リッチ『女から生まれる』読書会06
アドリエンヌ・リッチ(高橋茅香子(たかはし・ちかこ)訳), 1990, 『女から生まれる』晶文社(しょうぶんしゃ).
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6節。112ページから113ページ。
要約
6
女はマルクス主義とフロイトの精神分析で分かれて捉えられてきたが、ボーヴォワールは現象学によって分割を解消して捉えた。二分法を壊す必要がある。それこそがラディカル・フェミニズムの主張である。
何と何が比較されているのか?
only in the outer world of partiarchal categories and partiarchal denial can they be conceived as separate
(81)
マルクス主義と精神分析が分けられない
だから、父権制の内部だ
そして、父権制の外部でこそ分けて考えることができる。
それを超えたところを見たいのだ。
二元論の位置づけ
中では二元論で考えているかもしれないが、マルクス主義と精神分析を分けることは二元論ではない。
父権制を倒せば分けて考えることが出来る。
フロイトは性で説明しようとして、エンゲルスは経済で説明しようとしている。
二分法は、一元化して説明することをなくす。密接に結びついているから分けて一元論としている
別々に考えられてしまっているとすれば、父権制がないと勘違いしているからだ。
父権制はまたがるものとして考察していれば、別々にとは考えないはずだ。
「二分法以降」
とりあえずつなげる
そうすると二分法がなくなる。
リッチはアンドロジナスは二分法、そしてその先に行くのがポスト・アンドロジナス社会
アンドロジナス的な時代の次の時代ではなく、新しい人間を作らないといけない。
アンドロジナスが目指されて以降
経済的精神的女性であることを無くそうとしていた、女性でない人間を考えていた人がいた。
そのなかでアンドロジナスという言葉を使っていた人がいる。
それよりも先に行きたい。