を捨て去る
2過大評価を改める、考え直す

se référer à

を 典拠とする、を参照する

Du point de vue du contact avec le réel, la possibilité même de ces contrôles deviendrait un problème.

現実界との接触[contact avec le reel]という観点からは、そのスーパービジョンの可能性そのものが一つの問題となるのです。
げんじつ と の せっしょく とゆー かんてん から、その かんとく(すーぱーびじょん) の かのーせい そのもの が ひとつ の もんだい と なる だろう。

Bien au contraire, le contrôleur y manifeste une seconde vue, c’est le cas de le dire, qui rend pour lui l’expérience au moins aussi instructive que pour le contrôlé.

むしろ はんたい に、 かんとくしゃ(すーぱーびじょんする ひと) が そこ で しめす の わ、 にこめ の してん(せんりがん) であり、こーゆー の が ただしい の ですが、この にこめ の してん(せんりがん) わ かんとく お うける ひと(すーぱーびじょん お うける ひと) に とって も かんとくしゃ(すーぱーびじょんする ひと) に とって も、 たいけん が すくなくとも きょーいくてき である よー に する の である。

seconde vue

せんりがん

Faculté d'une personne prétendant voir par l'esprit des choses inexistantes ou absentes.

そんざいしない もの や ない もの お せいしん お かいして みる と しゅちょーする ひと の のーりょく
https://www.linternaute.fr/dictionnaire/fr/definition/seconde-vue/

seconde vue (n.f.)

1.don supposé pour percevoir les choses autrement que par les sens.

http://dictionnaire.sensagent.leparisien.fr/SECONDE%20VUE/fr-fr/

Double vue, seconde vue, prétendue faculté de voir des choses qui existent ou se passent dans des lieux éloignés ; clairvoyance que posséderait une personne plongée dans le sommeil magnétique ; grande perspicacité.
存在する、または離れた場所で起こっていることを見る能力を主張する能力; 磁気睡眠で沈み込んでいる人が持つ千里眼。素晴らしい洞察。

https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/vue/82638/locution?q=vue#184632

c’est le cas de le dire

その言葉は的を得ている

instructif/instructive

教育的な、有益な
conversation instructive
ためになる会話

Et ceci presque d’autant plus que ce dernier y montre moins de ces dons, que certains tiennent pour d’autant plus incommunicables qu’ils font eux-mêmes plus d’embarras de leurs secrets techniques.

そして、 この こと わ こーしゃ(かんとくされる ひと) が そこ で しめす もの が この さいのー が より すくない とゆー こと である だけ ますます ほとんど そー である。その さいのー お その ひと たち じしん が ぎじゅつてき な ひみつ お もったいぶる いじょー の こと お する だけ ますます より つたえなられない もの である と かんがえる ひとたち も いる だけ ますます。

「だから、監督される者は、例のあの不可解な才能をあまり示せなかったからといってがっかりするには及ばないわけである。ただし、監督者のうちのある種の人々は、こういうときに、例の才能は、ことばで伝えようと言われても難しいのだよなどと言って、自分たちの技法のこつについてますます勿体ぶってみせたりするのであるが。」

presque

ほとんど

d’autant plus que

…であるだけますます

incommunicable

伝達できない、断絶した、交流のない、譲渡できない、感情などが人に伝わらない、打ち解けない

faire de l'embarras

話)もったいぶる
un embarras
しょうがい、じゃま、めいわく、こんわく、とーわく、きゅーち、くきょー