さいとー・ま

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ラカン『フロイトの技法論』01

ラカンフロイトの技法論』のメモ。
5ページの
ランガージュ
3. Au fig. Manifestation du réel ou de l'imaginaire considéré comme un ensemble de signes porteurs de signification.

科学では現実は捉えられない。
演繹では捉えられない。
ランガージュを構造という意味で使う。無意識を支配する規則という意味で使う。
Il y a d’abord un langage humain tout formé pour nous 日本語とかの言語のこと。
新しい概念を作りたいけど、結局それも今の使っている言語に依存するということ。
四文目「なぜならば」はついていない。

Il faut toujours introduire les symboles, mathématiques ou autres, avec du langage courant, il faut expliquer ce qu’on va faire.
今使っている言葉遣いからシンボルを導入しなければならない、しようとしていることを説明しなければならない。
ラボワジェみたいに概念を作らないといけない。

精神分析家として無意識を扱えるような概念を作らないといけない。

On est alors au niveau d’un certain échange humain, à celui du thérapeute, où FREUD se trouve malgré sa dénégation.
こうしてその時人間的交流の水準、治療的な水準にいます。そこにフロイトは否認しているにもかかわらずいました。
人と人の関係という治療の水準に居る。
フロイトは科学者であろうとした。もともと神経学者だった。

精神分析家が導入する概念はいつでも使えるものか、その時々に作られる。分析では概念を分析においてでてくる言葉遣いをつかって導入する。
分析主体の言葉を繰り返すことが解釈になる。
解釈は精神分析家がやるもの、区切りをいれるもの。ラカン派だと繰り返すだけとか、セッションをやめるも含まれる。
解釈の機能が句切り。
その意味を分析家との関係で理解して伝えることがクライン派のよくある解釈。
フロイトがとんでも説を提示することで解釈であった。それで区切っていた。
夢を無意識の言葉として翻訳することを解釈という。

メタ心理学の水準なのかべたな心理学の水準なのか。
文脈ではメタ心理学の話な気がする。
後の文脈も踏まえてもメタ心理学な気がする。
思弁を禁じていた。
『快原則の彼岸』死の欲動:自分が苦しむような
フロイト「これは思弁」
思弁があやまったランガージュ、無意識という現実に即していないといけない。

Mais considérons la notion du sujet : quand on l’introduit, on s’introduit soi-même, l’homme qui vous parle est un homme comme les autres, il se sert du mauvais langage.
ヘーゲル:自己は自我のなかにある。自我は無意識的な観察をするようなもの。精神章の最初。自我は自己をカテゴリーとして捉える。カテゴリーとしての自己は一面的である。
間違ったランガージュ=思弁
思弁を使う人は全ての他者と同じような人

転移は、分析主体が分析家に抱く感情のこと。
特に、愛は陽性転移、憎しみは陰性転移という。
転移は分析で重要で、分析の継続が関わるから。憎しみが強くなると来なくなる。愛してくれると、分析家のためと分析主体が分析をできる。
転移は、昔の関係を反復するから。親を分析家に重ねる。その人を見ている訳ではないと分析家は心得ること。
逆転移は、分析家が分析主体を親と重ねてする。

フロイト自身も自己分析をした
精神分析家は分析主体になる必要

精神分析の最初の対象は神経症は、転移性神経症であり、転移が起こる。
相手を昔の関係の繰り返しとして見る。
分析家も昔の関係を繰り返すことを認識しなければいかない。
昔の関係の繰り返しが間違ったランガージュ。
昔の関係:発達ででき上がった型。、親との関係。
このころのラカンは、仮説、間違ったランガージュを、正しいランガージュで認識すればうまくいくと考えていたかもしれない。

主体はsujet=患者なので、患者について考える時は分析家が自分についても導入することになる、分析家が話している相手の分析主体は他の一般の人々と同じく普通の人であって、思弁する人であって、間違ったランガージュを使っている。フロイトは初めから自分自身を分析しないと神経症は分析がすすまない。

構造主義ラカン
構造は、
『ダニエルラガーシュについての注記』

アンチ精神分析の構造として主体性を考えている。
精神分析の構造によって現象がはっきりする。
構造を考えなければいけない、主体性にとどまらない。

2人だけではない。
分析主体が転移のための元の関係で一人、そして、分析家の転移のための元の関係で一人、合計四人。
4が大好きなラカン
比が理性なので、
主体性(二者関係)だけでなく、分析における四者関係を考えないといけない。

ラカンモリエールが好き。17世紀の劇作家。
神経症と精神病の違い。転移が起こりやすい神経症、父の名の排除が起こる精神病。神経症はこの人みたいになればいいのだという生き方のモデルがある。
ユングは心理学的に人に備わっているパターンを考えたけど、それは分析の四者関係ではない。
精神分析家が神経症であることで、逆転移が起きるので、精神分析の四者構造がはっきりと成立する。