さいとー・ま

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リッチ『女から生まれる』読書会12

メモのままです。

訳127ページ

デイヴィスの評価。現在の家父長制に対する神話として、評価できる。
デイヴィスの本の内容が不明。
男は物理的なものしかできないのに対して、女は物心のどちらもできるという主張。それをリッチは神話として、評価している。

Jane Ellen Harrison (9 September 1850 – 15 April 1928) https://en.wikipedia.org/wiki/Jane_Ellen_Harrison


4節
母権制ではなく、ガイノセントリック(女性中心)という言葉を使う。ただし、母親としての崇拝が多いことをリッチは指摘する。
父権制以前の女神崇拝の象徴にはひとつ、はっきりしていることがあった。力も畏怖も中心になることも、決して特権や奇跡によって女に与えられたものではなく、生まれつき女たちのもので、女が主たる存在なのだ、と告げたことである。」130頁

文献ではうまくデイヴィスぐらいしか上手くやっていないから、物に注目して考古学で考えると、明らかに女性中心的な象徴があって、それは自分自身に没頭しているから、女性は自分が中心であると考えていたと言えるだろう。
芸術は男しか作らないという反論があるかもしれないが、そんなことはない。考古学を学べ。女は壺も作ってきただろう。


リッチが再構成しているだけなのか、それとも本当に思って言っているのかわからない。
女性と容器は、胎児の容器として捉えられていることの文脈も出てくる。だから危ない橋を渡っている気がする。
形を変える力というように原始における女性の力を表現している。
現代社会批判として使うときに、解釈概念としての女性の概念と、今を生きている女性が短絡に結びつく危険がある。

父権制以前の時代では、妊娠の原因は精霊に帰されており、陰茎や父とされるものはあまり重要視されていない。