さいとー・ま

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BTM-3-6 同一化、禁止、「ポジション」の不安定性 p. 64-66

3 幻想的同一化とセックスの引き受け
3-1
3-2 同一化、禁止、「ポジション」の不安定性
3-3
3-4
3-5
3-6 deflection 逸らされ compel 強要する

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それゆえ、同一化は一定の欲望や欲望の媒体としての行為を防ぐことができる。一定の欲望を促進するために、他の欲望を防ぐ必要があるのだろう。同一化は欲望のこの両義的禁止と生産が生じる場である。もしセックスを引き受けることがある意味で「同一化」であるのなら、そのとき同一化は禁止と逸らされが執拗に取り決められる場であるように思える。セックスに同一化することは、想像的な脅しとのある関係性において、それが想像的であるというまさにその理由によって力強く、想像的にかつ力強くあることである(imaginary and forceful, forceful precisely because it is imaginary)。

ward off (きけん、だげきなど)をかわす、うけながす、ふせぐ、ちかづけない

ward off inflation/violence/cancer いんふれ/暴力//がんを防ぐ

facilitate を容易にする。を促進する

negotiate 交渉して取り決める

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「ファルスの意味作用」において、去勢をおいて、ラカンは男/人間(Mensch)は自身のセックスの引き受けに内在するアンチノミーに直面すると指摘する。「なぜ彼は脅しを通じてのみ、または剥奪を装ってまでその[セックスの]属性を取り上げるに違いないのか?」(ローズ、75)注4。象徴的なものが身体を、その身体を脅すことを通じて、想像的な脅し、去勢、なんらかの身体的部分の剥奪の展開/生産を通じて、セックスによって印付ける。これは象徴的刻印に服従させることを拒否される一部=陰茎を失うことになる男性的身体に違いない。象徴的刻印がなければ、その身体は否定されるだろう。それで、この脅しはだれにむけられるのか?その刻印のために用意された震える身体を生産する法、最初に恐怖で身体を印付け、セックスの象徴的なスタンプで再び身体を印付けることになってしまうような法、法によって強要されることがありうる恐怖をもつ身体、法の前で震えている身体はあるに違いない。法を引き受けることは、法に従うことは象徴的なものによって目立たされた(=すっかり印付けられた)性的ポジションとの想像的な提携を生産することであるが、つねにそのポジションに近づくことの失敗でもあり、この想像的な同一化と象徴的なものの間の距離を懲罰、服従の失敗、アブジェクション〔=棄却〕の亡霊の脅しとして感じることである。

after an aside on ☆おいておいて

deployment はいち、てんかい

member 体の一部、陰茎

accede to に同意する、従う、を受け継ぐ、に加盟する

mark out めだたせる

alignment with との提携

203

注4ジャック・ラカン「ファルスの意味作用」75ページ、原文は”Il y a là une antinomie interne à l'assomption par l'homme (Mensch) de son sexe : pourquoi doit-il n'en assumer les attributs qu'à travers une menace, voire sous l'aspect d'une privation? ”(Ecrits, II, p. 103−4)

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もちろん、女性はつねにすでに罰された、去勢されていると、そして男根的規範との関係はペニス羨望であることになると言われる。そしてこれは最初に起きたはずである、というのも男性はこの去勢の形象をじっと見つめる(look over)かこの去勢の形象が目に入り、そこへのいかなる同一化も恐怖するからである。彼女のようになること、彼女になること、これが去勢の恐怖で、したがってペニス羨望に陥ることへの恐怖でもある。男性としてのセックスを印付ける象徴的なポジションはそこを通じて男性的セックスがファルスを「持つ」と言われるものである。これは想像的なそしてしたがって不適切な同一化を懲罰の脅しを通じて、つまり女性化の脅しを通じて強要する(compel)ものである。したがって、そのときファルスを持つというこのポジションに同一化しようとする想像的な男性的努力において前提とされているのは、何らかの不可避の失敗、持つことの失敗、そしてペニス羨望を持つことの切望、それは去勢の恐怖の反対ではなくまさにその前提である☆(there is then presupposed in the imaginary masculine effort to identify with this position of having the phallus, a certain inevitable failure, a failure to have and a yearning to have a penis envy which is not the opposite of the fear of castration but its very presupposition)。去勢は恐怖されられることはないかもしれない、もしファルスがすでに着脱可能で、すでにどこかにあって、すでに取り上げられている(dispossessed)のなら(仮定法)☆。去勢不安の強迫的没頭(preoccupation)を構成するのは、それが失われうることになるという亡霊(it is not simply the spectre that it will become lost that constitutes the obsessive preoccupation of castration anxiety)であるだけではない。それはつねにすでに失われているという承認の亡霊、それをもっていたかもしれないという幻想を打ち破ること――ノスタルジーの指示対象の喪失である☆(it is...)。もしファルスがそれに同一化しようとする努力すべてを超えているのならば。その時ファルスに近づくこの失敗は、ファルスへの想像的なものの必然的な関係を構成している。この意味で、ファルスはつねにすでに失われている、そして去勢の恐怖は幻想的な同一化が象徴的なものと抵触して象徴的なものに対して溶けていくだろうという恐怖、この象徴的権力への最終的な従順はありえないという承認の恐怖であり、これはすでにしたことがあるはずの、すでに作用している程度での☆(in some already operative way)、承認であるはずだ。

没頭(preoccupation)

collide 衝突する、一致しない、with抵触する