さいとー・ま

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リッチ『女から生まれる』読書会13

メモのままです。

140ページ、6節から。

技術を男のものとみなしすぎというプレシアードによる批判
女の力を重視することの危険と希望。
身体の自己制御をポジティブに捉えるか、出産の力を女の力と捉えるかというのは大きな違いである。
妊娠・出産を重要視しすぎると、妊娠・出産を経験しない人の立場が危うくなりそう。
リッチは34の注でそこを指摘している。
助産師から産科医への転換。
身体の自律性の評価。
価値があり得た、意味づけがあり得た。といっているときにどっちに進むのか。
再生産は広い概念なので、生殖に限らない。
その人が決定しているのかについては難しい。
スキルとか知識を持っている人がいて、産む産まない、中絶を知識を用いながら使う。
コミュニティを想定している?サポートしている。
助産師、魔女がどうだったかどうかは確認が必要である。
選択する幅があった。協力が得られた。または安価。
自律性において選べる、知識を自分たちで持てることとか、どこを強調するかが大事。
美化されていた実態が何なのかを確認する必要はある。
明治政府が堕胎罪をつくる前は様々な中絶手段があったけど、継続されなかった。
アメリカ合衆国ではJane Collectiveなどの確実な、しかし違法での中絶の仕方が継承されてきた。
en.wikipedia.org
ホスピタルからクリニックに出産を取り戻すという運動もあった。
出産時には白人女性より黒人女性の方が4倍死ぬ確率が高いから、コミュニティのなかにバース・センターができて対策している。
世界人口会議:人口が多いから、南の国は人が多すぎるから貧困になっているのだという考え方で行いをしている。
それに対する女性会議などを行っている。70年代80年代。

月経のタブーは、昔は女にとって神聖で、家父長制後は不快なものと感じられる。
今への反応のための過去を使う。
「もっとも無知な女でも知っている月経を通じての自分のからだについての知識」という記述がきつい。

原書103ページ
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原書103ページ

「原始的な女でさえ」
「進んでいない」人たちを知識がないと書いているところが、昔の知識の再評価を目指しているのに、矛盾的。


現代人が理解していない力を月経タブーは示している。
月経タブーは女への恐れと、母性の神秘性である。
今でも女が自分から退くことは脅威とされてきた。
「中途半端にしか理解されていない力を意味する」

矛盾→両義的な感情
安堵と嫌な気持ち